少齢化社会 博報堂生活総合研究所 みらい博 2023

人びとの価値観の違いが
小さくなる社会で、
変革を生むのは
「経済活動」と「場の力」

三浦 瑠麗 さん

国際政治学者

三浦 瑠麗(みうら・るり)

内政が外交に及ぼす影響の研究など、国際政治理論と比較政治が専門。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て、2019年より株式会社山猫総合研究所代表。内閣官房長官主宰「成長戦略会議」民間議員ほか、政府・企業の様々な外部委員を歴任。著書に『21世紀の戦争と平和』(新潮社、2019年)などがある。

「社会的価値観」は、
環境によって変わりうる

一般に「価値観」と呼ばれるものは、「個人の嗜好」と「社会的価値観」に分けて考えることができます。

個人の嗜好は「カレーよりハンバーグが好き」のようなもので、時間が経ってもあまり変化しません。今20代の人が10年後には30代に、さらに10年後には40代になったときにも、全体の傾向の変化は基本的に緩やかです。それに対して主義・信条のようなものを社会的価値観とすると、こちらは環境によってある程度影響を受けますし、ライフステージにも大きく左右されるので、同じ人のなかでも時間が経つことで比較的変化しやすいものです。

10代の頃の価値観は家庭環境に影響されたり、学校という均質な集団のなかで世代特有の価値観が醸成されます。しかし大人になって社会に参画すると、職場には複数の世代が同居していますから、その世代特有の経験というよりも社会全体のトレンドから影響を受けるようになります。また結婚・出産といったライフステージの変化や、周囲との利害関係の変化によっても価値観は変わっていきます。

 

従来は、「マイホームを持った方がいい」「子どもをつくった方がいい」という傾向が上の年齢層ほど強くなることは、「年齢を重ねたことによる保守化」だと見なされていました。しかし近年の大人は「仕事よりも家庭を大事にしたい」と思う傾向が強くなっており、これは同じ「保守化」という表現ではしっくりきません。「年齢を重ねると保守化するのか否か」というのは大きな問いですが、今回の生活総研の研究結果は「そうでもないのかもしれない」ことを示しているように思えます。

これまで「年齢を重ねたことによる保守性」だと考えられてきたものの大部分は、その世代が多感な時期に生きた環境の産物だったのかもしれない。現役時代は「猛烈サラリーマン」として働いていたとしても、現在のように周囲の状況が許すなら「当時の自分も本当は育休を取りたかったのかもしれない」と考えを変えるかもしれません。

 

また社会的価値観が変化している大きな要因に、女性を取り巻く環境の変化があります。女性は日常的な消費活動の中心ですし「女性は家を守るものだ」という規範が従来の日本の生活・文化に深く入り込んでいたので、その前提が変わることにより、必然的に社会の形そのものも変わってしまいます。

女性の就業率が高くなるとPTAは回らなくなるし、専業主婦向けの商品ではなくて兼業主婦向けの商品が売れるようになる。「お母さんも働いているのに食事を全部つくってくれているから、お父さんもゴミ捨てくらいはしようか」といった形で、周りの家族の価値観もある意味やむを得ず変わっていきます。

このように、社会的価値観は環境の変化によって大きく変わるものです。

階級意識が消えた社会の
「いい子」たち

私自身が感じている社会の変化は、情報化、中流化、そして血縁が薄れていく「無縁社会化」によって、社会の価値観が収斂していることです。

例えば日本の自民党はイデオロギー政党としての側面が他国の保守政党に比べて弱く、地方の農業従事者や中小事業者が支持している政党という面があります。他の政党もそれぞれ労働組合や出自などの利益を代表しています。しかし現代では若い世代を中心に、階級や出自のような特性はさらに薄れ、各々の好みによって行動が決まるようになっています。

社会全体が、そのような収斂した人間像に向かっていくのだとすると、彼らを政治に導きたい政治家や、私のような政治の分析をする人間にとってはかなり難しい状況です。アイデンティティが階級的利益と結びつかず、「どちらかというと俺はハンバーグがいいかな」くらいの自己規定をしている人たちへと社会が収斂すると、社会をまとめることはかえって難しくなるはずです。

 

それでは特性が薄れて収斂した人たちは、何を考えて投票をしたり、物を買ったり、他人の行動を支援したりするのでしょうか。

私は高校生を教える機会があるのでその肌感覚から言うと、今の若者は「社会善」とされるものに対する疑いが少ない、一言で言えば「いい子」であるように思えます。世の中には正しい解があって、それを官僚的なエリートや、リベラルなオピニオンリーダーが決めてくれると思っているということです。

若い層は気候変動やいじめ問題に関して、全く関心がない高齢層と比べると大きな関心を持っています。しかしその「関心」とは自分で考えた結果としてのコミットメントばかりではなく、「自分ではない外部の誰かが正しさを決めてくれる」という態度である場合も少なくありません。

それこそ、いまの日本で一番分かりやすい格差は高齢者から若者にかけての富の格差ですから、若者が本当に社会問題に関心があるなら「自分たちにちゃんと分配しろ」という動きが生まれたり、新世代の感覚から「ちゃんとジェンダー平等の政策をやれ」という突き上げがあってもいいはずですが、そういったことは起こっていません。

よく「若者はリベラルになっている」と言われますが、実態としては若者が最先端を行っているというわけではなく、「リベラル化していく社会の中で、若者的なポジションにつけている」に過ぎないのでしょう。

痛みを伴う「改革」から、
新しさを求める「刷新」の時代へ

現代の若者のもうひとつの大きな特徴は、「改革」というキーワードに魅力を感じていないことです。破壊を伴うリーダーシップに対する評価を聞くと、高年齢層からの評価が高い一方、若者からネガティブに捉えられています。

それでは「改革」に取って代わる概念は何だろうと考えると、おそらく「刷新」のようなもの、要は「新しいものが欲しい」という消費者としての欲望だと私は考えています。

「今のままではいけない」という現状否定的な盛り上がりが社会から退潮し、みんなが「今のままでいいや」と思う時代には、若者を惹きつける「改革」の運動は新たに起こらなくなる。そのような社会ではせいぜい「刷新」の運動しか起こりません。世代交代やSDGsのような、「新しい感覚にみんなでついていく」という動きです。

政府や企業、学校といった、権力とリソースをもってコントロールできる側が何か「新しそうに見えるもの」を打ち出して、みんなも「それでいいんだ」と思うようになる。発展しきってしまった社会特有の“長い黄昏”ですが、その結果として幸福な社会に向かうのか、それともそうはならないのか。どうなんでしょうね。

経済活動こそが、社会変革の力になる

そのような社会でも変革を起こしていくのは、第一には企業が担う役割でしょう。

先進国では最近、企業に社会的な善への貢献やフェアネスの実現を求める傾向がありますが、会社にそういった思想性を持たせるのは危険だと私は考えています。企業カルチャーとは、例えば歯ブラシを売る会社なら「お客様にとって最も心地よく効果の高い歯ブラシを、どんなことがあっても提供する」ことであって、「社会の公衆衛生に貢献する」といった社会善は結果的についてくるものにすぎません。

女性の社会進出にしても、男性しか採用しないと人材プールが限られるので、男性だけでなく同じ能力の女性も採る、という発想で進められたときに最も良い結果が出ます。例えば日本での女性のエンパワーメントは、必要性自体は以前から訴えられていました。しかし、実際に女性の社会進出が飛躍的に進んだのは、安倍政権下で経済成長を目的に推進されたことがきっかけでした。

それに気候変動対策に世界的に火がついたのも、パリ協定によって市場メカニズムが導入されて以後カーボンニュートラル投資が進み、ビジネス競争の文脈に乗ったことがきっかけです。

このように、社会を動かす駆動力はやはり経済的利害であり、企業が利益を追求することによって社会変革は自然に起きるものなのです。

身銭を切る、現場に行く、人と会う
―「リアルな場」が持つ力を
大切にしていく

また、インフルエンサーのような人も社会を動かす役割を担えます。現状のインフルエンサーの活動は商品の広告とつながったマーケティング的な面が強いですが、本来インフルエンサーの役割は「何に価値を見出すか」を提示する最先端の存在であるべきです。美的感覚のインフルエンサーはより優れた化粧品を紹介するし、政治的なインフルエンサーは「こういう政治的な課題に取り組むのが、本来当たり前のことです」と課題を発掘していく。インフルエンサーとはそのように「価値観を引っ張っていく人」のことです。

とはいえ、現代ではイデオロギーやスローガンをただ叫ぶだけの人は煙たがられ、むしろ個人的なつながりによるおすすめのほうが信用されます。

私は、SNSなどで自分が応援している社会活動を紹介するときには、必ず自分でもいくばくか寄付をするようにしています。コストがまったくかからない署名のような行為ではなくて、何らかのコストを伴う行為で示すからこそ「ああ、三浦さんも身銭を切って動いたんだ」と周りにストーリーが伝わるのです。

実際、お金は有限ですから、コストを伴う応援は必然的に選択を生み、ある方向性を打ち出すことにつながります。

また同じ寄付でも、様々な活動に寄付するよりも、ひとつのプロジェクトと長い目でおつきあいして、活動報告を受けたり実際に足を運んだりするような支援活動が望ましいと思います。私自身も、たまたま父親の出身地がホームレスの割合が高い地域だった縁で、その支援活動をしている「抱樸」という団体を長い目で支援していこうと思っています。

このような行動は日本に失われた「共助」を復活させることでもあります。公助につながるまでには制度的な困難があることも多いですから、自助ではどうにもならない状況に置かれたとき、声を上げることで誰かに見つけてもらう、そういったつながりを改めてこの社会は必要としています。

それだけに、私も緊急性の高いクラウドファンディングに支援することがありますが、できれば寄付して終わりではなく、直接現地に行って、そのときに必要なものを一緒に考えるようなつきあい方をしないといけないと思っています。

現場に行くことは本当に大切です。コロナ禍でエンタメが不要不急だと言われましたが、エンタメが持っている「場の力」は社会にとって必要とされています。場に紐付けられた体験を共有し、終演後に「今日の演出はここが鼻についたね」「でも古典の現代的解釈はいい挑戦だよ」などとわいわい言いあい、建設的な意見交換がなされると、そこで多様性が育まれます。

とはいっても、同じ作品の感想をただSNSで言いあうだけの関わりでは、糾弾のようなニュアンスが強くなってしまいます。コロナ禍によって、私たちは直接その場に行って交流する経験を制限されることになりました。このことは、特に若い世代に悪影響を及ぼすことになるかもしれません。社会の「共助」を考えたとき、懸念されるところであり、今後も注視していきたいと思います。

有識者インタビュー

特別対談

消齢化社会に関する
特別対談

NHK放送文化研究所

博報堂生活総合研究所

対談参加者

NHK放送文化研究所

荒牧 央 氏
村田 ひろ子 氏
野澤 英行 氏

博報堂生活総合研究所

内濱 大輔
三矢 正浩
佐香 孝