それほんとに好きなんですか問題

生活総研 研究員

中島 健登

私には、胸を張って「好き」といえるものがない。
いやもちろん、映画を観るのは好きだし、音楽だって毎日聴く。時間をつくって旅行もする。料理も好きだ。行きつけの飲み屋もある。
けれど、人に言えるほどじゃない、と思ってしまう。
どれも大抵の人は好きなことだし、それこそ自分より好きな人は何人もいるだろう。

つまり私にとって「好き」とは、対象についての知識や習熟度が他人よりも勝っているかどうかで判断・認定されるものということだ。
裏を返せば、人が持っている「好き」に対しても、そのような視点で勝手に格付けしているということでもある。
好きなものを素直に好きと言えない上に、その人のありのままも受け入れられない。
負から負を生みだす絶望の連鎖。自滅的に「好き」を無くしていく生き方。
とても貧しいことだと思う。

私が人生の目標に掲げているクオリティ・オブ・ライフの向上、ならびに出来得る限り長期間に渡るこれの維持において、自分が信じられる「好き」を持つことは何より不可欠な要素である。余暇をただ漫然と過ごすのは全然クオリティではないからだ。
であれば、セルフでやってしまっているこのしょうもない呪縛を解除すればいいだけなのだろうが、何をどうすればいいのかわからない。そもそも、ここに至る人生の道中でコツコツ歪ませてきた己の性根に起因するものなので、今さらどうしようもない。自分で意識改革が容易にできるなら、この心の貧困問題はとっくに解決している。

もっと、今までとは違う角度から物事を捉えねばならない。
問題を根こそぎひっくり返せるクリティカルな方法を探らねばならない。

ここまで考えて、ふと気付いた。
なにも、みんなが既に好きなものを好きにならなくてもいいのではないか。
不幸は他人と自分を比べることで生じると、どこかで耳にしたこともある。
ならば、他人と被らない、あたらしい自分だけの「好き」を生みだせば万事丸く収まるのではないか。

周りをみれば、すでに実践している先人たちがいる。
こいしゆうかさんは、従来通りの形式的なキャンプをするのではなく、自分の好きな部分以外はがんばらない「女子キャンプ」というスタイルを生みだし、既成概念に囚われない「好き」を楽しんでいる。

辻一恵さんは、「似合う髪型にする」という美容師の枠を超えて、もっと大きな視点で「なりたい自分をつくる」ことへ興味を発展させ、自分だけの「好き」を育んでいる。

お二人の「好き」の形は、まさしく私が求めてやまないものだ。
いま好きなことの中から、もっと好きになれる部分を見つけて、のめり込む。
そうしていくうちに、やがて自分なりの楽しみ方、自分だけの面白さまで発展していく。
それこそがきっと、胸を張って「好き」といえるものなのだろう。

オーケー、それじゃあ自分はどれを深掘りしようかと、頭の中にいま持っている「好き」をずらりと並べてみる。
———なるほど、自分だけの「好き」のつくり方はわかったが、しかしそれで万事解決とはいかないようだ。
目移りして決められないほどに、私には好きなものが多すぎる。

この記事をシェアする

このエントリーをはてなブックマークに追加
「好きの未来」の全体概要はこちらから

より詳細はこちらの書籍にて!

みらい博2017 「好きの未来」

  • 発行日:2017/1/25
  • 価格:4,000円(税別)
書籍紹介ページはこちら
みらい博2017好きの未来 トップ

その他の研究をキーワードから探す