好きの
達人7
「注ぎこむから」から「身をたてる」へ
アラフォーで弟子入り、落語家として第2の人生を歩む
前田一知(桂りょうば)さん
落語家。上方落語界で名高い故・桂枝雀さんのご長男。舞台役者、ミュージシャンなど多才な活動を経て、43 歳で枝雀さんの弟弟子の桂ざこばさんに弟子入り。修業を務め上げ、高座に上がる日々。
[好き]の未来を体現するかのように、高い熱量をもって自らの[好き]を追求している生活者たちがいます。彼ら・彼女らはまさに「好きの達人」!
生活総研では、そんな「好きの達人」たちにインタビューを行ないました。自分の[好き]を単に趣味の範囲にとどめることなく突き詰めて、ついに「身をたてる」に至った達人のお話です!
僕が好きなんは舞台に立って表現すること
20代は演劇やバンドに明け暮れてました。30代には音楽活動に加えて、トークイベントやアマチュア落語もするようにもなってました。僕が思ったのは、どれも観てくれる人がいてへんと成立せぇへんものやということ。人って、舞台に立つ側と観て楽しむ側に分かれると思うんですけど、僕は舞台に立って表現するのが好きなんです。
肩書きがないことに、やりにくさがあった
弟子入り前は自分が素直に「おもろい!」って思うことを自由にやってました。例えば、僕が好きな昭和時代の映像を流して解説するトークイベントとか。僕としては好きなことで舞台に立ててるので楽しいんですが、お客さんの中には「これってどういうジャンルなんやろう?」「一知さんは何しはる人なん?」って戸惑わはる方もいて…。そういう「受け取られづらさ」にやりにくさを感じてました。
プロを目指し、アラフォーで修業の道へ
僕の主催したトークイベントに、桂ざこば師匠がゲストで来てくださったんが、弟子入りのきっかけでした。このイベントの後、師匠から「プロになったら?」とお誘いをいただいたんです。その後、何度もやりとりさせていただいた末に、弟子入りできることになりました。
入門が決まってからは、前田一知としての活動告知にも使ってたSNS や、ブログなんかは一切やめました。周りの人に、僕が「桂りょうば」として真剣にやっていくという「誠意」を見せたかったんです。東京で仕事する嫁とも離れて暮らす決意もしました。嫁が理解ある人で本当にありがたいです。修業中は大阪・天王寺にある動楽亭(落語寄席)の上に住み込んで師匠や兄弟子の高座のお手伝いをしたり、自分自身も勉強会などの高座を務めていました。
いろんな人に僕の表現を知ってもらいたい
日常的に落語に触れる環境で育ちましたし、アマチュアでしたが実際にやっていたというのもありまして、1年で年季明けさせてもらいました。弟子入り前は、お仕事をお受けする際に「事務所通してもらわんと…」なんて冗談を言うてましたが、今ではほんまに事務所に所属する噺家です。これからは、大阪を拠点にしつつ東京や名古屋でも落語の勉強会をやっていきたいと思うてます。落語をメインに据えつつ、トークや音楽や、自分がおもろいと思えることにも表現の幅を広げていきたいです。
より詳細はこちらの書籍にて!