少齢化社会 博報堂生活総合研究所 みらい博 2023

Part 2 消齢化の背景

消齢化が進む要因には、3つのベクトルが働いていました。

前パートでは、日本社会で長期間にわたって
消齢化が進んでいることを説明してきましたが、
ここでひとつの疑問が浮かびます。
そもそもなぜ、消齢化は進んでいるのでしょうか。
生活総研では、年代による違いが小さくなっている
「生活定点」の調査項目の読み解きや外部有識者との議論を重ねながら、
消齢化が起きている背景を探りました。
その結果みえてきたのは、
消齢化は単一の要因によって起きているわけではなく、
大きく「3つのベクトル」が働くことで起きている現象であるということ。
複数のベクトルがもたらす作用であるため、
消齢化は一時的な“トレンド”では終わらず、
時間とともに着実に進行してきたのです。
3つのベクトルがそれぞれどのようなものなのか、
ひとつずつ紐解いていきましょう。

消齢化社会
消齢化が進む要因

価値観の変化 「すべき」が減った 価値観の変化 「すべき」が減った

出典:博報堂生活総合研究所「生活定点」調査

消齢化が進む要因となっている3つのベクトル。
ひとつめは、価値観の変化における、「すべき」が減ったというベクトルです。

大きかった“隔たり”

生活総研が最初の「生活定点」調査を行ったのは30年ほど前の1992年。当時、親子・夫婦のあり方や仕事への向きあい方など、生活の基本となる考え方には、 「こうすべき」「こうあるべき」という保守的・伝統的な価値観がまだまだ根強く、個人の自由な生き方が許容されにくい時代でした。
その価値観を比較的強く有しているのが、当時の50・60代。1923〜1942年の間に生まれており、戦前の社会環境に身を置き、戦争という厳しい出来事を経験した世代です。これに対して、個人の自由を重視する考え方を持っていたのは当時の20・30代。1953〜1972年の間に生まれた、戦争を知らない世代にあたります。戦前からの伝統的価値観が支配的な状況下で、戦後生まれの若者たちが自由を求め反発する、親子同士でも考え方に大きな隔たりがある―そんな社会の構図がありました。

1990年の人口ピラミッドの図 1990年の人口ピラミッドの図

世代交代で進む“共有”

しかし時間経過とともに世代交代が進みます。社会から高齢層が少しずつ退出していき、自由な生き方を重視していた当時の20・30代が、今の50・60代になりました。新たに加わった20・30代は1983〜2002年生まれ。上の年代とこの年代には、戦争体験の有無のような大きな隔たりはありません。加えて、みんなが「失われた30年」という、良くも悪くも変化のない時代を長く共有したことが、年代による大きな価値観の変化や対立を生みにくくしているようです。
それらの結果、今では生活者全体が「こうすべき」という伝統的な価値観から脱却していき(=「すべき」が減った)、個人の自由を尊重する生き方へとシフトすることになりました。
「若者は、考え方が進んでいる」
「高齢者は、古い価値観に囚われている」
年代によるそんな価値観の違いや特徴は、消えつつあるのです。

2020年の人口ピラミッドの図 2020年の人口ピラミッドの図
有識者がみる消齢化 有識者がみる消齢化

消齢化をもたらした「世代効果」に注目。価値観の異なる世代が退出し 似たような社会経験をした世代にそろってきている 消齢化をもたらした「世代効果」に注目。価値観の異なる世代が退出し 似たような社会経験をした世代にそろってきている

吉川 徹 氏

大阪大学大学院
人間科学研究科 教授
社会学者

「生活定点」調査の年代間の価値観の差が縮まっている項目には、「価値観を変えない戦前生まれ世代の退出」「団塊の世代の、社会の平均への歩み寄り」そして「団塊ジュニア以降の世代の価値観の同質化」という3つの変化によって説明できるものが多い印象を持ちました。
3つめについて「団塊ジュニア以降の世代」として少し広めに50代から20代までを取ってみると、この広い年代の価値観がだんだんと同質化して、違いが小さくなっていることがみてとれます。
この世代の価値観が同質化している理由は、今の20代から50代までが、大体同じような時代を生きてきたことにあります。学歴を例に取ると、今の18歳の大学進学率(ここでは、4年制大学および短期大学への進学率)と、彼らの親世代の大学進学率はほぼ同等です。18歳の平均身長と親世代の平均身長もほぼ同じです。それに、実は今の50歳はバブル後に社会に出た世代ですから、経済成長しない停滞した日本を生きてきた意味でも若い世代と同様なのです。
20代から50代というと、会社なら同じオフィスに勤めているほぼ全員がその年齢幅に収まります。同じような生活経験をしたシニアと、同じような生活経験をした若年世代が一緒に日本社会を構成する時代になり、異なる価値観の衝突が少なくなったことは、社会的に強い力だといえるのではないでしょうか。

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生活者がみる消齢化 生活者がみる消齢化

Q.10~20年ほど前と現在の社会を比べたとき、年代によって日常生活での考え方や行動の違いは小さくなっていると思いますか?大きくなっていると思いますか? Q.10~20年ほど前と現在の社会を比べたとき、年代によって日常生活での考え方や行動の違いは小さくなっていると思いますか?大きくなっていると思いますか?

例えば20年前の60歳くらいの人と今の60歳くらいの人では同じものごとに対してもまったく意見が違う。「昔ながら」にこだわらず、どんどん新しいやり方を提案したり実行したりしている感じがする。(49歳女性)

若い人の気持ちを理解しようとする人が増えたように感じるため。(39歳男性)

子育てでも「こういうもんだ」と上から押し付けられていたこともあったけど、今は逆に自分自身は余計な口は出さないようにしているから。 (60歳女性)

職場など周りの様子を見ていると、親子ほど年齢の違う人たちが協力しあい、わかりあおうと努力しているから。(59歳女性)

昔は親子で一緒に楽しむ時間もなかったと思うが、今は親子でものごとを共有したりしてお互いを尊重しあえているから。(47歳女性)

「今どきの若い子は……」などの言葉を聞かなくなった。(36歳男性)

ジェネレーションギャップは未だあるものの、中年、高齢者でも寛容な考え方をする人が少なくないと感じる。若い世代はそもそも違いを受け入れる特徴の大きい世代だと思う。(25歳女性)

出典:博報堂生活総合研究所
「違いの実感」に関する意識調査[第2回]
消齢化が進む要因

能力の変化 「できる」が増えた 能力の変化 「できる」が増えた

出典:博報堂生活総合研究所「生活定点」調査

消齢化が進む要因となっているベクトルのふたつめは、
能力の変化における、「できる」が増えたというベクトルです。

“若さ”を増した生活者

「人生ゴムバンド」という考え方があります。ジャーナリストの山根一眞氏が唱えていたもので、例えば寿命が70年の時代での70歳の人は、寿命が100年の時代での100歳の人と、年齢の感覚としては同じような段階であると考えるものです。
医療技術や生活水準の向上によって、生活者の平均寿命も伸び続けており、約30年前(1990年)では男性75.92歳・女性81.90歳だったのが、直近2021年には男性81.47歳・女性87.57歳になりました。 「人生ゴムバンド」説に照らして考えるならば、現在の60歳は1990年時点の60歳と比べて、寿命が伸びている分、能力的にはいくらか“若い”ということになります。加えて「人生100年時代」の意識浸透や、年金支給開始年齢の引き上げなど現実的な状況も相まって、上の年代の生活者は、気持ちの面でも“若さ”や“生涯現役”の意識が増しているようです。

「人生ゴムバンド」の考え方 「人生ゴムバンド」の考え方

生活の“手段”も増えた

また、インターネットやスマートフォンが普及したことで情報コストは大きく下がり、デフレが長引くなかで様々なものやサービスが安価に提供されました。若い年代でも上の年代でも、求めている情報・もの・サービスに容易にアクセスでき、生活上の利便性を享受できるようになりました。
現在80代後半のある女性は、81歳になってから専用サイトやSNSから得た知識をもとに、独学でアプリの開発に成功しています(「みらい博2021 4つの信頼」より)。
いま、生活者全体の“若さ”は増し、暮らしを便利にしたり、新しく何かを始めるための手段は、年代に関係なく等しく開放されています(=「できる」が増えた)。
「若者は、アクティブで、便利なサービスや情報を使いこなしている」
「高齢者は、元気がなく、新しいサービスや情報についていけない」
そんな、年代による能力の違いや特徴は、消えつつあるのです。

消齢化が進む要因

好み/関心の変化 「したい」が重なった 好み/関心の変化 「したい」が重なった

出典:博報堂生活総合研究所「生活定点」調査

消齢化が進む要因となっている3つのベクトル。
最後は、好み/関心の変化における、「したい」が重なったというベクトルです。

広がる生き方の選択肢

ここまでみてきたように、若い生活者も上の年代の生活者も、以前の時代と比べて自由な生き方へのしがらみが減り(= 「すべき」が減った)、自由な生き方への手段は増加しました(= 「できる」が増えた)。これは言い換えれば、全年代を通じて、生き方の選択肢の幅が広がった、ということ。生活者たちは、一人ひとりの状況や欲求に合わせて、自分たちの「したい」を追求しはじめました。
例えば下図は、「女性が第一子を出産したときの年齢構成比」について、時代ごとの変化をみたものです。1975年時点では、25歳前後に集中していた第一子出産年齢ですが、時代経過と共にグラフのピークが低くなり、右方向へと推移していることがわかります。これはつまり、出産・子育てというライフステージと年代/年齢とのつながりが希薄になっているということを意味します。「若い年齢での出産」という旧来の「すべき」にとらわれず、生き方の選択肢が広がったことが、この変化のおおもとにあります。

第一子出産時の母親年齢の構成比 第一子出産時の母親年齢の構成比

自由な「したい」の追求で生まれる“重なり”

このようなライフステージと年代/年齢との関係希薄化は、出産・子育てだけにとどまりません。家族関係も、仕事も、学びも、何度も繰り返したり、やり直したりできるイベントになっています。
生活者が型にはまった「年相応」にとらわれず、自分の「したい」を追求しはじめた結果、同じ年代の生活者同士でも、ライフステージや、嗜好、欲求のバラツキは大きくなりました。そしてその動きは同時に、年代の異なる生活者との“重なり”を生むことにもなりました。
「若者は、お酒が好きで、ファッションに関心が高い」
「高齢者は、健康のためお酒は控え、ファッションへの関心は薄い」
かつて言われていたような、そんな年代による好み/関心の違いや特徴は、消えつつあります。個人が自由に「したい」を求める動き、すなわち、一人ひとりの「個」の追求が、奇しくも年代間の好みや関心の違いを小さくすることにもつながったのです。

有識者がみる消齢化 有識者がみる消齢化

「社会的加齢」が消え、個人の生き方が流動化したことが消齢化につながっている

常見 陽平 氏

千葉商科大学 国際教養学部
准教授
働き方評論家

消齢化、すなわち人びとの年代ごとの違いが消えつつあるということは、加齢の概念が変わってきていることを意味すると思います。
加齢には3種類あり、それが「肉体的加齢」と「精神的加齢」と「社会的加齢」です。 「肉体的加齢」と「精神的加齢」については、現代は医学の発展により歳を取っても若々しく健康的で、精神的にも若いままでいられます。そしてこのふたつ以上に大きいのが、社会における加齢意識の消失です。
かつては会社勤めの男性ならば「40代になったら課長くらいにはなれる」という青写真が描けていました。しかし、そんな年功序列社会は平成の30年間でかなり崩れました。年齢が上がれば上がるほど社会的地位も上がる、という社会ではなくなった現在は、言い換えれば、歳を取ったからといって必ずしも年長者然として振る舞わなくとも許される空気感があります。若い頃と同じように恋愛をしてもいいし、煮魚よりもハンバーグの方が好きでいい。アニメを見ることやマンガを読むこと、アイドルのファンでいることから卒業しなくとも、何も言われなくなりました。これもまた「社会的加齢」の消失によって生まれた現在の中高年の姿です。
「社会的加齢」が消えつつあるこの社会で、人びとの価値観や生き方を、年齢や世代によって区別するのはもはや難しいのかもしれませんね。

インタビュー全文を読む
生活者がみる消齢化 生活者がみる消齢化

Q.10~20年ほど前と現在の社会を比べたとき、年代によって日常生活での考え方や行動の違いは小さくなっていると思いますか?大きくなっていると思いますか? Q.10~20年ほど前と現在の社会を比べたとき、年代によって日常生活での考え方や行動の違いは小さくなっていると思いますか?大きくなっていると思いますか?

70歳近い人がまだ働いていたり、年齢によるファッションの違いに大きな差がなくなってきていると思います。(49歳男性)

最近はお年寄りでも元気な人が多く、若者がやるようなゲームをする人もいるから。(52歳女性)

昔のものが今流行りだしたり、SNSを通じて広まりやすくなっているので、みんなが認識しやすくなっていると思う。(25歳女性)

年功序列も徐々に減ってきて、また退職の年齢も上がってきており、年代による壁も減ってきたのではと感じる。(22歳男性)

SNSの発達で若い人の考え方や流行に触れられるようになったから。(31歳男性)

年齢に関係なく、したいことをするという考えが一般的になってきた。(56歳女性)

プチプラの化粧品や服を、歳を取った人が使っても受け入れられる傾向にあると感じたからです。(31歳女性)

出典:博報堂生活総合研究所
「違いの実感」に関する意識調査[第2回]
さらに【消齢化】が進む未来。社会は、生活者は、どう変わる?

ここまで消齢化が起きている背景について説明してきました。
前述の通り、消齢化は3つのベクトルが複合的に組み合わさって生じている
現象であるため、その動きは一時的なトレンドにはとどまらず、
数十年単位の長期的な潮流になっています。
日本は、過去に比べてかなり消齢化が進んだ「消齢化社会」であると
いえますが、消齢化は今もなお“現在進行形”の現象であり、
3つのベクトルが大きく変わらない限り、
この先もしばらく続いていくものと考えられます。
大阪大学の吉川徹教授は、この先の日本社会の見通しについて
次のように語っています。

“2032年には1940年代後半生まれの「団塊の世代」が社会から
退出しはじめます。右肩上がりの日本社会を生きた世代が去ると、
残された現役世代は、バブル期以後の高原期、あるいは閉塞期の日本社会
しか経験していない人たちだけで占められることになります。
そのとき、本当の意味で「高度経済成長期が終わった」といえるでしょう。”

このことが意味するのは、個々の生活者が体験した時代のバックボーンが
さらにそろうことで、消齢化の要因のうちベクトルA(「すべき」が減った)は
今後いっそう強まり、年代ごとの生活価値観の違いがさらに小さくなっていくということ。
消齢化の流れは減速するどころか、ますます加速する可能性があるということです。

もしもこの先、消齢化がさらに進んで、年代/年齢に紐づく違いや特徴が本格的に消えていく「超・消齢化社会」が訪れるとしたら。
かつては存在していたはずの、典型的な若者も、典型的な中年も、典型的なお年寄りも、マンガやドラマのなかだけの存在になってしまうのだとしたら。
私たちの社会は、暮らしは、どのように変わっていくのでしょうか。
最後のパートでは、消齢化がさらに進んだ、未来の日本社会を展望します。