週末ハンティング

「肉売り場の見え方変わった」「手間かけると肉になる」 週末ハンティングの効用

2025.12.15

2025 12 月号

博報堂生活総合研究所では現在、「感情」についての研究を進めています。調査を進めるうちに、興味深いデータが浮かび上がってきました。「以前と比べて自分の感情の起伏が小さくなった」と答えた人は57.7%で、「大きくなった」と答えた人より15ポイント以上多かったのです(博報堂生活総合研究所「感情に関する意識調査」 首都圏・阪神圏・名古屋圏、20~69歳男女、1,500人、2025年9月、インターネット調査)。 

週末ハンティング

日常が低感情化しているとすれば、そこから脱出しよう、新しい体験を求めようとする生活者が現れているはず。そう考えて探しているうちに出会ったのが、小田急電鉄が運営する「ハンターバンク」というサービス。未経験者や初心者に週末ハンティングの機会を提供する事業です。

都心と神奈川県を結ぶ小田急沿線には農家が多く、獣害も深刻だそう。農林水産省によれば、2023年度の野生鳥獣による農作物被害は全国で164億円、前年比8億円増となっています。「今年の漢字」に初めて「熊」が選ばれたことも話題となりましたが、2025年度は、これまでに全国で13人がクマ被害によって命を落としています(2025年12月8日現在)。江戸川区でもイノシシが姿を現し、都内でもクマの目撃情報が報じられている状況です。一方、狩猟免許を持つ人の6割が60歳以上で、さらに全体の2〜3割は実際には活動していない、いわばペーパーハンターです。都会で変化のない毎日を過ごす生活者に非日常な週末体験を提供できれば、まさに三方よし。ビジネスとしての持続性があればさらに四方よし、といったところでしょう。 

小田原でのわな猟に密着

取材を申し込んだところ、1週間後に「小田原でイノシシがわなにかかりました」と連絡が。狩猟は、主に銃を用いるものとわなを用いるものがあるのですが、ハンターバンクはわな猟。わなにはリモートカメラが設置されていて、会員にはSlackでその状況が共有されています。小雨が降る週末の朝、4名のメンバーとサポートするスタッフ1名が小田原市内の箱わなに集まっていました。この日はほとんどが都内在住でしたが、名古屋から駆けつけた会員もいました。

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今回のわなは里山や林の中ではなく、小田原市内の車道のすぐ横にあるみかん畑に設置されたもの。農家にとって獣害がいかに身近でリアルなのか、まざまざと見せつけられたようでした。わなにかかったイノシシは、この春に生まれた雄で15kgくらいの食べ頃サイズだそうです。箱わなの外から足を固定して、ナイフで止め刺しをするのですが、この時だけは「プギー!」といった大きな鳴き声をあげたので、取材しながらもちょっと感情が揺らいだように感じました。とはいえ、釣りに行った時はなんの抵抗もなく魚の首を折って血抜きをするのに、「なぜ哺乳類だとドキッとするのだろう」というのは不思議に思います。 

「何が日常で何が非日常なのか」

都内から参加していた女性メンバーに聞いたところ、初めて止め刺しを見たときはショックで涙が止まらなかったそう。趣味で狩猟をしていることを友人に伝えると「かわいそう」と言われることもあるとのことですが、「でも彼女たちと一緒に焼肉に行くこともあり、何が日常で何が非日常なのかはずっともやもやしている」と語ります。狩猟を始めてからスーパーの精肉売り場の風景も違って見えるようになり、仕事で都心を歩いていると、「私、昨日は山の中でイノシシ担いでたのにな」と不思議な気持ちになることもあるそうです。感情を抑えて暮らす都市生活者が、週末にわざわざ命と向き合う現場に足を運ぶ。そこには、「感情を取り戻そうとする無意識の欲求」があるようにも見えました。 

10年以上前から料理が趣味で、狩猟歴は2年という30代の男性メンバーにも話を聞きました。獲物のとどめを刺す時は「生きてるな」と感じるけれど、それはイノシシやシカが生きているという意味ではなく、「命をいただく自分が生きていることを感じる」という意味だといいます。

「生き物」と「肉」の境界線は?

「どこまでは生き物で、どこからは肉と感じるのか」を聞いたところ、「前日にリモートカメラで獲物がかかったことがわかると、すぐに『美味しそう』と思ってナイフを研ぐ」とのこと。この意識は人によって様々なようで、別の男性メンバーは、「解体して初めて肉だと感じる。解体するのにかなり手間がかかるためで、ひとつひとつの手間をかけていくうちに肉になっていく」と話してくれました。 

処理施設に移動して解体の現場にも立ち会わせてもらいましたが、会員の皆さんが手分けして腹を割いて内臓を出し、毛皮をはずし、関節にナイフを入れて、わずか1時間ほどで肉に仕上げていきます。個人的には、毛皮を外した瞬間からはもう生き物ではなく、明らかに「肉」になった感覚です。私が感じた「魚を締める時と哺乳類との違い」について、スタッフの方は「体温ですよ。内臓を引き出す時にはまだ温もりを感じる」と答えてくれました。

おそらくこの温もりとは、単なる体温だけのことではありません。感情を取り戻すとは、自分が「生きている世界の一部であること」を身体的に感じ直すプロセスなのでしょう。 

週末ハンティング

感情に向き合おうとする生活者たち

命をやり取りする現場ということで、今回の取材には、社内でも「かわいそう」「危険なのではないか」といった様々な声がありました。また、我が家は16歳の老犬と暮らしているので、「哺乳類が命を終える瞬間に立ち会うことはどれくらいショックなのだろう……」と少し心配しながら取材に向かいました。しかし実際には、止め刺しの時の鳴き声以外は感情が大きくざわつくことはありませんでした。「温もり」という視点に立てば、私は離れた位置で第三者としてカメラを構えており、身をもって獲物に接近していなかったからかもしれません。 
 
動物だけでなく植物や微生物にも生命があり、人間を含むすべての生き物は食物連鎖のひとつとして生きて次の世代に命をつないでいます。もし現代人が低感情化しているとしたら、そうした命の連鎖の中で世界の一部として生きていることを忘れていることもひとつの要因かもしれません。週末ハンティングは、感情に向きあおうとする生活者の静かな挑戦のように思えます。