大衆、分衆、個と[みんな]がバラバラになる 流れのなかで、かつてほど[みんな]を 気にしなくなったと思われる、 日本の生活者。
しかし、海外の方からはいまだに 「日本人はみんなを気にしすぎ!」 という声も聞こえてきます。では、海外に[みんな]は、 存在しないのでしょうか。 ここでは中国と欧米における、 [みんな]の捉え方を、 生活綜研(上海)の研究員や 海外生活者の生の声を 交えつつ、ご紹介します。
中国の[みんな]
中国では、生活者全体を指す[みんな]は
日常生活ではほとんど使われません。
生活綜研(上海) 包研究員
中国語には、漠然とした広い[みんな]を指す言葉として「大家」があります。しかし、フォーマルの場で呼びかける際に「みんなで団結しよう」というときに使うくらいで、日常会話にはほぼ登場しません。国土が広く人口が非常に多いのと、国内の所得格差が10倍、20倍と激しいこともあり、生活者全体の[みんな]というものはイメージしづらいのではないでしょうか。
もちろん、何かを決断するときには「圏子」(親しい友人・知人)の意見を参考にすることはありますし、インターネット上の情報も参考にします。そこは日本と近いかもしれませんが、日本でいう「空気を読む」「忖度する」といった概念や先輩・後輩などの上下関係がないので、[みんな]にあわせようという意識はほぼないと思います。一方、大陸の人と違って、台湾の人たちは日本の考え方に近いです。島なので生活者全体をイメージしやすいことと、地震や台風などの災害が多く、団結しないと生きていけないことが影響しているのかもしれません。
生活者の声
「みんなは一般の人々全体のこと。テレビの情報や、バラエティ番組の芸能人の言うことがみんなを代表していると思う。」(20代男性・台湾在住)
「あまりイメージが湧かないが、みんなは同じ生活環境にある人だと思う。例えば、 同じ1級都市である北京・上海に住んでいる人たちとか。」(30代男性・上海在住)
「あえて言えば、みんなは友達や同僚のことだと思う。親しい人は自分と似た価値観を持っているので、参考にしやすい。」(30代女性・上海在住)
欧米諸国の[みんな]
欧米諸国の方に共通していたのは、[みんな]を気にするより自分の考えを持つことが大事だという考え方です。 「みんなに合わせることはしないし、不特定多数の漠然としたみんなはそもそも思いつかない」という意見が大多数でした。学校教育の違いもあって、参照先としての[みんな]を意識することは少ないようです。
「日本の人はみんなに合わせすぎだと思う。フランス人は自分の意見を表明するのが大事だと学校で教わるから、自分がいいと思えば化粧をしない女の子もいるし、それがかっこいいと思われる。日本では自分よりほかの人の意見を優先する人が多くてびっくりした。」(20代男性・フランス人(日本居住経験あり))
「その場の話題や状況によって変わるみんなはあっても、目に見えない漠然としたみんなは思いつかない。何かを決めるときに参考にするのは、世の中や流行よりも、自分が信頼している人の意見。」(20代男性・アメリカ人)
「北欧は日本と同じく農村社会だったので、もともとは世間と同調しようという気質がある。でも今は、学校でも自分の考えを持つように教育されるので、みんなを気にすることはほぼないし、日本にように人のことに口を出す人も少ない。」(50代女性・日本人(スウェーデン在住))
「世の中と意見が違っても気にしない。実際私は、結婚する年齢や職業も自分の考えで決めた。ドイツでは女性も含め、自分の意見を持っていて、周りにもはっきり言う人が多いと思う。」(60代女性・ドイツ人)
「トレンドはあくまでも、興味を持つきっかけ。自分でよく考えて、しっくりきたものを取り入れている。もう少し大きい決断をするときは、親しい友人の意見を参考にしている。」(20代女性・スコットランド人)
調査協力: MIRAI Of fice AB、生活綜研(上海)
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