第15回
34のオッサンが「聖地巡礼」してみた
from 秋葉原
■聖地巡礼は、突然に
「おつかれさまでした。じゃあ、俺、仙台戻るんで」。東京出張の打合せ@南青山を終え、武田陽介(本名)は表参道の駅へと歩き始めたところだった。「オシャレかっ!」「オシャレかっ!」と通り過ぎる人たちに無言のツッコミを入れながら、陽介は家族への東京土産を何にしようか考えていた。「ヨメの好きな豆大福?でもあの店遠いしな…。銀座のデパ地下行けばなんかあるだろ。あっ、でも、表参道ならあのケーキ屋もありだな…。う~ん…」。なかなか行き先が決まらず、駅での立ち往生を覚悟した陽介であったが、「あっ!」という閃きとともに、頭の中から意外な答えがポンっと出てきた。
「神田明神、行かなきゃ」。
さかのぼること、3カ月前。陽介は、DVDのレンタルショップにいた。少しの気恥ずかしさと、大きなワクワク感。アニメのタイトルを物色するなんとも言えない高揚感。これは、久々に陽介に訪れた、“春”だった。男女が禁断の愛に溺れてしまうように。明日からあたらしい性別で人生を歩む人がいるように。30半ばのオッサンが急にアニメにはまってしまうことがあるのも世の中というものだ。人気のSFファンタジーや話題の戦艦バトルなど、陳列棚に並ぶ何百というタイトルたち。まるで婚活パーティでパートナー探しをするかのごとく、陽介はそのひとつひとつに鋭いまなざしを送っていた。そして、ついに。陽介が意を決して手を伸ばした先にあったのは、『ラブライブ!』だった。女子高生のアイドルグループ「μ’s(ミューズ)」のメンバーがスクールアイドル日本一を目指す青春ストーリー。外食チェーンとのコラボや、声優の紅白出場など、社会現象を巻き起こいていた話題のアニメだ。よし、借りてみるか―。
その数時間後に彼は、これまで感じたことのない「萌え」の衝撃に打ちのめされ、まさか、アニメ専門店の敷居を人生で初めてまたぐことになり、毎晩彼女たちのライブ(録画)を観て寝るまでとなり、妻から恐ろしいほど白い目で見られることになろうとは気づくよしもなかった。
話を、表参道に戻そう。「神田明神」という場所を陽介が思いついたのは、何を隠そう、『ラブライブ!』の聖地であったからだ。東京・秋葉原を舞台に描かれている『ラブライブ!』。劇中では、電気街の風景など秋葉原の街並みがリアルに再現されているのだが、その中でも象徴的なのが「神田明神」だ。ミューズのメンバーたちが、ライブの成功を祈願したり、参道の階段でトレーニングをしたり。「神田明神」はミューズにとって非常に重要な意味を持つ場所なのだ。それだけではない!メンバーの一人である東條希(愛称:のんたん←陽介の推しメン)が巫女のアルバイトをいている特別なサンクチュアリ!これは、もう行くしかない!陽介は即断で秋葉原への移動を決意。1月の東京。時刻は17時にさしかかり、あたりは薄暗くなってきていた。
■ふたつの世界がひとつになって、それはそれはハイになって
秋葉原駅の改札を抜け、電気街に降り立った陽介。何度か訪れたことがあった街の見え方がまったく違うことに彼は驚いた。これまでは、単なる「オタクの街」でしかなかった秋葉原が、キラキラ輝いて見えるのだ。ここも!あのビルも!『ラブライブ!』に出てきたところではないかっ!ミューズのメンバーが生きるこの街で、同じ空の下、同じ空気を吸えているこの奇跡…。すでに、興奮状態の陽介であったが、正気を取り戻し、目的地である「神田明神」に急いだ。「待っててね、のんたん」。はやる気持ちをいさめながら、家電量販店の呼び込みやメイド喫茶の勧誘をいなしながら、歩くこと10分。ついに『ラブライブ!』の聖地「神田明神」がその姿を現した。荘厳な空気をまとった歴史ある神社。陽介は失礼のないよう身を清め、神社の中へと入っていった。『ライブライブ!』との縁に感謝を伝えるべく、まずは参拝(場所が場所なだけにリアルに聖地巡礼…)。丁重に神様へのご挨拶を済ませ、いよいよ本格的に巡礼モードへ。一気にコンセントレーションとイマジネーションを高め、『ラブライブ!』の世界を脳内に降臨させる。
*巫女姿で境内の掃除をするのんたん。
*主人公・穂乃果(ほのか)が「雨やめー!」の一言でどしゃ降りを晴天に変えたミラクル。
*トレーニングに励むミューズのメンバーたち。
この場所で繰りひろげられたエピソードの数々が鮮明に蘇る。アニメ世界と現実世界の融合。陽介はついに、『ラブライブ!』の世界に入り込むことに成功したのだ。絶対不可侵と思っていた領域。精度の高いデジャビュとでも言うべきこの不思議な感覚。ずっと行ってみたかった海外の観光名所や世界遺産に触れる興奮とはまた違う感動を味わっていた。境内を回る中で、ひときわ目にとまるものがあった。それは、ラブライバー(『ラブライブ!』ファンの呼称)たちの熱い想いが綴られているたくさんの絵馬。この地が、正真正銘の「聖地」であることを『ライブライブ!』を愛する人たちの足跡が物語っていた。陽介は改めて『ラブライブ!』というコンテンツの凄さを実感するとともに、ここに来た自分がファンとして成長できた“自負”のようなものを感じていた。
ありがとう、『ラブライブ!』…。ありがとう、「神田明神」…。
ミューズの面影を感じながら、心の中で感謝の言葉をリフレインさせる陽介。彼女たちの世界に足を踏み入れることができた幸福感と、聖地を訪れることができた満足感を抱き、彼は「神田明神」を後にした。
■「聖地、見えてる、見えてない」問題
「ご乗車いただき誠にありがとうございます―」。車掌のアナウンスが流れ、新幹線が仙台に向けて走りはじめると、缶ビールをプシュッと開ける音が、各座席から聞こえはじめた。ご多分にもれず陽介もそれに続いた。サラリーマンの醍醐味“車内呑み”を愉しみながら、「聖地巡礼」の余韻に浸るというのは、なかなかの贅沢だ。
現実とアニメ。その二つの世界をひとつにする聖地。このフュージョンによる快感は、ファンにこの上ない感動をもたらす。聖地に赴くことで、コンテンツやキャラクターへの愛着心を証明する達成感も味わえる。行く場所によっては、ご当地グルメや日本を代表する観光スポットがオマケについてくる。単なる観光とは違う自分の「好き」が目的地の旅。この行為をファンがよころばない理由はない。
―― きっと今日、自分と同じように聖地巡礼をした人が日本中にいるんだろうな。
そんなことを考えながら陽介は、「朝里駅」のことを思い出した。そこは北海道小樽市にあるJR函館本線の無人駅。「聖地巡礼」目的で多くの中国人観光客が押し寄せていると、ある情報番組でレポートしていた場所だ。中国の人気ドラマ『恋愛中的城市』のロケ地となったことで、北海道を訪れる中国人が、こぞって「朝里駅」を巡礼するようになったそうだ。海外からも人を引き寄せるほどの求心力。聖地のもつポテンシャルは計り知れない。2016年の流行語大賞ノミネートは必然的なものだと陽介は納得した。
しかし、「聖地巡礼」ブームの陰で巡礼者のマナー違反や、突然観光客が降って沸いたような状況に困惑している地域があることも確かだ。先の「朝里駅」もそのひとつで、線路内への侵入により列車の緊急停止が発生したり、住民のポストに雪が詰められるなど、巡礼者の迷惑行為に辟易してしまっているのだそうだ。こういった問題は「朝里駅」に限ったことではない。昨年の邦画興業収入第1位を記録した『君の名は。』の聖地でも、近隣住民から騒音や早朝深夜の訪問に苦情があり、公式サイト上で注意喚起がなされたほどだ。では、聖地で、なぜトラブルが起きてしまうのか?陽介は、ビールを飲むことを止め、その問題について真剣に考えることにした。車内販売が一往復して、新幹線が宇都宮を通過した頃だろうか。陽介はシンプルな答えにたどり着いた。
“盲目”。
「朝里駅」の場合、中国人観光客のモラルの問題もあるかもしれないが、「聖地巡礼」の恐ろしいところは、聖地が巡礼者にしか見えていない場合があることだ。何も知らない人からすると、巡礼者の行為は、なんの変哲もない場所で写真を撮ったり、うろうろと徘徊をしたり、奇行に見えてもおかしくはない。つまり、「巡礼」という神聖な行為は、「迷惑」という醜態と紙一重なのだ。これは、『ポケモンGO』がローンチされた直後の迷惑行為と通じるものがある。モンスターもポケストップも、『ポケモンGO』のプレーヤーにしか見えていなかったことが、私有地への侵入や交通事故などにつながってしまったのは明白だ。“見境を無くす”という言葉があるが、これらのトラブルは“盲目”という状態から起きている気がする。聖地はあくまでも現実世界の中にあること忘れてはならない。そこには、暮らしがあり、人がいるのだ。陽介は、自分の住むエリア一体が何かの拍子に「聖地」化し、朝から晩までスマホをかざされることを想像してゾッとした。その状況で日々を送ることは決していい心地はしないだろう。場所によっては「聖地巡礼」を規制する必要があるかもしれない。
しかし、「聖地巡礼」をことさらに煙たがるのはもったいない、と陽介は思った。やはり、聖地に選ばれることは千載一遇のチャンスだからだ。そのことに気づき、「聖地巡礼」を歓迎しいている地域や自治体も増えてきている。「聖地巡礼」のメリットとデメリットを地域住民の理解を得ながら、聖地を集客や街おこしに活用している場所や地域はいくつも存在する。埼玉県では聖地横断ラリーという観光イベントを毎年開催しているし、陽介が巡礼した「神田明神」も『ラブライブ!』とコラボレーションしたイベントの開催や参拝グッズの販売など、聖地であることを最大限に活かし、神社の認知を高め、参拝客を集めている。巡礼者と同じ世界を望むことで街や地域の可能性をひろげることができる。「聖地巡礼」がすべてトラブルにつながるわけではなく、向き合い方さえしっかりしていれば、巡礼者と聖地がwin-winの関係を構築できるのだ。そこまで思考し、「聖地巡礼」を肯定できた安堵感からか陽介は急な眠気に襲われ目を閉じた。
■試される「聖地巡礼」
気づくと新幹線は仙台に到着していた。陽介は乗り過ごしたかと思い一瞬焦ったが、仙台が終点で安心した。忘れ物がないか座席を確かめ降車し、ホームから改札へ。自動改札をくぐると、いつも目にする仙台駅前の風景がそこにはあった。仙台は『ジョジョの奇妙な冒険』、『ハイキュー』、『Wake up, girls!』などの聖地として知られている。2012年に開催された「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展 in S市杜王町」では聖地ならではの仕掛けが話題となり、当時、仙台の街中に『ジョジョの奇妙な冒険』ファンが詰めかけたことがある。東北に、あの時と同じようなにぎわいをつくりたい。今度は、聖地を訪れるのではなく、巡礼者を受け入れる側としてコンテンツとのコラボレーションを企画したり、地域の魅力を日本や世界からやってくる人々に発信してみたい。いつのまにか、陽介の中に、「聖地巡礼」をする前には持ち得なかった熱意が芽生えはじめていた。
人を引き寄せ、人の心を動かす「聖地巡礼」。いまの勢いが続けば、企業誘致ならぬ、アニメ誘致の動きが活発になるかもしれない。VRや3Dホログラムなど、先端のテクノロジーが巡礼体験を進化させることも考えられる。地方を活気づける起爆剤として「聖地巡礼」が、この先どのような発展をとげ、どんな感動を人々にもたらすのか。しばらくの間、その動向から目が離せそうにない。
最後に余談だが、『ラブライブ!』のオープニング曲「僕らは今のなかで」の歌詞にこんな一節がある。
楽しいだけじゃない 試されるだろう だって その苦しさも未来
まるでミューズが「聖地巡礼」の行く末を歌にのせて暗示しているようで面白い。