民主化とイノベーションは同義。
オードリー・タンが語る台湾の「上翼思考」
こちらは、Forbes JAPANからの転載記事です。
昨年9月に、台湾のデジタル担当政務委員、オードリー・タン氏にオンライン・インタビューを行なった。
筆者がリーダーを務める、博報堂生活総合研究所「生活圏2050プロジェクト」のリサーチ(参照記事:ポストコロナに生き残る「都市」の条件とは? バルセロナ、リンツ、豊岡市の場合)の一環である。また筆者は昨年、台湾文化部に招聘され、「創造性と都市」についてレクチャーをさせてもらった。
この数年間、人口減少や少子高齢化、気候変動、社会的格差の拡大など、様々な社会変化や危機に対して、新たな適応策を生み出そうとする国内・海外の都市をフィールドワークし続けてきた。「社会変化を乗り越え、持続可能な社会をつくるための創造力とは何か?」それがこのプロジェクトが掲げる「問い」である。
歴史的・文化的背景、今後目指すべき姿など、都市によって政策やアクションプランは多様だ。しかし、リサーチを通して、コロナ対策も含めて、「社会の持続性」を目指す取り組みにはどこか共通点があることに気づいた。
特に着目しているのが、パブリック、プライベート、市民(ソーシャル)セクターの間で、いわばクロスセクター型の協働を通して、ルールを共進的にアップデートしながら変化に柔軟に対応できる社会構造に作り変えようとする「方法論」である。
2020年に発生した世界的パンデミックの状況に対して、台湾はいち早く新型コロナウイルスの封じ込めに成功した。またこの厳しい社会的状況の中でも、GDPのプラス成長を実現するなど、防疫対策だけではなく、経済面でも大きな損害を回避することに成功したことはすでによく知られている。(参照記事:【全文】オードリー・タン独占インタビュー「モチベーションは、楽しさの最適化」)
そのキーパーソンとしてオードリー氏の存在に注目が集まったが、オードリー・タン氏自身がこのインタビューでも語ったように、これは「一部の人が上手く対処した」のではなく、市民、政府、民間企業、そして医療従事者といった、様々な立場の人たちの協働とその結束力がもたらした成果であり、台湾の民主化の進展とともに、人々がともに育て上げた「社会」の底力によるものだ。
あの「マスクプロジェクト」も、もとは一人のシビックハッカーが考案したアイデアを、様々な人々の手によってアップデートしあうことで完成し、極めて短期間に社会実装されたものであった。
クロスセクター型の協働、つまり立場を超えた協働という「BY ALL」思考による社会変革を実現していくための「鍵」は何か? 本インタビューでは、この点にフォーカスし対話を行った。
ともに上を目指す「上翼(アップウイング)」という発想
鷲尾:危機を乗り越えるための「創造性」をテーマに、国内・海外でフィールド・ワークを続けています。台湾の文化資源を生かした都市デザインには以前から深い関心を持っていて、去年も台湾を何度か訪問しました。もう少しリサーチを深めたいと思っていた矢先に、パンデミックが発生してしまいました。
オードリー:先にお送り頂いたレポートは拝読しています。社会変革はみんなで一緒に考えるに値するテーマだと思います。
鷲尾:台湾のコロナ対策においても、その背景には「クロスセクター」型の協働の仕組みを育ててきたことが大きな背景にあったと思います。こうした協働の仕組みを育んでいたそのプロセスや背景についてお伺いできますか。
オードリー:4年前に私が現在のポジションに就任したとき、たくさんのお問合わせメールを頂きました。とりわけ印象的だったのは、香港のテレビ局の記者からもらった「台湾のこれからはどうなるか、あるいはどうなろうと思っていますか」という質問でした。その時の私の答えはこうでした。
「台湾が位置している場所は、大陸とフィリピンプレートの挟間にあるため、地震がよく起こります。そのため、私たちはいつも物理的にも心理的にも、耐震の準備を整えてきました。
玉山(ユイシャン)(※1)という台湾の最高峰は、プレートテクトニクスによって現在も毎年2.5cmずつ高くなっています。地震は多いけれど、そのことで高い山に登り、綺麗な星空を見ることもできるのです。複雑な場所にあるけれど、それによって夢見る力も、環境に対応する力も生まれていくものなのだと思います」
鷲尾:「玉山」は、日本に暮らす私たちにとっても、イメージしやすい例えですね。
オードリー:台湾は全体主義もしくは専制主義をとる政権の近くで、常に様々なプレッシャーを受けてきました。
台湾の「ソーシャルセクター」、つまり市民や公共の課題を重視している中小企業や団体などの民間の人々は、みんなが一緒になって社会変革を目指してきました。
これは、左翼(レフトウイング)か、右翼(ライトウイング)かという違いや争いを超えて、ともに上を目指す「上翼(アップウイング)」という発想です。
そして、この発想は「クロスセクター」の協働を考えるためヒントになるのではないでしょうか。
921大地震が「ソーシャルセクター」の概念を生んだ
鷲尾:ソーシャルセクターが活性化し、そして「ともに上昇(アップ)していく」というマインドセットが広がっていった契機は、具体的には何だったのでしょうか。
オードリー:その一番大きな要因は、1999年に台湾で起きた「921大地震」(※2)だと思います。
現在のようなソーシャルセクターという概念が生まれたのはその時からです。震災の復興活動を通じて、その力が社会における新たな力として広く認識されていくようになりました。
また同時期に、インターネットを通じて被災地に直接行くことができない人々が社会を支えようとする活動も活発になっていきました。つまり、921大地震をきっかけに、社会変革とデジタル革新が同時に進行したわけですね。
公共空間の改善に携わるコミュニティ、オープンソースソフトウェアのコミュニティなど、もともとは個別に活動していた様々な人々が、この921大地震によって、一緒に経験と力を出し合えることに気づいたわけです。
2014年の「ひまわり学生運動(2014年、台湾史上初めて、市民によって議場が占拠された社会運動)」(※3)でも、こうした精神や経験が活かされていると思います。
(※1)玉山(ユイシャン):台湾のほぼ中央部に位置する山。標高は 3,952m で台湾で最も高く、日本統治時代には、日本の最高峰であった。
(※2)921大地震:台湾時間の1999年9月21日に、台湾中部付近を震源として発生したモーメントマグニチュード7.6の地震。台湾では20世紀で一番大きな地震であった。
(※3)ひまわり学生運動:2014年3月18日、当時の与党国民党が台湾、中国間のサービス分野の市場開放を目指す「サービス貿易協定」を立法院の内政委員会で審議終了、本会議送付を強行した。これをきっかけに抗議する学生が立法院本会議場に突入。台湾史上初めて、市民によって議場が占拠された。3週間にわたる議会占拠の後、王金平立法院長の調停を引き出し、4月10日に議場を退去した。(※出展:【全文】オードリー・タン独占インタビュー「モチベーションは、楽しさの最適化)
鷲尾:日本でも、2011年の東日本大震災発生時には、やはり同様の動きが活発化しました。
オードリー:確か、コミュニケーションアプリの「LINE」の誕生というイノベーションも、東日本大震災がきっかけでしたね。とても素早くてクリエイティブな取り組みだと思います。
鷲尾:「Code For Japan」などオープンソースコミュニティの活動、また行政や民間企業においては「スマートシティ」というコンセプトやそのための技術革新についても、この震災をきっかけに議論や社会実装が広がりました。「クロスセクター」、つまりそれぞれの立場を超えて協働しあう仕組みづくりをいかに成熟させていくことができるかが、争点だと思います。
「イノベーションしないと消滅してしまう」という危機感
オードリー:本来、日本は同じような力を持っていると思います。
ただ、台湾では、もともと「社会のみんなで創造する」という考え方が根底にあるように思います。
そして、台湾では、「パブリックセクター(行政)よりも、ソーシャルセクター(市民)のほうが有効」と考えられています。
例えば、私の記憶では、台湾では6回の憲法改正が行われています。また国民投票法も2~3回の改革がありました。それらの改革は、全て台湾のソーシャルセクターからの提案で、行政側がそれを受け止め、理解し承認したものです。台湾の人々にとって、民主制度とは、科学技術と同じで、自然科学や社会科学など様々な発想を取り入れて、総合的に考えるものなのです。
鷲尾:多様な立場の人や、その発想を掛け合わせていくこと。まさに「新結合」を起こしていくことですね。
オードリー:民主化とは「新しい社会をつくる」ことであり、つまりは「イノベーション」を起こすことなのです。
台湾では民主化の歴史を通して、新しいものを作り出さないと、また元の社会、つまり戒厳令下の社会(※4)に戻ってもおかしくないという懸念や恐怖心があったためです。「イノベーションしないと消滅してしまう」という危機感、それが台湾人の中にあるのです。民主化とは「新しい社会をつくる」ことであり、そのため、社会イノベーションと産業イノベーションの間にも明確な区別はありません。
例えば、前述した2014年のひまわり学生運動の後、当時の行政院長(※5)である毛治國氏、行政院副院長の張善正氏、政務委員である蔡玉玲氏らの幹部は気づいたそうです。
(※4)戒厳下の社会:1949年~1987年において国民党政府が反体制派に対して行った政治的弾圧で、反体制派とみなされた多くの国民が投獄・処刑された。
(※5)行政院長:台湾の行政院の長であり、首相に相当する。
それは、ひまわり学生運動は抗議運動というより、新たな「デモンストレーション」、つまり協力して新しいヴィジョンを考え、その可能性を実演し見せてくる活動にもなれるのだということに。その後、彼らはひまわり学生運動に参加した35歳以下の若者を集めて、「リバース・メンターシップ」(※6)という制度を設立しました。
15歳の子の声に耳を傾ければ「未来は近づいて」くる
行政院副院長の張善正氏は、入閣前までグーグルのスーパーコンピュータを担当するテクニカルディレクターでした。蔡玉玲氏はIBMのアジア地域のコンプライアンス部長だった人です。私がこのリバース・メンターシップ制度によって、蔡玉玲政務委員の見習い顧問になったとき、蔡玉玲氏と使う言語は同じで、コミュニケーションはとてもスムーズでした。その後、私は政務委員として入閣しましたが、蔡委員は今は「g0v」(※7)で活躍されています。
これは、「クロスセクター」による「民主共作」が実行できた一例だと言えると思います。
鷲尾:立場や世代を超えた、柔軟な人と人との交流があるんですね。
オードリー:つまり、とてもシンプルに言えば、「誰とでも意見交換しよう」いう考え方です。「誰とでも」というのは、経済的あるいは政治的弱者を除くことなく多様な声に耳を傾けるという意味です。お金持ちかどうか、投票権を持つかどうかは関係ありません。
私は中学2年生の時に、校長先生の支援もあり、学校を中退しました。当時の私は、投票権もなければ、もちろん財閥とのつながりなども持っていない年齢でしたが、インターネットの世界、つまりソーシャルセクターよって運営されているコミュニティは、私が15歳かどうかなど関係なく受け入れてくれました。
そして、何か良いアイデアがあれば、それをインターネットに上げてみると、世界を変えていく力になることを実感しました。たくさんの知識やノウハウをこのオープンコミュニティから学びましたし、ひとつの信念を持つことが出来ました。私自身の経験からですが、15歳の子の声に耳を傾けることできればできるほど、「目指している未来は、自分たちの方へと近づいてくる」と信じています。
(※6)「リバース・メンターシップ」:行政院(日本の内閣府にあたる)の大臣が、35歳以下の若者を「逆メンター」(=リバースメンター)として任命する制度。リバースメンターは大臣に新たな発想を与え、大臣は若者たちに行政の仕事や役割を教える。世代や立場を超えた相互の学び合いの仕組み。
(※7)g0v(零時政府 / ゴブゼロ):2012年、オードリー・タン旧知のチア・リャン・カオ(高嘉良)が中心となって「政府を『フォーキング』する」と提唱して創設されたオープンソース・コミュニティ。2020 年にコロナ対策で台湾海外でも広く知られ、マスクマップはこののコミュニティから生まれた。 (※出展:【全文】オードリー・タン独占インタビュー「モチベーションは、楽しさの最適化」)
知らない人との協働に必須なのは「みんなに説得する姿勢」
鷲尾:「社会イノベーション」を「産業イノベーション」と同じ原理として捉えていくというマインドセット。産業側ではそれはどのような具体的な動きとして現れてくるのでしょうか。
オードリー:台湾では中小企業が多く、ほとんどの就業人口は中小企業に勤めています。
サービス業や製造業などさまざまな分野で大きな割合は中小規模の企業になりますので、「変化に強く柔軟に対応する」という姿勢は、台湾の産業においてひとつの特徴とも言えます。必ず知らない人と協働することになりますから、みんなに説得する姿勢が重要になります。
日本語では「説明責任」という言葉があるそうですが、上司が部下に説明するという概念ではなく、自分の中のアイデアを内部や外部の人に説明し理解してもらうということになると思います。
それは大型企業でも同じで、社内の内部からイノベーションを起こしていくという考え方が重視されています。
私は15歳で起業していましたが、起業後、当時ACE Peripheralsという大きな企業にある部門の責任者である李焜耀氏と知り合いました。李さんは、主にコンピューター関連商品を開発していましたが、内部だけでなく世界中で使えるものを開発したいという考えが強かったようです。
すると彼は彼の企業内の部門を、わずか3年間で BenQという名の企業にして起業してしまいました。こうした本来企業の内部にあるヒューマンリソースや管理のノウハウなどを、外部に移し応用するという「スピンオフ」の動きは台湾でよく見られます。
何れにしても、いわば「内部から外部へのイノベーション」ですね。
鷲尾:一人のアイデアを共有し合うことから始まり、それが内から外へと力が広がっていくという動きですね。
確かに、それは民主主義の発想と通じています。
オードリー:協働する姿勢とは「お互いに説得し合う」という精神です。この考え方が、産業界においても生かされ、イノベーションを生み出すのだと思います。
「ソサエティ5.0」の実現に必要なこと
鷲尾:今、日本では「社会5.0」(ソサエティ5.0)という社会変革のヴィジョンについての議論が進んでいます。
人口減少社会においても、生活者が持つ可能性とデジタル技術の可能性とを活かし合うことで、持続的な経済的発展と社会的課題の解決を両立することを目指すものです。オードリーさんもこの「社会5.0」というコンセプトはご存知ですよね。ではこのヴィジョンを実現するためには、何が重要な課題だと思われるでしょうか?
オードリー:「社会5.0」は「工業 4.0」(インダストリー4.0)と対照して新しく生まれたコンセプトですね。これからは、産業が社会を引っ張るのではなく、社会が産業をリードするという考え方はとても重要だと思います。
「社会がリードする」というのは、政府が上から市民に指示を出すということではなく、逆に、謙虚になって市民の声に耳を傾けることです。そして、そのことによって、みんなが求めている共通の価値を見つけ出すことです。
みんなが求めている「共通の価値」を見つけ出すには、今までのラジオやテレビには限界がありますが、今はSNSが活かせます。しかし、SNSには広告を入れられる仕組みがあるため、政府は、企業や団体などの資金によるアンチSNS(デマ情報や誘導するような情報が氾濫するような環境)にならないよう対策を立てなければなりません。
そういった様々な立場の人々に寄り添うことのできるインターネット環境を実現することが、真の「社会5.0」を実現してくことにつながるのだと思います。そこから、社会がどのようにして産業をリードするかが具体的に見えてくると思います。その意味では、台湾の2014年のひまわり学生運動は、そのひとつの見本であったと言えるでしょう。
鷲尾:どうすれば、一人ひとりが持っている課題を、みんなの課題として考えられるか。共通の価値を見つけ出すには、そのための仕組みや社会構造(アーキテクチャー)をつくり育むことが必要である。そこに、危機を乗り越えるための創造性が必要とされるのだと思います。
国籍が台湾でなくでも「自分は台湾人」
オードリー:台湾の民主化の進展は、「BY ALL」と近い文化があると思います。その延長としてお話したいのが「Also Taiwanese」という考え方です。
今現在、多くの外国人は国籍が台湾でなくでも、自分が台湾人だと考えている人がいます。最近の一例として、先日チェコの参議院長が台湾を訪問したのですが、台湾議会でのスピーチで「Ich bin ein Berliner」(私はベルリン市民である)(※8)を引用し、「私は台湾人」だと言いました。
これは民主主義や自由な世界、そしてこれからの国際関係などへのメッセージで、冷戦当時の西ベルリンのように、台湾や香港は、今世界に注目されています。「地球村」として、ともに価値観を共有し協働していく時代であり、台湾もそれに応じる政策も作っています。
「BY ALL」、「クロスセクター」、あるいは「トランスカルチュアリズム」という概念と同様、これからの社会は、単なる国内での多文化主義だけではなく、国境を超えて「世界のみんなで協働していく世界」になるだろうと思います。
鷲尾:昨年、台湾文化部に招聘いただき、皆さんの前で「創造性と都市」についてレクチャーをさせていただきました。若い人たちがとても熱心に耳を傾けてくれていて、その姿がとても印象に残っています。
これは私の個人的な印象なのですが、台湾を訪問し、特に若い世代の人たちと会話をするたび、いつもとても柔軟で開かれたマインドを持った人たちが多いことを感じていました。ですので、コロナ対策のことを知った時、実は私の中ではそれが可能となる状況を容易に想像することができました。
(※8)「Ich bin ein Berliner」(私はベルリン市民である):ジョン・F・ケネディ第35代アメリカ合衆国大統領が1963年6月26日に当時の西ベルリンで行った演説の中の言葉。冷戦下のベルリンへの連帯を表した。
オードリー:台湾では「同舟一命」という言葉があります。みんながひとつの船に乗っていて、何かが起きたとき互いに影響し合う、運命の共同体ということを意味しています。これは今回のコロナ対策でも非常に重要な観点だったと思います。絶対に、私や誰か一部の人が上手く対処したというわけではないのです。
日本も台湾も、多くの島々でできた国ですので、共通する考え方ができ、お互いに理解し合える文化も多いと思います。今の状況が収束したら、直接にお会いできるのを楽しみにしています。一緒に頑張りましょう。
(今回のインタビューは、「生活圏2050」プロジェクトの一環として実施された。プロジェクトレポート『CITY BY ALL ~生きる場所をともにつくる』に、ご興味をお持ちの方は問い合わせて頂きたい)