「生活圏2050プロジェクト」 #10
新しい「日常」がうまれる場所
〜地域の可能性を育むパブリックスペース「山口情報芸術センター[YCAM]」〜(後編)
山口情報芸術センター(Yamaguchi Center for Arts and Media)、通称「YCAM(ワイカム)」は、山口県山口市にあるアートセンター。2003年に開館以来、メディア・テクノロジーを用いた新たな表現の可能性の探求を軸に、様々な展覧会、イベント、ワークショップなど、多彩なプログラムを提供している。人口約19万5000人の山口市において、YCAMは年間70万人もの来館者数をほこり、開館15周年を迎えた2017年には累計で1000万人を突破、着実に地域社会の中に根ざした存在となっている。
地域社会の創造性を育てる文化施設の役割について、YCAMの活動を支えるスタッフの方々にお話をお伺いしました。その後編です。
人口減少社会における新たな生活文化と経済(エコノミー)の創出を構想する「生活圏2050プロジェクト」。プロジェクトリーダーを務める鷲尾研究員が、既に今各地で始まっている新しい生活圏づくりの取り組みを伝えます。
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身の回りのことを、再発見する橋渡しになる
YCAMの取り組み事例④
『森のDNA図鑑』
YCAMでは、研究開発プロジェクトや作品制作の過程で得た知見や、開発したソフトウェア/ハードウェアなどを応用して、「オリジナル・ワークショップ」と呼ばれる教育普及プログラムも数多く開発している。『森のDNA図鑑』は、DNA解析技術を用いて、身の回りの植物を採集し、オリジナルの植物図鑑をつくるワークショップだ。
会田大也さん(アーティスティックディレクター、以下敬称略):
YCAMの中の「バイオラボ」のメンバーを中心に行っているバイオリサーチも、今のYCAMを象徴するプログラムだと思います。「植物DNA図鑑」というワークショップはバイオテクノロジーを使って町の人たちと一緒に山口市の自然界にある植物からDNAを採取してみんな図鑑をつくろうというプログラムです。わざわざ海外から来てくれる人もいるんですよ。
以前は2日間のプログラムなども実施していましたが、最近は、もうちょっと短い時間で小規模に、頻度高く実施できるようにして、市内や隣の町の人が気軽にできるようにしています。
鷲尾:
楽しそうですね。地域社会やまわりの自然環境を再発見することにもつながる。
伊藤隆之さん(R&Dディレクター、以下敬称略):
その点は、YCAMの大切なテーマのひとつなんです。先にお話した「スポーツ・ハッカソン 」も、教育委員会と協力しあって、市内小学校で実施しています。地域との連携は今後ますます重要になるでしょう。
会田:
YCAMでは、圧倒的に教育プログラムに対する予算の割き方が大きいんです。人数も相当いるし、少なくともほかの美術館のように、プロパーのキュレーターになるためのトレーニングとして教育プログラムを任されるというようなことはないんです。YCAMでは教育プログラムの担当になったら、教育プログラムのスペシャリストになってくださいという雇い方をしていますし。ここでの教育プログラムとは、先端的なプログラムを生み出していくYCAMという組織と、地域社会や市民を直接つなげる橋渡しになることなんです。
鷲尾:
こうしてYCAMが独自に開発してきた様々なプログラムについてお伺いすると、ここは市民の創造性を育む、まさに「環境」そのものなんだと感じました。自然環境、社会環境、技術環境。それがすべて合わさった新しい「環境」です。
会田:
YCAMは2003年11月にオープンしたのですが、そのとき、僕と伊藤とはともにその年の4月に新卒で採用されたんですね。任期5年×2回、計10年の任期で契約したのですが、僕はなんとなく、10年ではなくて15年で成果が出てくるように、この場所が育っていけばいいなと思っていたんですね。
15年というのは、小学校6年生だった子どもがこの場所で良い体験をして、20代後半になって今後は自分の子どもを連れて一緒に来るようになる、そんな時間感覚です。何かそういう循環(サイクル)ができるのが15年かなと思って。そんな時間感覚で、YCAMが目指したヴィジョンが市民の中に根ざしていければいいなと直感的に思っていました。
産業システムとか、資本主義的な考え方でいうと、時間は短いほうがいいに決まってるんですけど、「教育」という視点で考えると、こうした次世代が町と共に成長していくための時間感覚を持つことは、とても重要なことだと思っています。ともに育っていく、それは「環境」になっていくということですね。
鷲尾:
先に挙げたオーストリアの「アルスエレクトロニカ・センター」では、開館当時、そこに作られたネットカフェで学校さぼってネットサーフィンしていた当時の学生たちが、今では運営側の中心メンバーになっていますからね。
伊藤:
いいですね、そういう循環が生まれるといいなあって思いますね。
多様な地域主体を結びつける
鷲尾:
YCAMは15年あまりをかけて、新しい創造性がこの町の中から芽吹く環境を整備してきた。環境を整備することとは、その地域社会がもつ「文化」を育てるということだともいえます。そして、文化の中には「経済」も含まれます。経済は地域社会の環境が育む「文化」的な成果のひとつです。その意味では、次の15年は、この環境整備をどのような文化的な実りにしていくかが、今後の大きなテーマになってくると思います。
伊藤:
その通りですね。それはまさに今私たちが議論している大きな課題です。
天野原さん(マネジメント担当、以下敬称略):
同時に、YCAMは公共施設であり続けるべきだと思うところもあります。教育分野に注力するアートセンターであり続けること、市民にとっての教育的な価値を提供し続けるという目的は継続する。そうしなければ、山口市にとってわざわざYCAMをつくった意義は失われてしまう。しかし、その目的を維持していくためにも産業との結びつきも含めて、持続可能性を担保していく術も考えなくてはなりません。この二つのテーマをどのように組み合わせていけるのか。この議論は今まさに私たちが考えていることですね。
鷲尾:
YCAMは、産業も含めて、多様な地域主体を結びつけるネットワーク・ハブになりえる場所だと思います。そのためには、外とのつなぎ役になれるファシリテーター的、あるいはプロデューサー的人材も必要になってくる。いずれにしても分野横断型の発想ができる人材が鍵になると思います。
でもそれは、これまでのYCAMの活動理念の応用や拡張でもある。
天野:
この5年の中で、どうすればもっと外部と接続していけるのか。そのためにどういう人的リソースが必要なのか。そこは鍵だと思っています。でも地道にやれば、できないこともないとは思っています。
会田:
文化や教育については、ある程度自信を持って、この町独自の価値を生み出していける状況になっていると思います。僕らは新しい仕事をつくり出すところまでは背負えないけど、可能な限りそこをサポートしていかなければと思っています。
鷲尾:
YCAMはこれまでにも、この場所で開発されたオリジナル・プログラムや作品を、山口市民だけでなく、他の自治体や文化施設にも提供してきていますよね。それを通して、国内・海外にもネットワークをつくってきている。このネットワークや協力関係って、これからの時代、地域自体が自立力を高めていくためにも非常に重要なんだと思います。
会田:
そうなんです。それに外から必要とされることは、結果的に山口市民のシビックプライドを醸成することにもつながるわけですし。
鷲尾:
全くその通りですね。それは外から見て「尊敬される」存在になるということなんだと思うんです。そこに人も、文化も、産業の可能性も結びついてくる。
そのための仕組みや体制を整備していくことは、YCAMにとってだけでなく、山口市にとっても非常に重要なテーマだと思います。できればそれを属人的ではなく、地域社会の共有システムとしてつくることができればいいですね。
ヨーロッパには小さな町が多いですが、ネットワークを通じて、その町がつくりだしたものを外に提供し、収益を獲得し、自治体としての存続を実現しようとしている町が多いと思います。そうした社会的なミッションと経営的な感覚とが一体になって運営されています。
会田:
意思決定者が変わることで、事業計画が変わってしまっては仕方ない。システムにしていかなきゃいけない段階かなとは確かに思います。しかも、単に仕組みにするのではなく、ちゃんとヴィジョンを持ってシステムが稼働していくようにしなければ。
鷲尾:
YCAMはそれができる可能性を持っているとも思います。
アートの持つ創造性を、地域社会と結びつける
天野:
今、山口市では、流通産業などは集積をし始めていて成果が見えてきているところもあります。そうしたオーソドックスな産業集積の力に加えて、今後は、自ら新しい職を生み出せる人たちを増やしていくことを目指したいと思います。それとYCAMと地域社会との連携の中で実現していきたいと。でもまだうまくつながりきれていません。現状では、産業側はどうしても課題解決型の発想、デザイン的思考を求めがちです。アートの持つ創造性をどう産業に結びつけるか。そこは行政としても課題だと思っています。
会田:
日本の教育の中では、アートとデザインが同じものとして、あまりそれぞれの役割を考えて教育されていないということが根底にはありますよね。実際には違うものなのに。
そこが突破できると、地域の様々な主体がYCAMとどう付き合ったらいいかということが理解できるようになると思う。
鷲尾:
それと、実は重要なのは「アクセシビリティ」ですね。お互いにアクセスしやすいという物理的な環境の整備だと思います。文化施設と産業集積地が近接している、もっと言えば、歩いて日常的に行き来できる状況はありますか。アートとデザインの概念を理解するってことも確かに重要だけど、もっと日常的に混じり合う物理的な環境があることが大切な気がします。そのためにも公共交通機関がちゃんと機能していることはとても重要ですね。その点をもっと改善できたらと、この町に来た時に感じました。
会田:
その通りだと思います。インフラなんですよ、やっぱり。まずはお互いに移動して混じり合いやすい環境をつくること。
鷲尾:
欧州の都市が公共交通機関の整備を非常に重要視しているのは、そのためです。「アクセシビリティ」が都市の創造性、都市の価値創出力を高めるということが分かっている。公共交通機関は、人と人とを結びつけて新しい可能性を生むための道具なんだということですね。
会田:
アクセシビリティが悪いことによって生まれている損失、例えば「ここじゃ仕事できないよね」っていうようなことは、損失としては帳簿上には出てこない。でもこうした機会損失って莫大なもののように思います。行政として何に投資すればいいのか、そのことを判断するセンスが問われる。そしてそれが非常に重要になってくると思う。
鷲尾:
YCAMが単独ではなく、地域社会全体にとって活かされる状況をもっと俯瞰的に捉えること。「生活圏」というひとつのエコシステムとして捉える発想が重要になると思うんです。言うは易しであることはもちろん分かっているんですが、でもそれが最終的には合理的、経済的なはずなんですよね、それは「シナジー効果」「クロスセクター効果」と呼ばれるものです。
天野:
そうした状況をつくっていくためにも、もっとYCAMが山口市民にとって大切な場所だなと思ってもらえること、そしてそのことを市の職員が実感できることが、今後ますます大切になると思っています。
鷲尾:
市民の人からすると、コロガル公園に1回でも来たというのは、もう現実の風景なので、その経験や記憶って消せないと思うんですよ。そうした生の経験、現実の風景として見たという市民が広がっていくことは、何より一番大切なことだと思います。それが地域社会の中で様々な実りを生んでいく土壌になる。
まだ日本では、文化、産業、都市計画、交通計画、こうしたものがバラバラです。でもそれを結びつけるのも、市民一人ひとりの中にある経験や実感だと思います。
YCAMには、この町には、それが実現する可能性があるように思います。今日皆さんとお話をさせていただいて、そのことを実感しました。
取材: 2019年11月2日
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山口情報芸術センター(YCAM:Yamaguchi Center for Arts and Media)
〒753-0075 山口県山口市中園町7-7
https://www.ycam.jp/
プロフィール
会田 大也
YCAM アーティスティックディレクター東京造形大学、情報科学芸術大学院大学[IAMAS]修了。ミュージアムにおけるリテラシー教育や美術教育、地域プロジェクト、企業における人材開発等の分野で、ワークショップやファシリテーションの手法を用いて「学校の外の教育」を実践してきた。一連の担当企画にてキッズデザイン大賞や、文化庁メディア芸術祭、グッドデザイン賞などを受賞。東京大学大学院GCL特任助教、あいちトリエンナーレキュレーター(ラーニング)を経て、現在山口情報芸術センター[YCAM]学芸普及課長。
伊藤 隆之
YCAM R&Dディレクター東京工業大学生命理工学部生体機構学科、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)修了。同アカデミー卒業後、YCAMに音響エンジニア/プログラマーとして着任。2009年文化庁新進芸術家海外研修制度でニューヨークに1年間滞在し、アーティスト/プログラマーのザッカリー・リーバーマンのもとで、オープンソースの視線検出ソフトウェア/ハードウェア「EyeWriter 2.0」の開発に携わる。現在は、YCAMの研究開発プロジェクト全般のディレクションを担当。山口情報芸術センター[YCAM]YCAMInterlab課長。
天野 原
マネジメント担当山口市役所から山口情報芸術センターなどを管理する山口市文化振興財団へ出向し、予算、会計、人事、施設管理等を行う事務局の立場から活動を支援するとともに、行政、企業、大学等との連携窓口の役割も担う。現在財団事務局次長(兼)山口情報芸術センター[YCAM]総務担当総括(兼)学芸普及担当主任(マネジメント担当)。