
「タイ的魔改造」からみる日本文化の再発見
2025.08.18
研究員の伊藤祐子です。7年間のタイ・バンコク駐在を終え、日本に戻ってきたばかりの私の目に映る東京は、まるで「TOKYOテーマパーク」。世界中から観光客が訪れ、思い思いに日本を満喫しています。特に東南アジアからの旅行者、なかでもタイ人観光客の存在感は大きく、彼らは私も行ったことのない場所を訪れ、ユニークで高級感のある体験をSNSで盛んにシェアしています。
実際、2025年上半期にはタイからの訪日客が約68.0万人(前年比約10%増)に達し、訪日客国別ランキング で第6位の規模に(出典:日本政府観光局「訪日外客統計」)。そんななか、私の関心は「彼らが日本で出会った文化をどのように自国で再解釈・再構築しているのか」に向いています。
“OMAKASE”が表すもの
その代表例が、“OMAKASE”という言葉の広がりです。日本では寿司店などで、職人に献立を委ねる「おまかせ」という言葉ですが、タイでは英語表記のまま“OMAKASE”として高級寿司店を中心に広まりました。内容は「シェフの気まぐれコース」にプレミアム感が漂い、ミステリアスで特別感のある体験として人気を集めています。
今では「OMAKASEネイル」「OMAKASEデザート」「OMAKASEカクテル」などにも展開。共通しているのは「何が出るかわからないワクワク感と「自分はそれを楽しめる余裕があるという優越感」。こうした心理に応え、“OMAKASE”は上位中間層・富裕層にとって一種のステータス表現となっています。
“手の甲に乗せられた”雲丹のにぎり、その先にあるもの
なかでも私が最も衝撃を受けたのは、ある超高級寿司店の提供する「手の甲に乗せ、金粉をふりかける雲丹の握り」。SNSでその映像を初めて見たときには、「なぜ手の甲に?」と驚きを隠せませんでした。しかし、よく見るとその背景にはタイの富裕層ならではの価値観が透けて見えます。

寿司が手の甲に乗せられることで、宝飾品 ――豪奢なダイヤモンドリングやハイブランドのブレスレット、高級時計など ―― とともに撮影できるのです。主役はもはや寿司ではなく、ラグジュアリーな「私」。金粉の雲丹、ブランドロゴ入りの器、宝石箱に入った手巻き寿司など、あらゆる演出が「魅せる自分のために存在しているようです。コースは17品で約4,000バーツ(約18,000円)。その価格もまたステータスの一部なのでしょう。
価値観の違いが文化を豊かにする
こうした演出は、日本人の「寿司観」とは大きく異なります。日本では、四季折々の素材の味を活かした「旬の美味しさ」が重視されますが、タイでは気候や保存事情から「甘・辛・酸・濃」といった味が好まれます。加えて、食に求められるのは「映え」や「エンタメ性」。社会格差の大きいタイでは、「見た目」で自身の社会クラスを示すことは社会的信用を得るため必要なことであり、外食においては味覚だけでなく、インパクトの強い視覚・共有体験をして「こんな素敵な食が楽しめる(だけのお金とセンスのある)私」をアピールすることは、日本以上に重要なのです。
バンコクに店を構える日本人の寿司職人は「本格的な江戸前寿司を出しても、地味すぎてお客さんが来ない」と嘆いていました。また、彼はタイ人客の求める演出―― 例えば、スモークを炊いたり、派手な装飾を加えたり ―― に合わせることにためらいを感じる、とも話してくれました。
“魔改造”は文化の進化
私はこうした事例を「魔改造」と表現しましたが、実際には文化の柔軟な「翻訳」とも言える現象です。日本の伝統が破壊されているのではなく、その土地の生活者の価値観に応じて、日本文化が再解釈され、愛されている。その様子は、日本文化の持つ「しなやかな強さ」の証でもあります。そして、こうして翻訳された”Japaneseness(日本らしさ) ”を楽しんだ人びとが、次に日本を訪れたとき、どのような体験を求めるのでしょうか。期待通りの“本物”か、それを超える驚きか。ミニマルで静謐な日本らしさもあれば、派手で共有可能なインパクトある体験もある。大切なのは、訪れる生活者の価値観や生活行動を深く洞察し、「心が動く日本体験」とは何かを考え、具体化していくことだと思います。
文化の翻訳と再構築は一方通行ではありません。異国で生まれた“OMAKASE”の進化をみて、私たち自身がワクワクする、新たな文化を創っていけるかもしれません。あなたは、「手の甲に乗せて金粉をふりかけられる雲丹の握り」、食べてみたいですか?