若者30年変化 Z世代を動かす「母」と「同性」 若者30年変化 Z世代を動かす「母」と「同性」

コラム Z世代大学生による「若者論」

当事者ならではの視点で、若者に起きている変化や
新たな潮流を自由にレポートしてもらいました。

​​​​現役大学生が思う現在の「溜まり場」​

⻄川 脩

⻄川 脩

1.変化する溜まり場

新型コロナウィルスの流行を境に、私たちの生活スタイルは急速に変化しました。気の置けない友達たちとだらだらと時間を過ごす「溜まり場」もその例外ではありません。
私の父に聞いたところ、昔は、部室や公園、友達の家など、人が集まる固定的な場所が「溜まり場」だったということでした。
確かに、私の小さい頃も、公園にはいつでも友達がいて、一緒に遊ぶ「溜まり場」になっていました。では、今の「溜まり場」はどこなのでしょうか?今の大学生に聞いてみたところ、なんと「車の中」や「電車の中」といった移動体が「溜まり場」として、多く挙げられたのです。なぜ、今の大学生をはじめとした若者は移動体を新たな「溜まり場」としているのでしょうか。この記事では、現役大学生世代へのインタビューから、移動体を「溜まり場」とする理由やその背景にある心情について、詳しく探ってみようと思います。

2.移動にコスパ求める時代

「溜まり場」となっている移動体として、最も多く挙げられたのが車の中でした。ここで多くのビジネスマンの皆さんは「若者も車に乗るんだ!」と驚かれたと思います。しかし、京都という地域性もあるかもしれませんが、私の周りには自分で車を所有したり、親の車で出かけている大学生も多数いるのです。

「溜まり場は車の中だ」と答えた人の中には、なんと車中で友達と話している様子をSNSで生配信するインスタライブをよくしている、という人までいました。なぜ車の中が「溜まり場」となり、さらにインスタライブをする場所にまでなっているのでしょうか?

彼らからは、「特に行きたいところがなくてもまずクルマに乗って、近況報告や他愛もない会話をしながら行きたいところを考える」「実際に会話をしながら目的地に移動できるのは、効率がいい」といった答えが返ってきました。また「騒音や大声などへの監視の目が厳しくなってなかなか外で言いたいことを気兼ねなく話すことがしづらくなってきたから」という声もありました。

今の若者の特徴として、コスパ(コスト・パフォーマンス)やタイパ(タイム・パフォーマンス)重視だ、ということがよく語られていますが、効率性、生産性、合理性を求めるそうした傾向が「溜まり場」にも求められているのかもしれません。ただ会話をしているだけだとコスパやタイパが悪く、無駄な時間を過ごしている感覚が強くなるので、その時間に目的地の決定やそこへの移動、インスタライブなどの複数のことを同時に行うことで、「溜まる」ことの効率を上げているようです。
車の中で会話したり、インスタライブをしている最中でも、後部座席に座っている人はスマホをいじっている、というようなことも普通です。同じ車の中にいても、各々が別のことをしながら過ごしているのです。みんなで同じことをするより、各々が好きなことを別々にした方が効率的、ということなのでしょうか。

また、別の背景として「規制の厳しさ」があります。最近では近所迷惑な人の動画をネットにアップし、その様子を非難することもよくあります。かつて「溜まり場」として多く挙げられていた公園などでも、大声で喋っていると気づかないうちに知らない人に動画を撮られ、ネットに晒されてしまうのではないかという不安があるのです。そのため、手軽な密室空間で、ある程度のプライバシーを保つことができる車の中を「溜まり場」としている面もあるようです。
ネットの普及により、過剰に周りの目線を気にするようになってしまったことも車の中が「溜まり場」になっている背景の一つなのではないでしょうか。

3.時間に制限があるのがいい

インタビューでは「電車の中」や「駅のホーム」といった鉄道関連の公共の場を「溜まり場」として挙げる若者もいました。その理由を訊くと「沈黙は気まずいが、(駅のホームや電車の中では)時間に制限があるので、(どれくらいの時間話さなくてはいけないのか)計算しやすく喋る内容に困らない」など、あえて時間に制限があることが「溜まり場」として適しているから、という意見が返ってきました。
かつての「溜まり場」では沈黙の時間があることは当たり前で、それも含めて気まずくならない程度にだらだらするのが暗黙のルールでした。ところが今の若者たちは、先ほど述べたように、周りの目線を過剰に意識していることもあり、「溜まり場」であっても、沈黙は効率が悪い上に、周りから見たら仲悪そうに映るんじゃないかと、気まずく感じてしまうようなのです。
電車の中はそんな今の若者にとても相性の良い「溜まり場」であると言えます。電車では、話す時間が自分か相手の最寄り駅までという時間制限と、そこまでなら話そう、という目標があり、会話のペースを調整しながら会話ができるのです。(何度か一緒に帰っていると、どの辺りで別れるのかもわかるため、そこまでの会話の流れを考えるのが楽になります。)もし会話が盛り上がって、もっと話したいことがあれば、「延長戦」のような形で電車から降りて駅のホームで引き続き溜まればいいわけですからね。
溜まる場所だけでなく、人数も変化しています。昔の「溜まり場」は公園に大人数でたむろしたり、部室で部員数人で溜まるなど、大人数であることがひとつの条件だったと思われますが、今の「溜まり場」はむしろ少人数で集うことが多いように感じます。

4.今の溜まり場とは

最後に一番印象に残った「溜まり場」となっている「移動体」をご紹介したいと思います。それはレンタル型の電動キックボードです。

これは主に京都市内で生活していたり、車を持っていない大学生の声でした。具体的なシチュエーションで言うと、例えばバイト先から帰る時、自転車で帰宅する友達ともっと話したいと思ったとします。しかし、自分は徒歩で帰るから、一緒のスピードで駅まで向かえない…そんな時、街角に設置されている「LUUP」をレンタルして、同じスピードで移動しながら、まるで溜まり場で話しているように、友達とだべりながら帰る、ということでした。
活用の方法は、前述の電車の中で話が盛り上がって、もっと話したい時に駅のホームで引き続き溜まって話すのと似たような感覚がありそうです。

しかし、駅のホームと違うところは、より明確に時間に制限があることです。駅のホームで溜まる場合は、誰かが「帰ろう」と言わない限り帰れないという場合もありますが、LUUPと自転車の場合は、そういった気まずさを気にしなくて良い点がメリットだということでした。
「一緒に話しながら帰るため」というのは、本来の「LUUP」の使い道ではありませんが、サービスの機能の一つとして紹介しても面白いかもしれません。

バイト先が一緒なら、バイト先かバイト先のお店の前などで溜まればいいのではとも思いますが、「自分が溜まりたいからと言って、相手も必ず溜まりたいと思っているとは限らない。自分が時間や効率を考えていなくても、相手はそれを求めているかもしれないから引き止めづらい。」ということでした。
若者が全体的に「コスパ」や「タイパ」を求める中、ある一つの場所に留まるという従来の溜まり場の形は、今の若者たちにとっては贅沢で、勿体ないと感じられてしまうもののようです。その上、SNSの普及で、多くの人に、ある程度のプライベート空間を作りながら、溜まることができる移動体が、若者の新たな溜まり場として適しているのかもしれません。

いかがだったでしょうか。時代とともに「溜まり場」は「固定の場所」から「移動体」に変化し、それに伴って溜まり場の存在意義も変化していることがわかりました。
しかし、これだけオンライン化している世の中でも、溜まり場は決して消滅したわけではないのです。時代の変化とともに進化しているのです。引き続き、溜まり場がどのような進化を遂げていくのか、調査を続けていきたいと思います。

コラム Z世代大学生による「若者論」

本論とは異なる視点で、若者たちに起きている変化や
新たな潮流を自由にレポートしてもらいました。