「Get Wild退勤」には、
「身体性回帰」「再帰性」「感情労働」という
社会的背景がありそうです
小川豊武(おがわ・とむ)
日本大学 文理学部 准教授
日本大学 文理学部 准教授
楽曲の好みが現代では極めて細分化されていることもあり、じつは音楽社会学の分野では、一つひとつのヒット曲から人びとの価値観を析出するのは極めて難しいということが共通見解になっています。しかしそれを踏まえた上で敢えて、生活総研の資料をもとにヒット曲と働く価値観の変遷をみていきましょう。
「24時間、戦えますか」で有名なリゲインのCMソング(「勇気のしるし〜リゲインのテーマ〜」 牛若丸三郎)が出たのが1989年で、1999年には(同じく「リゲイン」ブランドのCMに使われた)坂本龍一さんの『energy flow』が出ています。その後も『image』(インストを集めたコンピレーションアルバム。2000年)や女子十二楽坊(中国の伝統楽器によるインストグループ。2003年に日本進出)といったいろいろなインストゥルメンタルの音楽が流行しています。このように2000年前後には「音楽をヒーリングに使う」流れが生まれてきたと思います。木島由晶先生(桃山学院大学)が「音楽のサプリメント化」 について指摘されています[1]が、これらの音楽の流行はまさに「サプリメント化」の広がりといえるでしょう。
2000年代のもうひとつの傾向として、「ピクミン」のCMソング(ストロベリー・フラワー『愛のうた』。2001年)やエレファントカシマシの『俺たちの明日』(2007年)のような、現状の労働環境を概ね受け入れた上で、「そのなかでなんとか頑張っていこう」というスタンスの楽曲が出てきたことがあり、「現状を変えよう」「現状から退却しよう」といったスタンスの楽曲はあまりみられませんでした。
しかし近年のAdoさん(2020年にメジャーデビュー)ぐらいになってくると明確に変化がみられ、現在の組織や社会体制に反対するスタンスが出てきます。
90年代以降、主にインターネットのなかで、会社に縛られて働くことを揶揄したり、自虐・自嘲したりする文脈で「社畜」という言葉が使われるようになりました。これはネット文化に特徴的な「なるべくなら一生懸命働かず、最小限の努力で成果を上げよう」というスタンスや、民間企業や公務員といった従来主流だった働き方を相対化する動きと親和性が高く、その帰結がAdoさんに代表されるヒット曲にも表れている といえるかもしれません。音楽と労働観の変遷は、このような歴史的なスパンから捉えるのが良いと思います。
ところで、元々批判としての意味合いが強かった「社畜」という言葉が、近年ではSNSのアカウント名として自称されたり、アニメの題名にも使われているというのは面白い現象です。自ら「社畜」と名乗るのは自虐・自嘲としての行動ですが、それでは自虐とはどのような行為なのか、「言語行為論」という立場を参照して考えてみます。
「この部屋、暑いですね」と言うことには、「この部屋は気温が高い」と表明しているだけではなく「エアコンの温度を調整してくれ」と依頼している面があるように、言葉を発することを「行為すること」として捉えるのが言語行為論です。この立場から考えると、自ら社畜を名乗ることには、まず「お前は社畜だ」という人からの批判をあらかじめ防衛する働きがあります。そして「自分自身が社畜だと自覚した上でやっているんだ」と、判断能力を持った人間としての自己像を提示することにもなります。自分が自慢したいことを直接的に口にすることで起こる周囲との摩擦を、一旦自虐を挟むことで低減する働きもあるでしょう。
生活総研が注目している「Get Wild退勤」(※)という現象には、いくつかの社会的な背景があると考えられます。(※会社から退勤する際に、テレビアニメ『シティーハンター』(1987年)でエンディングテーマとして使われた TM NETWORKの楽曲『Get Wild』をイヤホンで聴いて気分をあげること。2020年頃からTwitter(現・X)を中心にネットミームになっている)
まずひとつ目は「身体性を伴った音楽の聴き方への回帰」です。音楽に関する歴史社会学の議論では、元々民謡や盆踊りのように「身体を動かしながら聴く音楽」が主流だったところに、後からクラシック音楽のように、身体を動かさないで行儀よく聴くタイプの音楽が生まれてきた……といわれています(参考・渡辺,2012 [2])。 少し前のCDが主流だった時代(注・はじめてCDプレーヤーが発売されたのは1982年)にも、部屋でミニコンポで聴くなど、ひとりで静かに聴く割合が大きかったでしょう。
しかし近年その傾向が退潮しています。音楽社会学者の小川博司先生(関西大学名誉教授)は、音楽による身体性が近年再上昇してきていると指摘しています。実際マーケティングの世界では、いわゆる「モノ消費からコト消費」の流れで、フェスで身体を密着させたりモッシュライブで身体を動かしたりしながら楽しむような「身体的な聴き方」が広がっているという議論もされていますが、仕事という極めて身体的な活動とともに音楽が聴かれる「Get Wild退勤」もその流れに位置づけることができるでしょう。逆にいうと、身体性を伴わない音楽の聴き方のほうが、歴史的にある一時期の出来事に過ぎなかったと捉えることができます。
ふたつ目の背景は、社会学者のアンソニー・ギデンズ が提唱した「再帰性」という概念です。
90年代以降、社会が流動化したことで、人びとは絶えず外部環境をモニタリングし、自分自身のあり方を修正していくようになったというのがギデンズの議論です。私自身は、そんなのはずっと前からあったことだと考えており、ギデンズの議論には留保がありますが、大きな説明力を持った理論ではあります。
再帰性には大きく二種類あります。ひとつは「認知的再帰性」といわれ、「今の社会環境はこうなっているから、自分もこのように外部環境に合わせよう」という、どちらかというと言語的・論理的な態度です。もうひとつはスコット・ラッシュという社会学者が唱えた「美的再帰性」です。これは難しい概念ですが、言語に回収されない、イメージの類型や模倣を駆動力にした再帰性で、音楽と美的再帰性の関連について南田勝也先生や木島由晶さんも指摘しています。
「Get Wild退勤」の話を聞いて、おそらく歌詞というよりも曲についているイメージによる現象であって、後者の「美的再帰性」に関係しているような気がしました。『シティーハンター』のアニメが終わりに向かうと『Get Wild』の曲が被さり、夜の街のエンディングアニメへと移り変わる。 そういったイメージ的な類似性をもって、自分自身の仕事に対して何かしらの反省をし、ポジティブな影響をもたらしている「Get Wild退勤」は、「真実か虚構か」という視点とは異なる、「イメージとして望ましいかどうか」という美的再帰性的な観点で駆動している側面があるように思えます。
ただし「Get Wild退勤」をした翌日には、「紅蓮の弓矢(アニメ『進撃の巨人』の主題歌 Linked Horizon)出勤」があるとのことで、こちらはわりと歌詞に注目された現象でしょうから、「イメージによる駆動」という説明にも一面的なところがあるかもしれません。
3つ目の背景は、労働のあり方が「感情労働」へと変わってきていることです。社会の第三次産業化が進むにつれて、身体的な技能とは別の技能が労働者に求められるようになりました。社会学者のエヴァ・イルーズの議論を参照すると、ビジネスの世界でよく「知識が資本になってくる」といわれますが、同じようにサービス労働では「感情の管理」が資本として重要です。そして近年、サービス産業以外のあらゆる産業でも感情管理が必須スキルになりつつあります。というのも、以前は顧客への対応の際に感情管理が求められていましたが、昨今は「コミュニケーション能力」や「アンガーマネジメント」といったように社員同士のやりとりでも感情管理が求められるようになったからです。 (参考・山田陽子,2019[3])
さきに挙げた小川博司先生は、「今日、音楽は自分の感情をマネジメントするために意識的に選曲され聴かれている」と述べています[4]。「Get Wild退勤」を最初に投稿した方は美容師さんとのことで、まさに感情労働を行っている職業です。 その投稿が多くの共感を呼んでいる背景には、現代社会における、仕事のあらゆる側面で自分自身の感情を管理し、モチベーションを上げないといけない潮流があり、そのために音楽が使われるようになったという側面もあるはずです。
職場における感情管理については、事業者に対して従業員のストレスチェックが義務づけられるなど「上司や組織がやるべきだ」という流れがある一方で、「自助努力でやるべきだ」という流れも非常に強い。そのひとつの表れが、仕事を乗り切るためのちょっとした工夫、すなわち「ライフハック」です。
元々ライフハックは、情報系のエンジニアの納期が厳しくストレスフルなシステム構築の仕事のなかで広まったもので、インターネット文化とも親和性が高い。2000年代に広まった初期のライフハックの代表的なものにGTD(Getting Things Done)があり、これは「余計なことを考えず頭を空っぽにするために、タスクを全部書き出しましょう」という仕事術です。このような、仕事の複雑さ・大変さを個人の自己啓発やライフハックで対処しようとする流れのなかに「Get Wild退勤」も位置づけられるでしょう。
私は普段、「最近の若者は」というよくある印象論を、社会調査をもとに反証しつつ、そのような「若者語り」が生まれてくる社会的な背景に興味をもって研究しています。
その立場からいうと、「働かない若者」みたいな言説は、様々な時代に繰り返しいわれてきたことです。1970年代の若者は「しらけ世代」といわれ、70年代の後半には「モラトリアム」という言葉が生まれました。2000年代に「ニート」 という言葉が出てた時にも「最近の若者は働くことから完全に撤退しようとしている」と批判されました。その後もゆとり世代論~さとり世代論と名前を変え、各時代の年長者は判を押したように「働かない若者」「意欲のない若者」への嘆きを口にしてきました。「静かな退職」に関しては、アメリカや中国で同じ傾向が出てきているのでグローバルな傾向という側面もあるのでしょうが、過去を振り返れば似たような話はいくらでも探せるはずです。
ただし、例えばハラスメント意識やジェンダー意識については若者世代と年長世代の間で明確なジェネレーションギャップがあるように、若者の意識が本当に変化している分野も存在しているはずです。
例えば私たちのグループが2022年に行った若者向けの調査のなかに「自分の気持ちを変えるために、曲を選んで聴く」という質問項目があり、中年層よりも若年層の方が如実に高い結果になっていました。ちなみに同じ調査ではアメリカおよび韓国との比較も行っており、この項目では日本よりもアメリカ・韓国のほうが高いという結果になっています。「Get Wild退勤」的な行動はアメリカ・韓国のほうが広がっているのかもしれません。
また、私たちの調査では、「自分が何かする時、SNS上での反応を気にすることがある」「SNSで、誰が自分の投稿を見ているのか気になる」 と回答した人ほど「自分の気持ちを変えるために音楽を聞く」と回答する相関関係もみられました。ソーシャルメディアは、誰と誰とがネットワークでつながっているかを可視化し、友人関係を数値によって管理可能にします。自分自身が投稿した内容にどれだけ肯定的、あるいは否定的な反応がされるかもすべて可視化されます。
このようにソーシャルメディアは再帰性を極めて高めますから、労働と再帰性が結びつくにあたってもソーシャルメディアの台頭の影響は非常に大きいのでしょう。先の調査結果から、SNSにおける再帰性と「Get Wild退勤」的な行動とはかなり重なっていると示唆されますし、外からの批判を封殺し、自分上げをするために「社畜」と自虐的に名乗ることも、ソーシャルメディアのプラットフォームを前提にした行動という面がありそうです。
[1]木島由晶,2016, 「Jポップの20年――自己へのツール化と音楽へのコミットメント」『現代若者の幸福 : 不安感社会を生きる』恒星社厚生閣,45–69.
[2]渡辺裕,2012,『聴衆の誕生 : ポスト・モダン時代の音楽文化』中央公論新社.
[3]山田陽子,2019,『働く人のための感情資本論 : パワハラ・メンタルヘルス・ライフハックの社会学』青土社.
[4]小川博司,2019,「はじめに」南田勝也ほか編著『音楽化社会の現在 : 統計データで読むポピュラー音楽』新曜社.
日本大学 文理学部 准教授。博士(社会情報学)。大学卒業後は一般企業に就職するが、学部時代に学んだ社会学・メディア研究の面白さが忘れられず、研究者の道を志して大学院に進学、現在に至る。主な研究テーマは若者をめぐるコミュニケーションの社会学。一般向けの主な著書に『「最近の大学生」の社会学: 2020年代学生文化としての再帰的ライフスタイル』(共編著、2024、ナカニシヤ出版)、『広告文化の社会学: メディアと消費の文化論』(共著、2024、北樹出版)などがある。
日本大学 文理学部 准教授。博士(社会情報学)。大学卒業後は一般企業に就職するが、学部時代に学んだ社会学・メディア研究の面白さが忘れられず、研究者の道を志して大学院に進学、現在に至る。主な研究テーマは若者をめぐるコミュニケーションの社会学。一般向けの主な著書に『「最近の大学生」の社会学: 2020年代学生文化としての再帰的ライフスタイル』(共編著、2024、ナカニシヤ出版)、『広告文化の社会学: メディアと消費の文化論』(共著、2024、北樹出版)などがある。
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