第14回
「見えないことは、存在していないこと、ではないという話」
大人な博報堂
博報堂の皆さまこんにちは。電通の岸勇希です。この原稿、博報堂のサイトに掲載されるということで、きっと読まれる方も博報堂の方が多いんだろうと思い、まず博報堂の皆さまに挨拶してみました。ライバル会社の原稿を、自社サイトにドーンと掲載してしまうなんて、太っ腹であり、「大事なのは競争よりも業界の発展である!」みたいな志に、キュンとしています。粋です。しかしながら、よくよく考えてみると、電通に勤めている私は、 電通のサイトなんて見たことがないわけで、(僭越ながら)同じとするなら、きっと博報堂の方も、このサイトなんて見ないんじゃないかという不安もあり、やっぱりここは、広くあまねく皆さんに挨拶しておくべきだと考えなおした次第です。と言うことで、皆さまこんにちは。電通の岸勇希です。
今回考えてみたのは
さて、「生活定点」を見て何か語れという宿題ですが、まぁ生活者を対象とした調査データを見るのは面白いわけです。特にその“動き”が見える経年比較は、いちいち興味をそそります。何故この年から急上昇したのか?なぜ停滞し続けているか?グラフの動きに対して、自ずとその理由や意味を読み解こうと脳が動くのは職業病かも知れません。このコラム、本来は数あるデータから気になるものをピックアップ、何かしら洞察することを期待 されたものだと思うのですが、素直にそうしようと思ったものの、興味が膨らみすぎて、 一つに絞り込めなくなってしまったので、今回はあえてどれか一つのデータに着目するのではなく、こうした調査データとの向き合い方について少し触れてみたいと思います。データというのは、読み解くものでもありますが、時に自分を試す刃にもなるという話です。
頭おかしいんじゃないの?
最近ニュースやネットを見ていて、「そんな考え方する人いるんだ!」と驚くことはありませんか?「非常識」とか「信じられない」と感じる、いわゆる自分には理解できない人、考え方の存在です。もちろん内容や度合はあるでしょうが、実はこうした“自分とは違う人”、というのが、意外にもたくさんいると思った方が良いという話です。言い変えると、自分が普通だと思い込んでいませんか?という話。
数年前私は、フジテレビで「ニッポンのミンイ」という番組を企画・制作していました。毎晩(月~木)、一日の終わりに、その日起きたニュースや話題に対して「日本人の気持ち」をリアルタイムに問いかけ、スマホから投票してもらう番組です。例えば、『政治家の不正、「責任を取る」ことはどっち?A:辞めるB:反省して続ける』とか、『街中のイルミネーション節電の冬にどうすべき?A:節電すべきB:点灯すべき』など、視聴者の「ミンイ」を2択で探る企画でした。約半年の放送期間中、私は毎日のようにその日に起こった事件やニュースから「今日の質問」を考えていたのですが、ここで驚く体験を何度もしました。「こんな質問、ほとんど全ての人がNOだろう」そう思う質問をしても、30%近くもの人が「YES」を答えます。「こんなの絶対ナシに決まってるだろう」そんな質問でも、「アリ」と答える人が20%もいるのです。そう、世の中は、自分が思っているよりも、ずっと複雑で、自分と異なる考えの人がたくさんいることを、これほど痛感した経験はありませんでした。
意外と頭はおかしくないのかもしれない。
世の中は多様な考えで溢れています。いや、むしろ自分が生きている環境のほうが狭く、特殊なのかもしれません。加えて最近では、マイノリティーな意見や考え方が、存在感を増幅しやすい時代にもなってきました。仮に本当にマイノリティーな考え方であったとしても、同じ考え方をする人は少なからず存在します。ネット上でそういう声が集まり、また不思議とより多くの人を惹きつけて肥大化していきます。気が付けば、数こそ少ないのに、存在感たっぷり、みたいなことが頻繁に起こっています。蛇足ですが、こういう違和感を覚える考え方に、ムキになって否定なんぞしようものなら、その発言が呼び水になってさらにその力は増強したりします。気づけば、そういう考え方の人も少なくないと、ある種の強制的納得に持ち込まれることさえある今日この頃です(マイノリティーの良し悪しを議論しているものではありません)。
偏りの角度と死角
データの話に戻ります。ひとつひとつのデータをしっかり読み解くことはもちろん大切です。でも時に、ザーっとたくさんのデータを眺めるのもいいと思います。結果の1行やタイトルだけ読むのでも十分です。大切なことは、洞察できるデータを探すのではなく、“まったく意味不明”と思ったものを無視しておかないこと。自分の見えないゾーン、死角の存在を認識しておくことです。「生活定点」はよくできていると思います。それでも調査母体は偏っています。東阪だけというのは凄まじく偏っています。東京は最も異常なエリアだと思いますし、大阪も普通ではありません。いや、普通なんてないわけです。もちろん地域差だけではありません。世代の壁なんか、今や凄まじいものがあります。特に現在の22、3歳くらいを境目に存在する壁は恐ろしく、僕はデスバレー(死の谷)と呼んでおり、日々怯えています。昨年の夏JUJUさんの「PLAYBACK」という楽曲のPVをつくりましたが、これはまさに10代後半から20代前半のオシャレ女子をターゲットにした映像で、デスバレーの向こう側に挑んだ仕事でした。自分で言うのもなんですが、よく当てることが出来たと思っています。ただその代償に、あらゆる自分の常識と感性を捨てる必要がありました。定量ではとうてい捕えられない世界。苦行のような制作でした。残念ながら人間は理解できることしか、理解しません。でも僕らの仕事は時としてそれではすみません。自分が理解できないことに正解があるかもしれません。そもそも見えていない世界(ターゲット)の存在を認めなくてはなりません。今、壁はどんどん高くなっています。向こう側はどんどん見えなくなっています。壁を超えるための一層の努力が問われます。だからこそデータは面白いのです。
※このコラムは生活定点2014年度版のデータに基いています。