生活総研は、2020年9月、15~34歳の男女2,080人を対象とした「スマートフォン・SNS内の保存データ調査」を実施しました。
本調査では、「Z世代」(15~24歳と定義)と「ミレニアル世代」(25~34歳と定義)に対し、スマートフォン(以下、スマホ)やSNSアカウント内に保存された写真の枚数や内容などを聴取。両世代の比較分析を通して、社会での存在感を増しつつある新しい世代、Z世代の特徴を浮き彫りにしました。分析の結果、Z世代の中でも特に10代後半では、自分自身の写真より自分が“推し”ている芸能人の写真の保存点数が多いことが明らかに。普段の生活の様子をSNSや動画で幅広く発信するようになった芸能人やインフルエンサーが、Z世代のライフスタイルに多くの影響を与えていることがうかがえました。
今回は調査結果の解像度を上げるべく、若者研究所(以下、若者研)と若者向けのワークショップを実施。生活総研の酒井崇匡・佐藤るみこ、若者研のボヴェ啓吾・瀧﨑絵里香で、その結果を踏まえ、SNSが当たり前にある時代の「若者の変化」について深掘りしました。
いかに「推し」カルチャーは生まれたのか
佐藤:
今回の調査では、「写真」アプリ内機能が識別した写真・動画中の人物上位5名と、その人物ごとの写真・動画の平均保存点数を聴取し世代別に比較しました。すると、Z世代の10代後半は、自分が“推し”ている「芸能人」が構成比の4割以上(43.3%)を占め、「自分自身」(19.8%)を2倍以上、上回りました。自身の日常や考え方をSNSや動画で幅広く直接発信するようになった芸能人やインフルエンサーが、彼らを“推し”ているZ世代の10代後半のライフスタイルに多くの影響を与えていることがうかがえました。
「推し」を持つ文化はどのように生まれ、広まっていったのでしょうか。
ボヴェ:
「推し」のある文化は、上の世代にとっては今ひとつ理解できないところではないでしょうか。でも、大前提として、今の若者にとって非常に大きく、当たり前の存在であることは、まず踏まえておきたいところです。
瀧﨑:
「推し」の起源はオタクカルチャーに端を発し、特に女性アイドルオタクの男性中心に「推し」という言葉が使われるようになったと言われています。そしてこの言葉の普及には、社会現象化したアイドルの“総選挙イベント”も大きく関わっていると思います。そのアイドルが好きか否かというより、「今回の選挙で推薦するなら誰か」を強いて選ばせる文脈があったからこそ、広まった単語ではないかと見ています。
もともと選挙的な意味合いが背景にあるからこそ、アイドルの表舞台だけではない生活全般を応援し、個人のスキャンダルにも厳しい視線を向けるようになった一面も出てきたのではないかと考えています。当然「推される」アイドルは私生活を含めて応援される要素を揃えようと努めますし、応援する側としてはそれも含めて「推す」ことを楽しみます。
そのサイクルが加速したのは、アイドルがInstagramやTwitterといったSNSを自ら投稿するようになったからだと思います。そこでは私生活の片鱗が見え、言葉遣いさえも”自分が推すに値する人か”判断の一つになっていきます。
みんなが平等に使えるSNSで発信されたライフスタイル、言動、性格、意志を含めて応援することを、「推す」という広く使える言葉で支えているのが、現状ではないでしょうか。
ボヴェ:
現在の「推し」はアイドル、芸能人やインフルエンサーだけにとどまりません。好きな漫画家、好きなキャラクター、好きな商品やコスメなど、あらゆることで「推し」の表明をします。実際に推すことで応援され、その対象が有名になったり、大きく売れたりする。何が評価され、いかにお金が回っているのかも、SNSを含めたネットで開示されていっていますね。
酒井:
Z世代は、まさにデジノグラフィ的な世界観で生きているのだろうとも思うんです。「推し」が解像度高く見せてくれる情報に慣れ、それが前提になっている世代ともいえる。
瀧﨑:
かつては自分がアクションしたからといって、応援した人が活躍する確証が無かったですよね。今ではCDセールスといったビジネス的な数字だけでなく、リツイートや「いいね」の数次第では、「推し」の人生が拓けるきっかけづくりにつながると、応援する側が理解できているのも大きいのでしょう。
ボヴェ:
また、自分の「推し」を表明することは、自身のアイデンティティの表明という意味合いもあります。コミュニケーションの軸のひとつなのです。僕らが聞いた話では、特に高校生は「推し」がないと、スムーズな会話のきっかけが掴めず、半ば強引に「推し」を作り、自分からハマりにいく例もあるといいます。そのエピソードだけでも、現在の若者を理解するうえでも「推し」は大切な概念であることがわかると思います。
佐藤:
若者に「推される人」とは、どのような人なのでしょう?
ボヴェ:
推しのポイントは人それぞれ無限にあるので難しいですが、あえて一つあげてみるならば、自分だけでなく「グループ全体」、もっといえば「業界全体」の繁栄や変化を目指すような意識をもった人が、支持を集めているように思います。そうした意識はアイドルなどに限らず、若者のなかで際立ってきている印象で、例えば、以前に対談させていただいたZ世代のホテルプロデューサーである龍崎翔子さんも、コロナ禍の初期から、ホテルができることは何かを考え他のホテルも巻き込んで取り組んでいたり、業界全体の新しいプラットフォームをつくろうとしていて、その意識と行動力に驚愕しました。全体をもっとこうしたらいいんじゃないかとか、ここにこういう課題があるといった問題意識をもとに、色々なことに取り組んでいく行動力のある人に若者が影響されたり、力を授けてくみたいなのは今っぽいなと思います。
酒井:
業界全体、世の中全体への大義を掲げられるかどうかという視点は、ブランドの社会的意義を定義するパーパスブランディングに近いものがありますね。
若者が大切にしている「世界観」とは?
佐藤:
また、調査ではInstagamのプロフィールに使用している写真について聴取しました。Z世代では、「後ろ姿など顔が特定されない自分」(21.7%)が最も多く、「顔を出している自分」(20.2%)を上回りました。一方で、ミレニアル世代は「顔を出している自分」(24.1%)が最も多く、「後ろ姿など顔が特定されない自分」(16.7%)を上回りました。以前ワークショップでボヴェさん瀧﨑さんとお話した際に「後ろ姿など顔が特定されない自分」が「顔を出している自分」を上回っているのは「世界観」を大切にしやすいからでは?との話が出ましたが、このあたり解説いただけますか?
瀧﨑:
中高生までは制服を着て学校へ行くことが多く、環境としても限られた自己表現しかできない面があります。大学生になって私服を着るようになり、活動範囲も広がる中で、Instagramで見せる自分の姿も、今までの制服を着ていた自分でない姿を出すようになる。そして徐々に自己表現の幅も広がってくると、写真に写す自分の姿も、「全体のトーン」みたいなのを気にするようになる、といったところがあるかと思います。
ボヴェ:
高校生の極めて狭いコミュニティから世界が広がっていくのに加え、現在は就職活動などでも、個性や能力で「あなたらしさ」を求められがちです。だからこそ、自分が大事にしていることは何か、自分とはどういう人なのかを、知り、つくり、表明しなくてはいけない状況が生まれています。そのような状況において、InstagramのようなSNSが一つの土台になっているのだと思います。
同級生や直接の知り合いだけでなく、インフルエンサーやマイクロインフルエンサーと言われる「影響力を持つ人々」がつくるInstagramのフィードやプロフィールも参照しながら、食べているもの、住んでいる家、出かける場所、ファッションといった、あらゆる領域をまたがった暮らしと振る舞い全体から醸し出される自分の「世界観」を模索し、大切にしているという感じがします。
酒井:
「後ろ姿など顔が特定されない自分」をプロフィール写真に使っている背景をワークショップで若者に聞いたところ、プライバシー意識で隠しているというよりは、「顔を盛る」という行いそのものが気恥ずかしいとの意見が出てきたのは印象的でした。
ボヴェ:
まさにそこは時代の転換が起こっている感じがしています。可愛く写った自分によって自己肯定感を得たり、キラキラした素敵な暮らしの発信で自己満足を得るアプローチに、もはや「古さ」を感じる世代も出てきている。それだと結局自分の満足感や肯定感が得られなくなっているのだと思うんですよね。
Instagramが「いいね」の総数を非表示にしたのも、そこに接続する変化だと捉えています。皆が過剰に数を求めたり、わかりやすい「映え」に疲れたりといった過程を経て、より「その人らしさ」が滲むもの、全体として作られる世界観を重視するようになってきた。「後ろ姿」の写真の方が、その人の持っている雰囲気などが伝わるはずだという美的な意識の変化も含めて起こっているのではないかという気がします。
実際、若者に聞いてみても、人と違う特別な空間を作り込んだり、演出したりするよりは、自分の日常的な暮らしを素敵に切り取って見せていくことが、自己肯定感につながっていくという認識を持っているようです。
世界観を支える、写真やビジュアルへの高感度
佐藤:
ちなみに、その人らしさが滲む世界観というのは、具体的にどんな写真もしくはフィードをさすのでしょうか?
瀧﨑:
例えば、レトロ感を感じさせる写真やそういうフィルター加工をした写真しか載せていなかったり、自分のアイデンティティはピンクだからと、全部ピンクのフィルターをかけた写真やピンクのものだけ載せたフィードなどです。色々な写真を自由に加工できるようになり、コントローラブルな中で写真が撮れるようになってきていますよね。たとえば、昔はちゃんとしたカメラでないと撮れなかったレトロな写真も、iPhone1つで写真加工アプリを使ってくすみがかったレトロな写真を撮ったようにできるので、そういった技術進化は大きいとは思います。色々な表現の幅がある中で自分らしいものを見つけ、自分らしい写真を撮れるようにしている感じがあります。
そうした若者の「世界観」の表明には、Instagramという写真を並べて見せるSNSがメジャーになってきたのが、実は大きいのではないかと思っています。それこそ、Instagramのサムネイルが並ぶ画面のスクリーンショットを撮って、自分の名刺代わりにするという話もあるくらいです。
ボヴェ:
何十枚とある写真が、自己紹介代わりになるんですよね。複数の写真から直感的に伝わる「その人らしさ」が、ある種の統一感を持って意識されるようになったのは、完全にInstagramというメディアによるものだと思います。そして、若者はそれを長年続けていることで、読み取る能力も、写真を撮ったり編集したりする能力も、明らかに高いです。
酒井:
なるほど。
ボヴェ:
僕が衝撃的だったのは、夕日が当たってきれいなイチョウ並木を前に、自転車で走ってきた中学生が急に止まって、友達を呼んで、「光がきれいだから」と写真を撮った光景です。僕はカメラが好きなので、たくさん写真を撮ってきた結果として、光の美しさについても分かるようになってきましたが、そういった光やその美しさをその場で理解した中学生の意識は高度な美意識といえます。
当たり前のように中学生が理解して写真を撮っているのは、それだけの数をこなして、いい写真を見ている数も半端ではないので、当たり前に認識できるようになっているのかなと思いました。
酒井:
今の中学生や高校生は、生まれた頃からスマホがあり、身近にパシャパシャと写真を撮ってきた世代。そうなってくると、日常のちょっとした変化にも敏感にカメラを向けるリテラシーが作られるようになっていたりするのでしょうね。
ボヴェ:
それは間違いなくあると思います。
酒井:
以前中国にある博報堂生活綜研(上海)が2017年頃に「渦を作る」というテーマで講演をしていたのを思い出しました。中国では年収という一直線の評価軸だけでなく、個々が趣味を突き詰めるような流れが生まれていき、ヒエラルキーが多様化していくなかで、さまざまな「渦」が起こっているという話です。まさに、この日本でも「映え」という単一のヒエラルキーから抜け出し、軸を自ら作り出して志向していく「渦」が起きているのではないかと。
ボヴェ:
いい考察ですね。僕らは重要な若者概念として「ヘルシー」という言葉に注目しているのですが、ある時「モテを意識したファッションやメークはヘルシーではないのか?」といった問いかけに対して、「社会から求められていると思い込まされていたり、無自覚に誰かのためにしてしまっていたりするのならばアンヘルシーだけど、本当に自分がモテたいと公言して堂々と行うなら、それはヘルシーだ。」と語ってくれた学生がいました。「映え」にしても、本人が心底思っているのだったら、それはその人の「世界観」であって、カッコよさとして認識される。「やらされ感」でない限りには、そこに多様性を認める土壌があるんだと思います。
大きなトレンドで言えば、キラキラ、映えみたいなものから、もっと日常寄りの自然なものへ意識が行っているとの側面はあります。スマホで写真を撮る行為は、すなわち日常を撮ること、と子どものころから思っているからこそ分かる文脈があるのだろうと思います。
ヘルシーを大切にする若者に、企業はどう対峙すべきか
酒井:
では、個々の世界観を作り出す若者たちと、企業やマーケティングはどう向き合っていくべきでしょうか。タピオカミルクティーは「映え」によって創出されたブームでもありましたが。先日、テーマパークで観察をしていたら、特になにも描かれていないカラフルな壁を背景に女子高生が並んでセルフィーを撮っていました。他に「映え」そうなものはたくさんあるのにです。彼女たちの中では何の変哲もないその壁こそが、自分たちの世界観に合うものだったんでしょう。
個々の世界観を重視されるとき、僕たちとしては何を提供できたり、作れるのだろうと。色々な商品を自分の好きなテイストに解釈できる補助線なのか……。
瀧﨑:
ものではなく、「視点」なのかなと思います。その商品がどういう視点で世の中を捉えている商品なのか、という見え方や切り取り方こそ、若者が大事にしている観点な気がしていて。テーマパークの壁にしても、流行りというよりは、「私がこの壁で何かを見出す」というような「見出す行為」こそアイデンティティにしてるのではないでしょうか。私も属するミレニアル世代は、それこそ一緒くたに「羽の生えたハワイの壁」で写真を撮ってきたような世代だと思うんです(笑)。
>最近はInstagramを見ていても、写真を撮る時に、あえて画面の下半分に鏡のようにスマートフォンを写し込んで撮ってみるとか、そういう「自分が気づいた工夫」を入れ込んでいるように感じるんです。たとえば、旅行の瞬間をどう記録するかという「How」に、みんながこだわっている気がします。
酒井:
これまでは、これが「映え」ですという設定が大事だったとすれば、今後はいろんな切り取り方ができるようなフィールドを用意して、ある種の「多面性」を持たせましょうと。そうなると、発信の仕方はより高度になりますね。
ボヴェ:
ここから現代、あるいは未来の企業の商品のあり方については、おそらく「多面性」と「一貫性」のどちらもが大切なのではないでしょうか。若者たちがいう「世界観」とはそういう話ではないかと僕には思えます。
彼らは食べているもの、住んでいる家、着ている洋服といった多面的な要素をみながら、その全体から「醸し出されるもの」に共感し、フォローをして、影響を受ける。そして、自分もその色をまとっていく。
これを企業にあてはめてみるとどうか。例えば、「エシカルを訴求する商品をつくっているのに、従業員の労働環境がブラックだ」となればそこには若者が支持すべき「世界観」がないわけです。企業は、商品やサービスのブランドポートフォリオはもちろん、社内外での細かな取り組みなども含めて、多面的な要素を大事にみせながら、そこに醸し出される一貫性としての世界観をつくることで、共感してくれる人々を集め、社会に影響をあたえていく。そうした考えが、変化する時代を乗りこなしながら、長期にわたって信頼され、「推される」企業になる鍵ではないかと思います。