みらいのめ

さまざまな視点で研究員が「みらい」について発信します

2025.04.16

第59回

Belonging のみらい

from 広島県

生活総研 客員研究員
中国四国博報堂

リントン ダイアナ マリー

アメリカでは、多くの企業がDEIB(Diversity多様性、Equity公平性、Inclusion包括性、Belonging帰属意識)への取り組みを縮小・中止しつつある一方で、日本では、働く環境や企業文化について語るなかで、多様性、公平性、そして包括性に関する議論が、むしろ広がっているように感じます。ただ、「Belonging」という言葉は、日本語で的確に訳すのが難しい概念です。直訳すると「帰属意識」ですが、この言葉には「集団に従う」といったニュアンスが含まれており、英語本来の意味とはやや異なっていると感じます。Belongingとは、「自分らしくいられる安心感や安全性を感じられる空間にいること」と「自分もこの場にとって大切な存在だと実感できること」の両方の意味を含んでいると、私は考えています。

Belongingという考え方について思い出すのは、アメリカの作家であり公民権運動家でもあったジェームズ・ボールドウィンの「私が居場所を作るまでは、私の居場所は存在しない。(The place in which I’ll fit will not exist until I make it. – James Baldwin)」という言葉です。この言葉が示しているのは、居場所というのは誰かに与えられるものではなく、自分の手で築いていくものだということ。だからこそ私は、中国・四国地方で、誰もが「ここにいていい」と感じられるような場所を探してみたいと思いました。そういった空間には、これからの社会にDEIBを根付かせるためのヒントが隠れているのではないかと思ったのです。

そうして出会ったのが、広島市にある「音楽喫茶ヲルガン座」。今年で開店から17年を迎えたこの店は、カフェでありながらパフォーマンス・スペースでもあり、壁にはイラスト、剥製の鹿の頭、ミラーボール、鏡、牛の敷物、人工植物などが散りばめられ、まるで異世界に迷い込んだような雰囲気。食事やスイーツ、ドリンクが楽しめるほか、「ふらんす座」や「廃墟ギャラリー」といったレンタルスペースでは、ライブや展示、部活動なども開催されています。

この不思議な空間をつくりあげたのが、店主のゴトウイズミさん。まるで店の世界観そのものから現れたような存在感を持つ彼女に、広島に来たきっかけやヲルガン座を始めた思いについて伺いました。

広島に来たきっかけは何でしたか。

私は福岡で音楽活動をしながら、バーなどで働いていました。その後、20歳か21歳のときに自分でお店をやろうと決めました。私は山形出身なので、最初は同じ東北地方の仙台でお店をやろうと思っていたのですが、福岡を出る前に旅行した沖縄の西表島があまりに心地よく、そのまま西表島に移り住んだんです。西表島には旅行客がたくさん来ましたが、そのなかの一人が広島の人で、その偶然の出会いがきっかけで、私は広島に移り住むことになりました。

 

広島に来て、どのようにお店を開いたのでしょうか。

大学生で20歳ぐらいの時にバンドを始めて、福岡にいる間にずっとバンドで演奏していました。広島の街にもバンド時代の友だちがいましたから、すぐに自分でイベントを始めることもでき、どんどん知り合いが増えていきました。広島でお店をオープンするまでは音楽のイベントやいろんなショーをやったりしました。私はずっとバンドをやっていたので、広島に来ても特にバンドのイベントが多かったです。いわゆる見世物小屋やホラーショーみたいなイベントも行いました。面白いアーティストとかを集めて、広島ですごくエキセントリックなイベントをずっとやっていました。

現在は、今の年齢になった自分がいいなと思うショーをやっています。イベントの内容は以前とは少し変わってきていますが、基本的に自分が見て面白いと思う内容です。私は無駄があるものが好きではなくて、無駄がないものが好きです。例えば、お客様がやってきて、イベントが始まるまでずっと待つといったことは好きではありません。イベントに行った時からそこに何かがあって、音楽も聞こえるし、料理もある。そういったものがあってこそ、お客様に「いいよね」と言われるのです。ライブやショーがいいのはもちろんですが、それ以上に「“そこにいる時間そのもの”が幸せだった」と言ってもらえるのが嬉しいんです。そうしたものであればどんなものでもいいのです。ハッピーなものでも、アンハッピーなものでも、それは送り手にとってのアートであり、表現だからと受け入れつつ、自分がいいなと思ういろんなものをやっています。


息子が生まれてからも、レストランなどでバイトや勉強、イベントやバンドもしながら物件探しを続け、35歳のときに今の物件を見つけてお店をオープンしました。

 

ヲルガン座を立ち上げるのにどんな困難がありましたか。

物件を見つけるまでがすごく大変でした。好きなところがなかったからです。自分がやりたいことを全部できる場所がなかなかなくて、7〜8年くらいずっと物件を探していました。でも、21歳の時からお店をやろうと思って、その店の料理や、やりたい内容、ネットワーク、お金のことなどの準備を14年間ずっとしていたので、35歳で物件が見つかってオープンする時には何も困ることはありませんでした。

友だちも、私が「店をやりたい」ということを知っていたので、みんな応援してくれました。今も応援してくれている友だちがいなければ、私自身もいないでしょう。

 

この物件のどこが好きですか?

いいところはいっぱいありますが、古いものが好きだから、ビルの古さがすごくよかったです。そして窓から路面電車が走っているのが見えるのもすごくいいです。この広さもよかったし、ステージもあって、満足のいくお客様の席もあります。すべてよかったです。
元々は白い普通の事務所でしたが、壁も、床も全部はがして、あれもこれも、台所も自分で作りました。友だちも手伝ってくれて、壁とかはみんなで塗りました。

 

音楽喫茶ヲルガン座のデザインやスタイルなどについて教えてください。

とてもシンプルなんです。ヲルガン座も、上にあるふらんす座も、自分のデザインです。以前は1階でもお店をやっていたのですが、そこも自分の作品でした。お店の内装だけでなく、イベントの内容やメニュー名に至るまで、基本的にすべてが作品という考え方です。

お店を作るという行為は、私にとって舞台の脚本や本、文字を書くこと、音楽を歌うこと、ダンスを踊ることと同じです。やっていることは違って見えても、全部“表現”なんですよね。だから、自分が「これがいい」と思ったものしか取り入れていません。

そして、ありがたいことにいつも手伝ってくれる人がいます。舞台でも、私の作品を支えてくれる人がいて、お客様がいて、成り立つ。お店もまったく同じなんです。

ヲルガン座やふらんす座では、たくさんのイベントが開催されていますが、実はその多くは持ち込み企画で、自分でブッキングしているわけではありません。17周年のときは、自分の好きな人を招いて、自分でイベントを作りました。誰かと何かをやろうというときは私もオーガナイズしますが、普段はレンタルスペースのような形で使ってもらっています。

だから、イベントのなかには私が特別好きではないものや、よくわからないなと思うものもあります。でも、それはそれで問題ではなく、新しいものとして受け入れています。新しい人や表現と出会えるのは面白いですし、たとえ良し悪しがあっても、それもまた良いと思えるんです。

「この場所、このシステムがOKなら、誰でもどうぞ」。そんなスタンスで、いつでも開かれた空間でありたいと思っています。

 

最後に、これから挑戦してみたいことは何ですか。

自分の人生を一本の映画をつくるように考え、作品として作る事に挑戦したいです。今からはその終わり方を制作する、という感じです。

プロフィール

写真
ゴトウイズミ

1972年、山形県生まれ。
福岡の美術大学でグラフィックデザインを学んだ後、沖縄・西表島に移住し、染物制作と音楽活動に取り組み、自身のファーストアルバムを制作。
1999年に広島に移り、2008年に「音楽喫茶ヲルガン座」をオープン。以降、店の運営を行いながら、イベントの企画・実施を続けている。

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