ミュートできない私たち 「褒めの反射神経」が伸びたきっかけは
2026.08.17
近頃私たちは、ネガティブな感情だけでなく、ポジティブな感情も表に出さないようにミュートしている。「その服かわいいね!」と友人を褒めたら上から目線と思われる? 「髪切ったね!」はプライベートへの干渉になるだろうか? 慎重すぎる私たちは、こうして言葉を飲み込み、結果として何も言わないことが一番安全な処世術になっている。そう、時代はまさに感情ミュート社会(生活知新2026 | 生活総研)なのだ。
でも、最近ふと思ったことがある。20代からつきあいのある友人が会うたびに褒め言葉をくれるのだ。さりげなく、でも温かく褒めてくれる。しかし、若い頃の彼女はなかなかの辛口で手厳しいことを言ってくることもあった。そんな彼女が40代になり褒め上手になっている。もしかして、感情をミュートできない年頃、そして、間柄があるのではないか。
なぜ、彼女は褒め上手になったのか
私は、彼女が褒め上手になった理由がなんとなくわかる気がした。なぜなら、私自身にも思い当たる節があったから。実は私も最近友人と会う時、ポジティブな言葉をミュートできない自分に気づいていたのだ。その理由とは、まずシンプルに歳を取ったということ。20代の頃は友人が一番のライバルという感じで、身近さゆえに嫉妬心を抱くこともあった。でも、今はそれぞれ違う道を歩み、しかも、その道が決して平坦な道じゃないと知っているから、自分の人生と比べて幸せか不幸かなんて比較することもなくなり、ただただみんな幸せでいて欲しいと自然と思えるようになった
さらに、以前は「また明日!」と気軽に会えた友人との別れ際に感じるのは、次はいつ会えるかわからない寂しさ。年に数回会えれば良い方で、下手したら数年に一度会えるぐらいになり、せっかく会えたなら牽制しあうよりも、ポジティブな感情の交換に時間を全振りしたいと思うようになった。大げさに言うと、感情をミュートしている場合じゃないのだ。
母になって伸びた、褒めの反射神経
さらに彼女も私も母になったことも大きく影響していると思う。こちらの感情をスポンジのように吸収する子どもといると、やはり叱るより褒めてあげたいと思う(もちろんそうできない時もあるけれど)。減点方式の社会に生きるなかで、せめて子どもたちには加点方式で接したいという強い思いが発動しがちだ。また、よその子どもたちとコミュニケーションする機会も増え、その成長ぶりに驚き、素直に言葉にする褒めの反射神経が身について、目線がすっかりポジティブになっている。そして、なんといっても、褒められたときの誇らしさが灯っているような子どもたちの表情を見ると、やはり誰しも褒めが必要なのだと強く感じる。
素直な褒めが感情ミュート社会を変える!?
そう、いまの私たち40代の褒めは素直で、他意がないのだ。友人にも子どもにもなるべく笑って日々を過ごしてほしい。だから、自然と褒め言葉が出てくる。「私が、私が、」という感情は消え、主語が相手になっている。こんな素直な褒めが、感情ミュート社会を変えるかもしれない。ちょっと大げさだけど。
ちなみに⋯⋯先日、私はエレベーターで見知らぬ女性から「その服、素敵ですね! 」と褒められた。(思えば、その女性も40代くらいだった)突然の褒めに驚いた私が返した言葉は「派手で目がチカチカしますよね⋯⋯」。「ありがとうございます」の一言と笑顔が出なかったのだ。知人の前では感情をミュートしなくなった私も、見ず知らずの他者の前では自然と防衛モードに切り替わってしまっていた。感情ミュートな社会は、言葉を発する側だけでなく、受け取る側にもフィルターをかけてしまうのかも。よし!つぎは、褒められ力を伸ばすことにしよう。