社会は“疎”に「なっていく」ではなく
すでに「なっている」
「日本社会が“密”から“疎”に向かっている」という表現は、コロナ禍の状況も踏まえたキャッチーな表現のように感じます。ここ数十年を振り返れば、1970年代には人口が減少に転じることが予測されていたし、1980年代にも消費の個人化・多様化という話題は上がっていました。2010年には「無縁社会」について問題提起するメディアの動きもありました。それを踏まえて、私の認識としては、社会が“密”から“疎”へ「なっていく」ではなく、すでに「なっている」のではないかとも感じます。
つまり近年、既になっている今の状況を、きちんと認めるようになったと言えるのではないかと思います。“疎”が進んで、良くも悪くも、多様性のある社会になっていることが多くの人に認識されている状態ということですね。
“疎”の進んだ社会が抱える課題
「敬遠」と「遠慮」と「攻撃」
私はこれまで講演等で、多様性には明るい側面と負の側面と、両方あるのだと話してきました。負の側面を端的に表したのが、「敬遠」、「遠慮」、「攻撃」という3つの要素です。
みんな違っていてもいいけれど、自分は付き合えないという「敬遠」、そっとしておこうという「遠慮」、そして主にネットの世界で見られる「攻撃」です。
例えば、外国人が日本に滞在するのは多様な社会では当たり前ですよね。でも、彼らがコンビニの店員としてレジ打ちをしている限りはよくても、近隣に住まわれ、ゴミの出し方が違ったり、夜中に騒がれたり、カレーの匂いがしてきたりと、文化の違いを如実に感じることには嫌悪感を抱き、「近寄らないでほしい」と感じてしまう。これが「敬遠」や「攻撃」、心に“疎”のある多様性の認め方なんです。
これらの意識が蔓延った状態では、多様性の力を発揮できません。社会の生産性は落ち、生活総研さんが問題提起するような、バッドシナリオの未来に近づいてしまうかもしれません。
社会の多様性を認めつつ、その良い面をどう伸ばして、悪い面をいかに抑えるか。「敬遠」、「遠慮」、「攻撃」を克服するには「インクルージョン」こそが大事だと思っています。意思と工夫によって、他者への配慮を積み上げていけるかどうかが、バッドシナリオを回避するための大きな課題になってくると思います。
社会課題克服のために
いかに”騙す”かがポイントになる?
社会の「インクルージョン」を進めていくためには、あえて変な言い方をしますが、「いかに“騙す”か」がポイントになるのではと思います。
例えばインターネットの世界では、あえてニュース配信のアルゴリズムにAIでエラーを仕込み、自分の主義や嗜好とは異なる情報に、自然に接してもらうなどの取り組みが、海外を中心に進んでいます。紙媒体の時代に保たれていた「情報の一覧性」の確保が難しい現代において、微妙に“騙し”ながら情報の多様性をつくりだそうとしているんですね。
私が携わっている「こども食堂」もある意味では、食で釣っている、とも言えるんです。
でも、実際にそこに行ったら、多種多様なつながりの中に身を置くことができる。大人も子供も「ここではたくさんの人と知り合える」と面白さを感じている。正論だけで「多様性が大事だからみんなで集まろうよ」と声をかけたって人は動きません。きっかけを促すような“騙し”も必要なんです。
こども食堂という場の創出もひとつの工夫であり、技術。上述のニュース配信アルゴリズムにエラーを仕込むこともそうです。一つひとつの工夫は、規模が小さかったり、笑っちゃうようなものだったりするのかもしれませんが、それらの蓄積こそが社会を進めて行くと思っています。
人の持つ二面性を認めながら
グッドシナリオの未来を信じたい
私は、人というのは二面性を持った生き物だと思っています。“疎”や多様性に関して言えば、「人とつながるのは楽しい」という気持ちと、「面倒くさい」という気持ち、両方を持っているのが人間です。
ある大人気ドラマの最終回で、主人公が恋人に向けて「一人で生きていくのも、二人で生きていくのもそれぞれ別の面倒くささがあるけれど、それでも自分は、二人で一緒にやっていきたい」というような台詞を言うのですが、この言葉は非常に象徴的だと感じます。
この台詞のような気持ちは、すべて人が内面に抱えているものだと思います。誰かといることは面倒くさい。けれども楽しい。この「楽しい」をいかに育てるかがインクルージョンの課題なんです。こども食堂を運営していると、コロナ禍の状況下でも、人々の気持ちから決してそういうものが失われたわけではないと感じます。
人の心には両面があり、多様性には良い面と負の面があり、未来にはバッドシナリオもグッドシナリオもある。それらは常に、行ったり来たりするものでしょう。未来は不確実なものだからこそ、グッドとバッドをジグザグ進みながらも、少しずつ良い方向に向かっていくと信じています。