僕らが目指すべき方向性は、
人間とAIが「バディ」になる
未来です
栗原聡(くりはら・さとし)
慶應義塾大学教授 人工知能学会会長
慶應義塾大学教授 人工知能学会会長
人間は石ころひとつに始まり、何万年も前からずっと道具を使うことで楽を求めてきましたし、便利にするためにテクノロジーを磨いてきました。例えば目が見えにくいから眼鏡をつくった。遠くの人と話したいから通信技術を発展させた。速く移動したいから車輪を発明して、飛行機もつくった。同じように人工知能も、こうした僕らが楽をしたい、効率化したいと思って発展させてきた技術の延長線上のものです。
上に挙げた技術は主に「肉体の限界」を楽にするものでしたが、人工知能を含むIT・情報処理分野のテクノロジーがそれらと異なるのは、喋ったり、ものを考えたり、文字を書いたりといった、僕ら人間にしかできないと思われていた知的作業の領域までやってきたことです。
肉体労働が苦手だからロボットをつくって工場で働かせるのと同じように、記憶したり、認識したり、計算したりといった知的作業の全部を僕らは好きなわけではなくて、面倒だから、自分の能力を超える道具をつくって使ってきた。同じように、人の知能を機械で実現したいという根源的な目的と同時に、考えるのが面倒になってきたので、「考えることができる道具をつくりたい」と言ってできたのがAIということでしょう。
人工知能(Artificial Intelligence)という言葉は、1950~60年代に人間のように考えるアルゴリズムを開発しようとしていた研究者たちがつくった言葉であり,70年近く使われてきました。けれども生成AIの登場までは、「知能」という言葉を「技術」に置き換えても違和感がなかった。2020年にディープラーニングが登場した後も、例えば顔認証システムはあくまで「技術」の範疇にあり、知能ではありませんでした。
しかしChatGPTが成功したことで一気に潮目が変わりました。なぜ急にAIが知的労働をできるようになったのか。それは生成AIがそれまでのテクノロジー、そしてそれまでのAIと大きく異なるからです。
例えばパソコンやスマホなどのデバイス、あるいはワープロソフトや表計算ソフトなどのアプリケーションについても、僕らは誰かしらが設計したものやプログラミングしたシステムを使っています。
ところが生成AIはそうではない。何十億人という人が書いてきた文章やプログラムを集めてきて、学習プログラムで何ヶ月も計算させることで、質問や指示を理解して返してくれる人工知能モデルができあがってきます。これはお酒の醸造に喩えることができます。お米や葡萄を集めてきて、蔵や発酵器で醸造すると、日本酒やワインができあがる。日本酒がお米から、ワインが葡萄からできているのと同じように、生成AIは「人間の言葉」からできているのです。
よって、「生成AIに聞く」というのは、誰かがプログラムしたAIシステムに聞いているのではなくて、生成AIモデルをつくるときに使われた「何十億人に聞いている」ようなものなのです。今の生成AIに知的な作業ができるのはAIが知的になったからではなく、人の知性が反映されたいろいろなデータを学習しているからです。加えて、ひとりの人間が持っている知識なんてたかが知れていますが、生成AIは何十億人もの知識を学習しているのです。
意思を持った自律型のAIはまだ登場していませんが、過渡期ともいえる2つの動きがあります。
ひとつは「AIエージェント」です。すでに現在の多くの生成AIサービスでは、質問に対して単体の生成AIが答えるのではなく、より正確な回答を返すために、例えば質問に対する専門知識を持った別の生成AIに最初の生成AIが質問するといった連携をするなど、言い換えるとAI同士がお互い自ら考えて動作するようになりつつあります。AIが「人間の問いに答える道具」から「自分で判断する人工知能」の方向へと、立ち位置が少し変わりつつあるといえるでしょう。
もうひとつの方向は「ロボット」で、中国やアメリカでヒューマノイド型ロボットの開発がどんどん進んでいます。なぜ人型のロボットが必要かというと、日常の生活圏が僕ら人間の体に合わせてデザインされているからです。例えば車輪で移動するロボットは段差を登れないけれど、二足歩行するロボットは登ることができる。ロボットが僕らの世界に入ってきて一緒に作業するとなると、人と同じ格好をしているのが一番良いのです。
AIの方では「AIエージェント」という、AIが自律性を持つ方向に技術が進み、かたやヒューマノイド型のロボット開発が進むとなれば、最後は当然ふたつの方向が合流して「アンドロイド」ができる。おそらくここから5年ぐらいで結構な能力を持つアンドロイドが出てくるのではないのでしょうか。
人型のロボットはすでにお弁当を詰めるなどの一部の用途で実用化されていますが、より一般的な肉体労働をさせるにはまだまだハードウェアの進化が必要です。例えば人間の手は動きの自由度があるだけでなく、触覚など多くのセンサーが埋め込まれていることで、何かを触った時に「これは○○だ」と判別できます。
しかしロボットが人レベルのセンサーを搭載して人間と同じ触覚を再現しようとすると、配線がごちゃごちゃになってろくなことになりません。またロボットの関節はモーターで動かすので熱を持ってしまう欠点があり、人間のように筋肉で動かす技術はまだ実用化されていません。それでも高出力なモーターの開発に成功したことで、ヒューマノイド型のロボットの実現が可能になるなど、技術は確実に進化しています。
このように人間のハード部分を代替するには、技術革新にまだ時間がかかり、それなら肉体ではなく知能をAIで代替するほうが早い。ですからホワイトカラーの人たちが先に影響を受けることになるでしょう。
僕らは「知的労働は人間ならではのものだ」と思ってきましたが、とはいえ面倒なので機械にやらせたい知的労働はたくさんあります。例えばメールの返事を書いたり、議事録を取ったりするのは面倒ですから機械にやらせればいい。例えば、「○○さんに、○○について問い合わせしたい」と思ったとしましょう。これは自分が○○さんに問い合わせしたい何かがあるからです。
そこで、「○○について聞きたいな」と言った瞬間に、そこから先をAIが「わかりました。メールを書いて聞いておきます」と空気を読んでやってくれてもいいわけです。「こういうプログラムが欲しい」ということを人間が考えたら、プログラムをつくってくれるのは人間じゃなくてもいい。「こういうサービスや商品を展開したら、みんな喜んでくれるかな」というアイデアは僕らが考えるけれども、そのアイデアを具体的にどうやってローンチするかは、べつに僕がやらなくてもいい。
そう考えると、ほとんどのタスクは僕らがしなくてもいいものです。この世界で僕らがするべきことは、やはり最初に「何かをしたいと望むこと」「発想すること」になるでしょう。
とはいえ、AIやロボットの発展によっていろいろなことが自動化されていったとして、いま仕事をしている一人ひとりの人間が、自分の労働の価値観、例えば単純な仕事であってもきっちり熟すことが大切であるといった考えを、仕事は生産性の高いクリエイティブなものでなければならないといった考え方に変容することは簡単ではありません。
けれども、これから出てくる若い人たちの労働の価値観はおそらく変わっているはずです。例えば2016~17年にアルファ碁が囲碁の世界チャンピオンに勝ったことが話題になりました。AIに追い抜かれた本人はトラウマだったでしょうが、現在では藤井聡太さんはじめ若いプロ棋士たちがはじめからAIを教師として使っています。
今仕事をしている僕らには頑張ることを美徳とする感覚があり、それに対して違う価値観が出てきた時には、ある程度の移行期間は必要だし、無理にそれまでの価値観を変えようとする必要はないでしょう。それに、最後はAIや機械にやらせるにしても、一度は面倒な工程を自分で経験しておく必要があるはずです。「泥臭い作業は、クリエイティビティのために人がすべきことのひとつだ」という価値観も逆に出てくるのではないでしょうか。
AIには、技術の変化に取り残される人をも救いあげるような発展の方向性があると僕は考えています。それは自分で考えて動く「自律型AI」、例えるなら「ドラえもん」のようなAIです。
そもそも「AIが自分で考えて動く」とはどういうことでしょうか。我々皆が持つ根源的な「死にたくない」とか「生きたい」という目的は、人間に限らず生き物にもともとセットされてるものです。この究極の目的は普段は意識されず、「ちゃんと仕事をしてお金を儲けたい」とか「負けたくない」のように転化して僕らの日常生活でのモチベーションになっています。
自律型AIをつくるにあたっては、同じように設計者がなんらかの目的をAIに与えることになる。『ドラえもん』の作中では「のび太をちゃんとした子にする」という命令がインプットされていますね。「人間を、モラル豊かな、発想力豊かな、お互いを尊重する、……そのようになるように頑張れ」のように命令したら、AIが人間をそのように育んでくれるようになるかもしれません。
SNSが社会に浸透したことで、みんなが同じ情報を得てフィルターバブルに陥るようになり、従来は人々が物理的に密集した状態で勃発する群集心理状態が、物理的な制約を越えて起こるようになってきたように感じています。また、SNSでのタイムラインに情報を表示するアルゴリズムを操作することで、人々の考えを意図的に操作できるようにもなっているようです。
この状況において、我々が自らの意思で対応するのはもはや不可能になりつつあり、唯一の方法は情報インフラとの遮断しかなく、しかし、我々が自らインターネットの接続を切ることができるわけもなく、それができるのは「ドラえもん」のような自律型AIになるのだと思います。
おそらく、自律型AIが実用レベルになると、AIの個人への適応もあわせて進んでいくでしょう。今の生成AIはみんなが同じモデルを利用しているわけで、1つの個性しかありませんが、自律型AIになれば一人一人が自分の相棒AI、僕はバディAIと呼んでいますが、そのようなAIを持つようになる。そして、AIが個人適応するには、IoTからの情報や、バイタル情報をはじめ、普段人が何を見て、何を話し、どこでどんな感情を抱いたのかといった「自分のログ」を収集できることも必要であり、これによりAIがようやく自分のことをわかってくれるようになる。そうなるとAIはもはや長年連れ添った自分の家族のようなものになるのだと思います。「学生から社会人になった」といったライフステージの変化に応じて、AIの反応の仕方も変化していくかもしれません。
包丁は料理のためだけでなく、人を刺すのにも使えてしまうように、道具は、使う人間の度量に適った使い方しかできません。けれども所有者の手を離れて自分で考える自律型AIは、命令通りに動くとは限らない。のび太君が「のどが渇いた」と言うとドラえもんは「飲み物くらい自分で取ってきなよ」と返しますが、こうなるともはや道具ではない。僕らの前に、人間とは別の知性のある生き物が存在しているようなものです。
道具にとって重要なのは精度、正確性、自分の思い通りに動くことです。ハサミなら思い通りに切れないと意味がない。それに対して「ドラえもん」は、言った通りには動いてくれないけれどものび太君から信頼されています。これはどういうことでしょうか?
人間同士の信頼とは、言ったことを絶対にやってくれることではありません。信頼とは、この存在は自分のことを裏切らない、自分のことを思ってくれている、自分から気持ちを奪わないと分かっていることです。人間がAIに対して人と同じような信頼感を感じるとしたら、それは自律型AIでしかあり得ない。
「ロボットと人間が冬山で登山している時に人間が足を滑らせてしまい、その瞬間お互いが手を差し出して手を結んでいる」という、HONDAアシモの開発者が描いた美しい絵があります。人間の方からしたら、ロボットを信頼して命を預けていなければとっさに手をのばせないし、ロボットの方も、常に人のことを考えていないと命令されるより先に動くことはできません。お互いがお互いを思いあっている、「バディ」としての自律型AIが実現できるレベルに、早く到達しなければならないと思っています。
慶應義塾大学理工学部 教授。同大共生知能創発社会研究センター センター長。慶應AIC生成AIラボ ラボ長。博士(工学)。NTT基礎研究所、大阪大学、電気通信大学を経て、2018年より現職。人工知能学会会長。オムロンサイニックエックス社外取締役。マルチエージェント、複雑ネットワーク科学、計算社会科学などの研究に従事。一般向けの著書に『AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性』(2024、KADOKAWA)、『AI兵器と未来社会 キラーロボットの正体』(2019、朝日新聞出版)など。
慶應義塾大学理工学部 教授。同大共生知能創発社会研究センター センター長。慶應AIC生成AIラボ ラボ長。博士(工学)。NTT基礎研究所、大阪大学、電気通信大学を経て、2018年より現職。人工知能学会会長。オムロンサイニックエックス社外取締役。マルチエージェント、複雑ネットワーク科学、計算社会科学などの研究に従事。一般向けの著書に『AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性』(2024、KADOKAWA)、『AI兵器と未来社会 キラーロボットの正体』(2019、朝日新聞出版)など。
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