インタビューから読む
未来の時間意識
有識者インタビュー
志良堂 正史氏
手帳類収集家、ゲームプログラマー

ゲームプログラマーの傍ら、手帳類の収集を2014年より開始。現在、1,200冊以上を所蔵する。その一部を、参宮橋のアートギャラリー「Picaresque」にある“手帳類図書室”にて常設展示している。

時間を記録するツールのひとつである日記。デジタルでも管理できる今、あえて日記を使う意味、そこに記された時間の流れとは?手帳類収集家として活動する志良堂正史さんに、本職のゲームプログラマーとしての視点とあわせ、昨今の生活者の時間意識についてうかがいました。

目の届かないところに
自分の記録を保管したい。

「新生活がはじまったから処分したい」「新しい人とつきあうことになったから手放したい。でも、捨てるには忍びない」。手帳や日記を手放す理由は様々ですが、自分の目の届かないところに、自分の時間を保管しておきたいという人は少なくないですね。

僕が他人の手帳を収集している理由のひとつに、自分の得た時間や書き留めた記録を、他者(私)に渡すことで、客観的に自分の手帳、自分が記録した時間と向きあう“体験”を提供できるのではないか、ということが挙げられます。実際に、スッキリしたい、忘れたい……過去の自分の時間を供養するような感覚で、私に手渡す方もいます。許可を得た上で、これらの手帳を展示しているのですが、例えば、ギャンブラーの手帳には収支が明確に記されています。第三者が見ると、「ギャンブルするとは思えないくらいマメだな。まるで倹約家の手帳みたい」と感じてしまう。第三者を介すことで、手帳に書かれていた時間の意味が違ってみえてくるのは興味深いですね。

日記は“バージョンアップ”を
確認するツール

状況が変わることで、書き方や内容に変化が生じていることも特徴的です。例えば、学生時代は比較的文章の多い日記だったものが、就職して社会人になるとスケジュール帳に切り替わり、書き込む量も減っている。自分と向きあう時間よりも、他者や社会と向きあう時間の方が増えることで、自分のために書き込む時間が減る。手帳からは、社会の現実が垣間見えます。
そのときの感情や状況といった、情報も留められる手帳による時間管理は、贅沢な時間管理とも考えることができます。かたちは違いますが、あえてレコードで聴くことと似たようなことだと思います。レコードの味わいで音楽の価値を再構築する、ではないですが、そういったアナログゆえの豊かさがある。

日記を見ていると、「あのときはこう書いたけど」「読み返してみたんだけど」という記述が少なくない。過去のある地点を見返すときに、日記は非常にアクセス性が高く、どこかセーブデータ的な使い方をしている人が多いです。少し前の自分のバージョンを確認して、未来の自分に活かそうといった、自分をバージョンアップさせていくための豊かなツールになっている。

自分の時間だけど
“自分が関与しない時間”を
所有できる時代

行動に対する時間が、本当に細くなっていると感じます。ゲームプログラマーとしてみたとき、スマホゲームは10秒を奪いあうような状況になっている。すき間時間に、ゲームとLINEなど複数のことを同時に行う人が増えているからこそ、起動していなくても成果を上げる“放置ゲーム”と呼ばれるゲームが流行っています。自分の時間のはずなのに、“自分があまり関与しない時間”を持つような状況が生まれています。

いうなれば、お掃除ロボット的な発想が、ゲームの世界にも表れはじめています。自分が存在していない間に部屋の掃除が終わるように、時間を使っていないのに時間を使ったかのように状況が進んでいる。こういった“自分の時間を使わずして〇〇の時間が勝手に進む”サービスや商品は、ゲーム業界以外にも増えていくのではないか。放置していればものごとが進むような時間が増えれば、あまり立場や環境に左右されずに、時間を活用できる人も増えると思います。

“自分があまり関与しない時間”……自分の小さな分身のような時間が5つある人は、自分のロールが5つ増えることになります。そこに何かしらの達成感や満足度を提供できれば、働きっぱなしでプライベートの時間がそれほどないという人にとっても、大きな価値を生み出すのではないでしょうか。

※ 放置ゲームとは、プレーヤーが操作せず放置していても、レベルが上がったり、勝手に進行するゲームのこと。

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