第21回
創造活動コミュニティが続々生まれる、京都の不思議
from 京都府
“cesspool”というボードゲームをご存知でしょうか。海外ドラマにインスパイアを受けた「犯罪経営シミュレーション」というなんとも剣呑な雰囲気のゲームですが、単なる売買やリソースマネジメントだけではなく自由交渉をウリにしたこのゲームは、クラウドファンディングに成功し小ロットながら大規模なアナログゲームのイベントで完売も記録しました。最近では量産の話もあるとかないとか。
↑冒頭の写真は、cesspoolのコンポーネントの一部
・・・実はこのゲーム、大学時代に僕と仲間で作ったものなんです(見かけたら、ぜひ遊んでみてください)。
ボードゲームに全く無縁だった僕が、なぜボードゲーム作りに関わることになったのか。すべては、当時住んでいた京都で、黒嵜想(くろさきそう)氏という批評家と出会ったことから始まります。
彼が企画していたアート展示の構想に共感した僕は、音楽演出を担うDJとしてそこへ参加しました。その展示のつながりで、今度はコジマさんという方と意気投合。彼に誘われて足を運んだ飲み会で、さらに作曲家やクリエイターなど数名の方と仲良くなりました。そのコジマさんと彼らが仲間内で企画していたのが、ボードゲームの製作だったのです。僕が大学でデザインを専攻していることを話すと、「ちょうどデザイナーを探していたんだけど、一緒につくらない?」とお誘い頂き、あれよあれよという間にメンバー入り。
以上の、京都で起こった人間関係の連鎖が、ボードゲーム作ることになった経緯です。
↑京都でのボードゲーム会でプレイする人々を眺めるコジマさん(右奥、黒いTシャツ)
京都で起こった奇縁の連鎖
京都では、友人や知人が「話あうと思うんやけど」と見知らぬ人を紹介してくることは珍しくなく、そこで出会った相手には言葉通りシンパシーを感じることも多いです。それだけでなく、居酒屋で共通の知人の話を肴に友人とお酒を楽しんでいたところ、隣の席に偶然居合わせたお客さんが、実はその話題にしていた知人の親友だった、というように、全くの他人でも共通の知り合いで繋がるといったことも少なくない頻度で起こります。
唐突に出会う人とやたらにウマがあったり、人間関係やコミュニティが近かったりするのは、今思えばちょっとフツーではありません。このような、京都ならではの出会い方やコミュニティのあり方の背景を探るべく、文頭でも名を出した批評家の黒嵜想氏を訪ねました。
「いけず」によるゾーニング
京都は、多数の大学機関を擁する学生の街として、近年では各々の技術で商いを営む個人事業主たちの流入する街として、或いは世界中から旅行客が訪れる著名な観光都市としても成り立つ都市です。それは言い換えれば、それぞれの目的に応じた期間だけ暮らす都市としても成立していると言えます。
一般的に人が街やコミュニティに滞在するには、ビザのように「居住するか/否か」の選択が必要で、つまりそこにいることに対しての「責任/無責任」のどちらかであることをハッキリと問われることになります。しかし京都においては普通と異なり、滞在者それぞれのタイムスパンに応じて「適したゾーン」と「適したコミュニティ」が用意されていると黒嵜氏は言います。
この「誰でも住めるが、滞在期間に応じて細かに棲み分けられている都市」、または「ヨソ者がヨソ者のままでいることが許されている都市」の構造を、彼は“「いけず」のシステム”と説きます。京都は徹底してゾーニングされていて、それを越境しようとすると「いけず(ヤな感じの対応)」を受けるのですが、しかし言い換えれば「いけず」に敏感でさえあれば、どんな「ヨソ者」であっても京都に共生できるのです。
即興コミュニティin日本のシリコンバレー
彼の言説から考えてみると、 “「いけず」のシステム”に触れてきた人たちは、暮らすタイムスパンに限らず、共通点のある人たちを見つけるのがうまいのではないでしょうか。実際彼らは、必要に応じて自分たちが滞在することのできる新たなコミュニティを即興的につくり続け、際限なく繰り返しているように見えます。その営みは共通点のある人同士をどんどん引き寄せていき、一見すると赤の他人である二人が、まるで運命のような邂逅を果たすのでしょう。
京都で起こった「奇縁の連鎖」のメカニズムは、まさしくこのようにして起こったのだと思います。
“「いけず」のシステム”のなかでできたコミュニティは、外的に用意された企業のような集団よりも呼吸が合わせやすく、僕がなんとなく参加したボードゲーム製作チームのように、想像以上のクリエイティビティを発揮することもあります。その上で京都の別の側面に触れますが、京都は古くからの名企業や有名大学が集積する地であり起業家精神も高く、売上3000億以上の企業8社、学術機関約140がコンパクトに収まる都市は、まさに日本のシリコンバレーとも言える土壌です。京都に滞在する研究者や起業家、作家など何かを創造しようとする人々にとっては、それが本当に高い水準か、世界に通用するかを即時はかれる、実験場として格好の都市でもあります。今後も新しい活動体が次々と生まれでて、まさに世界に挑まんとすることでしょう。
ファウンダーやキャピタリストにとっては、京都は宝石の採掘所。次代のイノベーションの種は、京都でこれからも生まれ続ける無数のコミュニティの中にぎょうさん眠っとるかもしれまへんで。