有識者インタビュー Interview

本郷 峻 氏

京都大学アフリカ地域研究資料センター
特定研究員

霊長類の社会構造に興味を持ち、霊長類最大の集団をつくって生活するマンドリルを対象に、社会生態学的研究を行う。2018年度からは、フィールドをカメルーン共和国の南東部熱帯林に移し、哺乳類の密度推定と個体群生態学の研究に従事。

ヒトが意思疎通できるのは
白目の大きさのおかげ?

わたしたちヒトは、ふだんの行動範囲の外によく出かけていきます。当然、見知らぬ相手ともよく出会います。そんな場合でも、すぐに相手を避けたり敵意を見せたりするとは限りません。むしろ、会ったその日に意気投合して仲良くなることさえあります。実は、これほど初対面の相手に寛容になれる霊長類は、ヒト以外にはいないんです。

このような高い社会性は、ヒトの生存戦略として進化してきたと考えられています。私たちは身体的に非常に未熟です。胎児期から生後数年までは、身体の発達が遅れるのを犠牲にして、エネルギーの大半をまず脳の発達に使います。その後ようやく身体が成長します。なので、誕生時には母親に自力でしがみつけないほど貧弱で、大人になっても筋力は他の類人猿よりも弱いままです。

だからヒトは、食料を得たり、子育てしたり、天敵から身を守ったりするために、大人数で協力し合うことが生存の前提になっているんです。その為には見知らぬ相手でもすぐに避けるのでなく、「信頼できるか、できないか」を見極めながら付き合っていく必要があったのではないでしょうか。

相手の信頼性を見極めるために、私たちが手掛かりにしているものの一つが目です。ヒトの目は他の霊長類に比べて横長で、白目の部分が多いのが特徴です。この大きな白目のせいで、視線の動きを他人に読まれてしまいます。相手が自分と目を合わせて話しているのか、逸らされているのかが、すぐにわかってしまうのです。反対に、自分の意思や情動を伝えやすくなっているとも言えます。相手をうまく推し量って、他者との意思疎通をスムーズにできるように、白目が進化してきたのでしょう。

オンラインのやりとりでは
「相手を推し量る力」が発揮しにくい

コロナ禍の影響で、リモート会議など、オンラインのみで他者とコミュニケーションをする機会が増えています。オンラインであっても、リアルな空間と同程度の情報量が得られるならば、コミュニケーション上は問題がないはずです。しかし現状では、不自然に切り取られた視覚情報と音声が中心になっているので、ヒトの持つ「相手を推し量る力」が発揮しにくい状態になっています。

上述の視線を通じた推察も行いにくいですし、三人以上で話していても、必ず「自分と相手」の二者間コミュニケーションになってしまう点も問題です。ヒトを含めた類人猿は、サルと比べて第三者どうしの“三人称”の関係把握に長けていると言われています。AさんとBさんのやりとりを第三者として見ることで、二人の関係や意思を推察して自分の振る舞いを調整できます。これは他者間のコミュニケーションを様々な角度から観察することで発揮される能力です。オンラインだと、リアルな空間のやりとりに比べて場面の多様性が低くなってしまい、どうしてもそれらの手がかりは得にくくなってしまいます。

すでに信頼関係のあるよく知った間柄であれば、オンラインだけでも問題ないのでしょうが、初めて会った相手の場合には、実像からはずいぶん歪んだイメージで相手を捉えてしまうリスクもあるのではないでしょうか。

未来の「リモート・ネイティブ」世代が抱えうるコミュニケーション上のリスク?

もしもこの先、他者とのやりとりがオンライン主流になったらどうなるか。可能性のひとつとして、「相手を推し量る力」が発揮されにくくなるかもしれません。

たとえば鳥のなかには、美しく歌う能力を遺伝的に持っていても、まわりの大人の歌声を聴いて学習しないと、うまく歌えるようにならないものがいます。生得的な能力も、生活の中で実践する機会がなければ、うまく発揮できないわけです。ヒトの「相手を推し量る力」も遺伝的な生まれつきの能力ですが、日常生活でそれを学んで使う機会がないと、十分発揮できなくなってしまうかもしれません。

将来、「リモート・ネイティブ」なんて呼ばれる世代が出てくるかもしれませんが、これが「リモート・“オンリー”・ネイティブ」になってしまうと、リアルとオンラインとを「うまく使い分ける」という意識も持ちづらくなるでしょう。リアルで接する人の数が限られれば、他者とのコミュニケーションを通じて相手を推察して信頼性を見極める、という経験を積みにくくなってしまうのです。

そうなると、初めて会う人とトラブルがあったときなど、他者との関係を自分でうまく解決できないということが頻発するかもしれません。今の私たちが「大人なら自分でできること」と考えていることが、すべて行政システム任せになってしまったら、悲しい社会だと思います。
リモート会議システムなどの技術自体は、選択肢を増やすとても良いことだと思います。問題は、選択肢を増やすはずの技術に過剰に順応してしまい、反対にオンライン以外の選択肢がない暮らしになってしまうことです。

他者との協働が日常のアフリカ社会
協働機会が乏しい日本社会

私は霊長類や野生動物の研究のために、アフリカのガボンやカメルーンで延べ4年くらい生活してきました。これらの国では、都市であっても停電や断水が頻繁に起こり、マラリアなどの熱帯病があって、生活での不便は日本とは比べ物になりません。しかしそのぶん、ちょっとした他人との助け合いが、都会であっても成立しているんです。トラブルこそが日常で、それが人をつないでいる。見知らぬ人どうし、助け合うのが当たり前になっているんですね。

一方、日本に帰ると、暮らしは便利だし面倒なことが少ない。他人とほとんどコミュニケーションを取らずに、暮らしが成立するんです。でもそれは便利な反面、日常のなかに、他者と関わり相手を推し量って協働する機会が乏しい社会とも言えます。

上述のオンライン化の加速とも相まって、こういう機会をどうつくっていくかが、これからの日本社会にとって大事になってくるような気がしています。

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