インタビューから読む
未来の時間意識
有識者インタビュー
鈴木 謙介氏
社会学者
関西学院大学先端社会研究所所長・社会学部准教授

国際大学GLOCOM助手などを経て、2009年関西学院大学助教授、2010年より現職。専攻は理論社会学。著書に『誰もが時間を買っている』『ウェブ社会の思想』『カーニヴァル化する社会』など多数。

若者の行動、意識の変化を鋭く読み解き、若者からの支持も厚い社会学者の鈴木謙介さん。教鞭を執る大学のゼミで、日頃から学生たちと過ごすなかでの実感も踏まえて、今起きつつある、時間に関する価値観の変化、その向かう先についておうかがいしました。

「私の時間軸」と「集団の時間軸」

「映画館で2時間映画を見るのが耐えられない」という人が増えているそうです。これは時間の長さの問題だけでなく、「たくさんの人と同じ時間軸で過ごす」ということが持つストレスの表れだと思います。社会は集団から成り立っていますから、人と一緒に時間を過ごす「集団の時間軸」から離れることはできない。けれど今、「私の時間軸」を優先したいというマインドが広がりつつあるのだと思います。

これは社会の変化がゆるやかになったことと関係しています。定常型社会という言葉がありますね。私よりも集団を優先して我慢しなければいけないと思えるのは、経済が右肩上がりに成長していることが前提にあるからです。将来はもっと良い状況になっていると思えるからこそ、「今は浪費せずに、未来でお金や時間を使う方が効果的だ」という考えが働く。ところが、その前提がなくなると、将来の方が悪い状況になるかもしれないから、今、自分にとってメリットのあるもの、気持ちの良いものにお金や時間を使っていくことになります。こうした大きな流れのなかで「いまここ」の気持ち良さが優先された結果、「私の時間軸」を生きたいということになったのでしょう。

「私の時間軸は自分で決めたい。他人に左右されたくない」という人が増えれば、結果的に朝の活動に重点を置く人が増えるのもわかります。データをみると日本人の生活時間は朝型になりつつあり、朝活も流行っています。なぜか。夜のエコノミーと、朝のエコノミーの違いがその背景にあるからです。夜は、例えば飲み会であったり、人とつきあう、周囲に合わせるような時間が多い。朝は夜に比べて、誰かと何かをすることは断然少ないですから、自分のための投資に充てやすい。人に合わせる時間を小さくして、その分、自分のための時間である朝の時間を増やすというマインドシフトが起こっているのではないでしょうか。

※ 定常型社会(経済)とは、右肩上がりの成長がなくとも豊かさが実現されていく社会のこと。経済成長を絶対的な目標としないため、ゼロ成長経済という言葉で表現されることもある。

小分け可能な
ライフスタイル・ワークスタイル

ICT(情報通信技術)が発達する以前は、平日は働く、休日は休むというように、塊の時間を使うことが一般的でした。しかし、現在は時間の使い方が細切れになってきています。移動中のすき間時間を使って、メールを返信したりゲームをしたりできる。移動という、かつて塊だった時間を、ちょっとした仕事や遊びに充てることができるようになりました。

一方で、いろいろなすき間に、さらに様々な連絡などが入り込んでくるため、集中できなくなるということも起こっています。そこで集中できる時間をつくるのではなく、むしろバラバラの時間をバラバラに楽しみたいという気持ちが強くなり、時間を小分けにできるようなライフスタイルやワークスタイルが登場しつつあります。そうなると、例えば、ライブ映像にしても自分の好きなところだけ先に見たい、最初にダイジェストでいいところだけを見せてほしいといったかたちで、自分のタイミングで、都合の良いように時間を使いたいというマインドも出てくるわけです。

コンテンツをつくっている人たちは、「中身が面白ければ必ず人はついてくる」と考えていると思いますが、今言ったようなことを踏まえると、“面白ければ面白いものほど後で見よう”ということも起こりうる。「今ではなく、後できちんと見ます」と。価値があるものこそ、時間の自由な使い方と密接につながってくると思います。

ハズレを引くくらいなら、冒険しない。

映像にしてもイベントにしても、時間の使い方のイニシアチブが作り手から受け手に移っている。生活者にしてみれば、いろいろ情報を収集して検討して、映画館で2時間拘束された挙句、つまらないとなったら大損なわけです。だったら、絶対面白いとわかっているものを10回リピートする方が、幸福度が高い。映画では、応援上映やコスプレ上映といったリピート鑑賞用の企画が増えています。おそらくその背景にあるのは、「ハズレを引きたくない」というマインドでしょう。

動画サブスクリプションには、膨大な数の作品があります。作品数が多いほど得をするように思いますが、そのすべてを視聴することは不可能。しかも情報量は日々増え続けるわけですから、ハズレのリスクを負って当たりを引き当てようとするより、自分が好きなものを繰り返し見るという発想になるのもわかります。
動画のコンテンツが豊富ではなかった時代は、コンテンツそのものに対しての不満が募っていたけれども、これだけ飽和状態になってくるとコンテンツのクオリティではなく、どれをチョイスして、どの時間に見るかということの方が重要になってくるのです。

同期することは、尊いことに。

行動するタイミングや、かける時間が人それぞれになってきている現在は、他者と時間を合わせることができなくなるという課題も発生しています。面白いところではLINEの既読。メッセージが届いてもすぐに読むのではなく、通知を見て既読をつけるかどうかを判断し、優先度の低いものは家に帰ってからまとめて読むというスタイルが一般化しています。リアルタイムでやり取りできるツールなのに、リアルタイムで見る気がない。

日常のやりとりから、会議、誕生日会や学校行事のようなイベントごとまで、「人と合わせて何かをする」ことが難しくなる一方で、だからこそ強制的に人々を動員するイベントが目立つものになる。ベルナール・スティグレールというフランスの哲学者は「人びとの心がシンクロ(同期)する環境をつくることが、今の権力だ」と言っています。時間を共有するということは、相手の時間も強制的に巻き込むことになる。生活者が、時間の使い方を自分に合わせていくなかで、いかにして集団での同期をつくることができるか。みんながテレビの発信する流行に合わせていた時代の常識を捨てるときが来ています。

新しい時間のマインドに合わせた、
新しい提案が必要。

若い人たちは、時間に対してシビアになってきているけれど、学生たちをみていると、どうシビアになればいいのかが、まだはっきりしていないように感じます。効率化はされているけれども、果たしてそれは幸せなのかということ。

無駄な時間を減らしたけど、その時間で漫然とスマホをいじってしまうことなどは、その典型例でしょう。本当はもっと豊かな時間があればそれに使いたい、でもそれが何なのかわからない。そこを提案していくことが、次のステップでしょうね。そうでないと、自分にとって不愉快なもの、無駄だと感じるものをとにかく減らし続けるだけで終わってしまう。

消費者にわがままになってもらわないと、市場は広がっていきません。要望が増えれば、その分商品が増え、市場は活気づく。ですが、わがままをあるべき方向に導かなければならない。結婚が嫌だとなってしまえば、ブライダル市場は縮小しますし、恋人とデートに行くのが面倒くさいとなってしまえば、デートコースの市場やレジャーの市場は縮小します。

今、「時間」が変わることで、新しいマインドが生まれているのですから、そのマインドに合わせた新しい幸せのかたちや新しい期待を提案していく必要があると思います。

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