AI時代に必要なのは「ナマコを食べる」勇気?
2026.01.19
夏目漱石の『吾輩は猫である』に、こんな一節があります。 「始めて海鼠(なまこ)を食い出せる人は其胆力に於て敬すべく、始めて河豚を喫せる漢(おとこ)はその勇気に於て重んずべし。海鼠を食えるものは親鸞の再来にして、河豚を喫せるものは日蓮の分身なり。」 ナマコとフグを初めて食べた人の勇気を称えているわけですが、最近「AIの時代、人間に必要とされることってなんだろう?」と、先輩のコピーライターと話す機会がありました。そこででてきたのがまさに「ナマコを初めて食べる勇気と行動力だよね」という話でした。
すみません。ちょっとわかりにくいですよね。説明します。AIはオンライン上にある膨大な情報を、超高速で拾ってきて的確に分析します。この点で人間はもはや敵いそうにありません。オンラインでは勝負にならない。逆にAIが苦手なこと、できないことってなんだろう?それは「まだデータになっていないこと」を評価したり分析したりすることです。
例えば、家の近所に、口コミがまったく書かれていない評価ゼロの謎の店があったとします。SNSにもオンライン上にも情報がありません。だからAIがレコメンドするはずもない。昔ならそんな店には入らなかったのですが、あえていま、そこに行く意味が出てきている。AIですら評価・分析できない情報のフロンティアがそこにあるのです。
AIは便利です。移動は最短経路、買い物はおすすめ順、レストランは星の数とレビューでレコメンドしてくれます。「レバーと酢の物が苦手です」と入れれば、ちゃんとそれを除外して並べてくれる。だから、迷わない、失敗もしにくい、後悔も少ないでしょう。
けれどその一方、レコメンドだけに従って生きていることで失っているものもあるはずです。「偶然見かけて入った喫茶店で出会ったスペシャルティコーヒー」「小さな本屋で店員さんの手書きのPOPに惹かれて買った名前も知らない作家の小説」――そんな“無駄”や“寄り道”から生まれる人生を彩ってくれる出会いが、日々の生活から少しずつ削られているかもしれない。
実際、Z世代を中心に「リアルな街体験」が再評価されている兆しがあります。米国ではショッピングモールの来客数を牽引するのがZ世代であり、中国では目的を持たず都市を散策する「CityWalk」がSNSで爆発的に広がったりしています。「最適化されすぎた日常」へのささやかな反抗、あるいは、なんでも決められてしまう生活に抗って、自分の足と感覚で街と出会い直そうとする動き、とも取れます。
ちなみにスタンフォード大学の研究では、歩行中の人間は座っているときより創造性が60%高まると報告されています。非効率な行為のなかこそ、創造や感動、つながりの種が眠っている。弊社でも会議で雑談から始めるという昔ながらの伝統がありますが、脳科学でいうデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)が活性化するのは、関係ないことをしているとき、ぼんやりしている時、あるいは何も考えていないとき。まさに“寄り道”の最中だといえます。
確かに都市計画の分野でも、「偶然性」を織り込んだデザインが注目されています。目的地へ一直線に導く動線設計から、人がふと立ち止まる“余白”をどう作るか。SNSでは発見できない「自分だけの風景」は、たいていスマホを見ていない時間に訪れる。大阪・梅田の大型再開発では、滞留を促す公園や広場が設計され、路地裏の再評価も各地で進んでいます。日本を訪れる外国人は路地裏が大好きですよね。都市に求められるのは、いつのまにか、「整理された効率性」よりも、「偶然の出会いを提供する場」になってきていると感じます。
AIの最適化を否定する必要はまったくないと思います。むしろ便利さと効率をAIで担保して、ムダと寄り道と遊びを人間が担当する。時間があるならアプリやレコメンドが提示しない道に逸れてみる。そうして得た体験を、また誰かに「ナマコはね、意外と美味しいよ」と伝えること。それが、AI時代に人間に求められる役割なのかもしれません。
ちなみに、私からのナマコ的おすすめは中国で食べた「豚の脳みそ」と「蛇のスープ」です。