少齢化社会 博報堂生活総合研究所 みらい博 2023

消齢化社会に関する
特別対談

NHK放送文化研究所

博報堂生活総合研究所

NHK放送文化研究所

荒牧 央 氏
村田 ひろ子 氏
野澤 英行 氏

博報堂生活総合研究所

内濱 大輔
三矢 正浩
佐香 孝

NHK放送文化研究所では、1973年から5年毎に、約50年にわたって「日本人の意識」調査を行っています。そのなかで、日本人の基本的な価値観、家庭、仕事に関する考え方など様々な領域にわたる質問がほぼ同じ方法で継続的に調査・蓄積されています。

今回はNHK放送文化研究所の研究員の方々との対談を行い、「生活定点」調査だけでなく、「日本人の意識」調査にもみられる消齢化について、どのように捉えるべきか、これからの社会にとっての示唆とは何か、などを議論しました。

(N):NHK放送文化研究所 (H):博報堂生活総合研究所

「世代交代による意識の変化」と
「社会の変化に伴う意識の変化」

三矢:(H)このたびはディスカッションの時間をいただきましてありがとうございます。早速ですが、「生活定点」調査の時系列データ分析の結果をご覧になって、またNHK放送文化研究所(以下「文研」)の「日本人の意識」調査などとも比較して感じたことを教えていただけますか。

荒牧:(N)我々が行っている「日本人の意識」調査でも、以前は世代による回答の差が顕著だった質問項目がありますが、1970~1980年代生まれ以降では世代による回答の差が小さくなってきています。すでにどの世代でもほとんどが肯定的な回答をしている項目では、それ以上はどの世代でも変化しないでしょう。確かにデータ上は価値観の年代差が小さくなっている傾向がみられ、恐らく日本社会自体がだんだん変化の小さい社会になっているのでしょう。
一方で、調査項目が古くなり、社会の価値観の差異を捉えられなくなっている可能性もあります。「日本人の意識」調査は1973年に始まったもので、人々の間で近代的な価値観がどのように受け入れられているか、という視点でつくられています。そういった視点からは、現在ではみんな同じような考え方をするようになったのかもしれません。
しかし、例えば年金や気候変動のような質問を新たにつくると、もしかすると年代や世代による回答の違いが出てくるのかもしれません。ですから、調査結果だけから、日本社会において、年代間であらゆる価値観の違いが小さくなっているかどうかまでを見極めるのは難しいと思います。

内濱:(H)確かに「生活定点」をみると、気候変動やエコ活動に対する意識は、「環境保護を考えた商品なら今より価格が高くても買う」で若年層の方が低下が著しいなど、一部で年代による違いが大きくなっているものもみられます。

村田:(N)文研が実施した環境に関する意識調査の結果をみると、環境問題に頑張って取り組んでいるのは主に高齢の女性で、若い世代ではあまりやられていません。現在学校教育のなかでSDGsが教えられていますから将来その影響が出てくる可能性はありますが、少なくとも現状では世代の交代によってエコ活動が活発でなくなる傾向はあるようです。

荒牧:(N)世代交代によって社会の価値観が変化する傾向は、「生活定点」の調査からもうかがえますね。一方「日本人の意識」調査では多くの項目で、若年層から60代ぐらいまでが同じような価値観になっており、70代より上では価値観が交代しきれていない傾向があります。もちろん質問によって世代が大きく影響しているものとそうでないものがあるので、一概に言える話ではないのですが。

三矢:(H)私たちの調査でも、例えば1992年時点の調査で50代から60代だった戦前生まれの世代と、それより下の世代とでは価値観の変化に断絶がみえますね。

村田:(N)ジェンダーに関する世論調査の結果でも、例えば男性の育休取得への賛否では70歳以上は「賛成」が4割に満たないのに対して、若い世代では6割から8割ぐらいの方が賛成していますし、選択的夫婦別姓や同性婚についても70歳以上では反対が多いなど、他の年代と違う特徴が出ています。

三矢:(H)世代交代とともにいわゆる「伝統的な価値観」から「近代的な価値観」へのスライドが起こっているのは、わかりやすい世代交代の影響ですね。
「伝統的」ということではありませんが、ナショナリズムに関する価値観にも面白い傾向が現れています。「日本人の意識」調査によれば、以前は上の世代ほど「日本は一流国だ」と思う割合が高く、若い世代では「一流国ではない」と思う割合が高い傾向がありましたが、近年はどの世代でも不思議なくらい半々に分かれる傾向が出てきています。

荒牧:(N)「日本に生まれてよかった」という質問は、昔は若い人はそう思う割合が低かったのですが、今ではどの年代でも90%近くが「よかった」と答えています。そういう意識の変化は理解しやすいですが、「一流国だ」の質問のようにどの年代でも半々に分かれるというのは不思議ですね。

内濱:(H)「一流国だ」という言葉から想像する中身が変わっているのかもしれません。「経済的・産業的な一流国」という意識から、「文化的な一流国」という質的な変化があったことで、日本の経済成長期を経験している世代か否かとはあまり関係がなくなっている可能性もあります。

佐香:(H)インバウンドが増えた時期とも関係しているのでしょうね。「安全」「おもてなし」といったものが日本人としてのアイデンティティになってきた。

荒牧:(N)2008年から「日本は一流国だ」と思う人が増加した背景には、そういうことがあるだろうと私たちも分析しています。そのあたりも年代による違いの縮小に影響しているかもしれませんね。

野澤:(N)この項目は世代もそうですが、社会的な要因も大きそうですね。バブル崩壊後、一向に景気が回復しなかったことで日本への自信が失われましたし、2000年代から 2008年のリーマンショックまでは「景気拡大」と言いながらも生活での実感がなく、やはり自信を失ったままでした。こういった社会の状況が、この時期に「日本は一流国だ」と思う人が少なかった理由だったのではないでしょうか。

世代などの「カテゴリーの垣根」の低下と、
世代のなかでの多様化

内濱:(H)調査では価値観の違いが小さくなっている傾向が現れていますが、世間では「価値観が多様化していて、生活者がつかみにくくなっている」ともよく言われています。これはなぜだと思われますか。

荒牧:(N)年代間の意識の違いが小さくなっている現象と、社会が多様化している現象は、別に両立しない話ではないと思います。つまり、若い人も多様化しているし、年配の人も多様化している。その結果として、年代同士を比べてみたら違いが小さくなっている、ということはあり得るでしょう。
もうひとつ考えられるのは、昔は性別や年代、職業などのカテゴリーである程度意識が決まっていました。例えば男性と女性では全然意識が違うけれど、男性のなかでは同じような考え方をしていることが多かったように思います。時代を経るに従って性別の垣根や年代の垣根、職業の垣根がだんだん低くなり、そうしたカテゴリーが意識をまとめなくなった一方で、「男性」や「事務職」といったカテゴリーのなかでの個人の多様化が進んでいる可能性はあると思います。

三矢:(H)なるほど。個人個人がバラバラになっているから、逆に全体としては、これまでのカテゴリー分けの視点からは違いが小さくなっているようにみえているかもしれないわけですね。

荒牧:(N)そうですね。実際に個人個人の多様性が増しているのかもしれませんし、「男性の価値観」「女性の価値観」のようなカテゴリーごとの違いが消えてきたせいで、相対的に個人個人の違いが目立つようになったのかもしれません。

三矢:(H)面白いですね。これまでのような性別や年代による区分けが相対的に意味を失いつつあるわけですね。

荒牧:(N)それでも性別や年代で分ける意味はまだあるように感じています。文研の世論調査では、昔は職業別や学歴別の分析をやっていましたが、職業による違いが次第になくなってきたので、現在では性別と年代を中心に分析しているという経緯があります。
しかしここまで議論してきたように性別・年代が昔ほど有効でなくなってきたとすると、別の区分けを見直してもいいかもしれませんね。大阪大学の吉川徹先生は以前から学歴に着目されています。回答者の心理的なパーソナリティーによって分ける方法もあるかもしれないとは思いますが、やはり人口統計学的な属性のほうが安定していますから、まずはそのなかでいろいろ試していくのがいいでしょうね。

村田:(N)学歴は有効な分析軸のひとつなのかもしれませんが、大学進学率が増加したなかで単純に「大卒以上か、それ以下か」という区分で分けても、はっきりと意識の違いがみえにくくなる可能性があります。その場合は例えば偏差値による分類を導入することで、区分けとして機能するようになるのかもしれません。

佐香:(H)カテゴリーの垣根が低くなっているだけでなく、より細かなカテゴリーに分かれているのかもしれませんね。「高卒か、大卒か」だと現在では区分けとして大きすぎて、「どのような大学なのか」「どのような企業に就職したのか」のように細かく規定していかないと、そのグループの中で共通している意識がみえてこないのかもしれませんね。

荒牧:(N)文研の調査でも、職業分類以外に「正規なのか、非正規なのか」といった雇用形態を聞く項目を入れることがあります。学歴は、以前は年代と相関が高かったので分析項目として使いにくかったのですが、大学進学率が世代を越えて一定になり年代差がなくなってきているなら、今では使いやすくなっている可能性もあります。

世代を超えて価値観を
共有できる可能性

三矢:(H)「生活定点」は2022年の調査が最新で、コロナ禍のなかでの調査になりましたが、それでも意識の違いが小さくなる傾向はそれ以前からさらに進みました。コロナ禍も十分大きなインパクトのある出来事ですが、それでも価値観の傾向を揺るがすようなものではなかったのかもしれない。だとすると、これからの日本社会は何があっても変わらないし、今回議論してきた年代による意識の違いが小さくなっていく傾向は、この先も進行していくという認識でいいのでしょうか。

荒牧:(N)確かに東日本大震災の前後でも、それ以前からの価値観の変化傾向は変わりませんでした。基本的な価値観は、社会的な事件によっても大きくは変わらないのかもしれません。
ですから、同じ質問を使っていれば違いが小さくなる傾向はさらに進んでいくでしょうが、異なる質問項目をつくれば、もしかしたら社会の変化がみえてくるかもしれません。けれども日本社会自体が変化していないとしたら何もみえないかもしれない。そのあたりはまだよくわからないところです。

三矢:(H)その傾向は、社会全体にとっては「摩擦がなくなる」という言い換えもできると思いますが、どうお考えですか。

荒牧:(N)これまでの日本では世代による意識の違いが大きかったので、時代が変わると日本人全体の意識も変わってきましたが、そういうこともなくなりますから、社会のダイナミズムみたいなものはだんだん失われていく可能性もあります。
けれども、まったくの私見ですが、世代を超えて同じ価値観を共有できるのは決して悪いことではないと思います。昔は上の世代と話しても議論にならないことがあったと思いますが、ある程度共通の価値観を持っていれば、世代を超えて議論できることも増えてくるはずです。親子でお互いの考えがまったく理解できない、といったこともなくなってくるかもしれません。

三矢:(H)なるほど。介護のように全年代で向きあわないといけない課題が出てきたときに、話しやすい土壌ができている意味では、ベースとなる価値観を共有しているのはいいことなのかもしれませんね。

村田:(N)政策決定もスムーズになり、効率的でストレスフリーな社会が実現できるかもしれないですね。

佐香:(H)男女共同参画や育児にしても、意識では「やった方がいいんだよな」と思っていても、実際の行動との間にはまだまだ乖離があると思います。だからこそ、少なくとも同じ土俵で話を始められることは大きなメリットになりますね。

三矢:(H)我々の調査では、住環境の整備、健康的な食事といった「老後の備え」に関係する項目で、高齢者の意識が近年劇的に下がっている傾向があります。素直に解釈すると、最近の高齢者はもはや自分たちを高齢者だと思っていないきらいがあるのですが、文研の調査でも、近年の高齢者が昔の高齢者より元気になっている傾向はありますか。

荒牧:(N)「日本人の意識」調査ではそれほど顕著には出ませんが、ほかの世論調査や定性調査など、様々な場面で昔の高齢者より活動的になっている印象を受けます。

村田:(N)孫と一緒に同じアイドルの推し活をする方がいたりと、中年から高齢者にかけての世代の方も若い人たちと同じ楽しみを共有していますよね。

佐香:(H)議論の面でも楽しみの面でも、共有できることが増えているということですね。今は昔のコンテンツのアーカイブにインターネットでアクセスできますから、逆に若者が昔のドラマやアニメを見て話題になることがあります。息の長いシリーズも多いですから、「おじいちゃんは初代ウルトラマンを見ていたんだよ」と孫と話が通じる場面も増えていますよね。

村田:(N)おっしゃるように、3世代で楽しめるようなコンテンツが増えていることからも、世代間の意識の近づきを感じます。

三矢:(H)本日はいろいろとおうかがいできて、非常に有意義でした。これまで主に日本人の意識の変化についてご意見をうかがってきましたが、諸外国との比較など検討すべきテーマはまだまだあります。これからもぜひ継続的に意見交換をさせてください。

荒牧:(N)こちらこそ、生活総研のデータの中には文研ではあまり調査していない調査項目や分野もありますし、とても参考になりました。これからもよろしくお願いします。

「日本人の意識」調査を収録した『現代日本人の意識構造[第9版]』

有識者インタビュー