–日経クロストレンド(70)連載–
“他人の喧嘩”で感情不足を補給 「感情ミュート社会」が生む3つの新欲求
「日経クロストレンド」の連載記事です。
あえて感情を出さないことが新たな常識となりつつある。そんな「感情ミュート社会」が到来するなかで、生活者はどのような欲求を持ち、消費行動を変容させているのか。N=1のインタビューから新たな行動を浮き彫りにしていくとともに、企業がどう対応すべきかを解説する。

「感情」をあえて出さないのが常識の社会に、企業はどうすべきか(画像/xyz+/stock.adobe.com)
人と付き合うためのマナーとして、さらには自分を守り、快適に暮らす生存戦略として、あえて他者に感情を出さないことが新しい常識として生活者に定着しつつある「感情ミュート社会」が到来している――。前回は、その背景や生活者の実態を解説しました。
今回は、感情ミュート社会のなかで、新たな行動を取り始めた50人を超える生活者へのインタビューや、複数回の定量調査から見えてきた生活者の感情との新たな向き合い方や欲求について紹介します。そして、感情ミュート社会で企業に求められることについても考えていきます。
「感情ミュート社会」が生んだ、生活者の3つの新欲求
感情をあえて表に出さないことが「新しい常識」として定着しつつあるなか、生活者は自分の中にためた感情にどう向き合っているのでしょうか。インタビューから見えてきたのは、感情ミュート社会だからこそ生まれた3つの“新欲求”でした。
新欲求の1つ目は、「感情を整えるなら、他者視点で」です。
これまでの「感情の整理」といえば、日記を書いたり、ひとりの時間をつくって自分と向き合ったり……といった内省的なものが主だったのではないでしょうか。しかし、感情ミュートが常識化して、心の内にとどめる感情が増えるなか、生活者は新たなアプローチとして自分の視点だけでなく、第三者視点をうまく借りながら感情を整理する方法を生み出していました。
【生活者事例(1): 誰かの短歌を読んで整える】
例えばタナカさん(29歳女性)は、人が書いた短歌を読むことで感情を整えています。誰かが書いた短歌を読むことで、「あのときの自分が感じていた感情ってこれだったんだ」ということを再認識したり、曖昧だった自分の感情の輪郭が鮮明になったりするのだそうです。
実は今、現代短歌は若者を中心に人気を集めており、短歌専用のSNSが登場したり、短歌で感情を表現するイベントが開催されたりしています。制限のある形式のなかで感情を凝縮して「型」に落とし込む短歌。誰かが書いた短歌は、自分の感情を客観視して整理するツールとしても活用されているのです。他者の言語化を活用して感情を整えているわけです。
【生活者事例(2):AI(人工知能)に新しい視点をもらって整える】
「他者視点」にはAIも含まれます。タカノさん(43歳女性)は、育児に関するモヤモヤした感情を解消するために生成AIを活用しています。
AIが得意とする「合理的な回答」ではなく、あえて「スピリチュアル的観点でどう思う?」というような違った視点でのアドバイスを求めることで、自身の思考の枠外にある視点により感情を前向きに整えられると言います。
このように感情の整理にAIというテクノロジーを活用している生活者は、他にも複数人いました。解釈を少し広げるならば、AIなども含む他者の価値観で理由付けして感情を整えていると言えそうです。
【生活者事例(3):みんなの状況を確認して整える】
喜ぶときに他者視点を使う人もいます。シイナさん(33歳男性)は、人気アーティストのライブに当選した際、落選した人の投稿をわざわざSNSで検索して「これはかなり喜んでいいことなんだ」と理解できたのだそうです。つまり、他者の感情を確かめて自分の感情を整えているのです。
感情ミュート社会だからこそ、表に出さずに自分の中にとどめておく感情は増えています。心の内にある感情をどう整えるかは、これからますます重要になってくるでしょう。
自分ひとりで感情と向き合い、内省するだけでなく、他者の言葉や視点を借りつつ、感情を整える欲求が生まれているのです。
新欲求の2つ目は、「感情を伝えるなら、安全に」です。
感情を出さないことが常態化するなかで、相手に感情を伝えるときはどうしているのでしょうか。
以前から日本社会では周囲の「空気を読む」ことで調和を保ち、その場に合った感情を出すことが求められていました。その結果、「空気の読み合い」が重要視されるようになり、他者を気遣うあまり自分より他者の感情を優先しがちでした。
しかし、今回の生活者インタビューからは、周囲に合わせ過ぎるのではなく、自分にとっても心地よい方法を選んで感情を伝える、という行動変化が起きていることが明らかになりました。
【生活者事例(1):顔も名前も知らない推し活仲間に伝える】
例えばユリさん(55歳女性)は、SNSの音声配信サービス(X[旧Twitter]のスペースなど)を使って、顔も名前も知らない相手と、あえて健康や介護といった「込み入った話」をしています。
相手の素性が分からず、二度と会うこともないからこそ、本音で会話ができる。顔やプロフィルを知ってしまうと、相手と自分を比較してしまい、素直にしゃべれなくなるのだそうです。
つまり、個人情報を知らない同士だと気兼ねなく感情を伝えられるということです。
【生活者事例(2):ネットミームで冗談交じりに伝える】
また、自分の感情を自分の言葉や表現ではなく、「ネットミーム(SNSやネット上で拡散されるネタ的な動画や文章)」を通して伝えている生活者もいました。
ミウラさん(27歳男性)は自分の思いや感情を、はやっているネットミームに乗せて発信しています。みんなが周知している形があるからこそ発信しやすく、冗談交じりに表現することで、真面目な話題も柔らかく伝えられるのだそうです。みんなの話題に紛れて感情を伝えているわけです。
【生活者事例(3):AIで表現をチューニングして伝える】
感情を伝える場面でもAIは役に立つようです。ヨコイさん(32歳女性)は、職場の後輩への指導のメールを送る際、自分のいらだちや怒りが文面に出過ぎないよう表現をAIにチューニングしてもらっているそうです。
感情が出過ぎないように気を付けていても、自分だけで文章を考えていると見落とすこともあります。そこで、AIを使って相手を傷つけないような表現に調整することで、対人関係のリスクを減らしている、ということでした。自分の表現に自ら検閲を入れて感情を伝えているのです。
これらの生活者の行動に共通するのは、相手を傷つけないように配慮するだけでなく、自分も気兼ねなく伝えられたり、リスクを減らせたりする方法で感情を伝えている、ということ。そしてその行動の根っこには、「感情を伝えるなら、安全に」という欲求があるのです。
感情の摂取が不足している時代の新たな欲求とは
みんなが感情をミュートする社会では、他者の素直な感情に触れる機会も減っていきます。実際に、生活総研の調査データでも、「ここ数年で、他人から素直な感情を表される機会が減った」と感じている生活者(「減った」と「やや減った」の合計)が59.7%と約6割に上っていました(図1)。

博報堂生活総合研究所「感情に関する意識調査(3回目)」
自分も感情を出さない場面が増えているわけですから、他者も同様。ある意味、当然の結果とも言えます。しかし、興味深いのは、意外にも「人と接するとき、その人の感情や気持ちを出してほしいと思う」と感じている人(「そう思う」と「ややそう思う」の合計)も62.5%と6割を超えていたのです。
さらに、「喜怒哀楽など人間らしい感情を味わいたい」という願望(「そう思う」と「ややそう思う」の合計)も66.5%と6割を超えていました(図2、3)。

博報堂生活総合研究所「感情に関する意識調査(1回目)」

博報堂生活総合研究所「感情に関する意識調査(1回目)」
前述した通り、感情ミュート社会では、ネットミームやAIなどを使い、感情を編集してから出す生活者が増えています。その結果、他者の生々しい感情に触れる機会は希少化していると考えられます。
“ないものねだり”は人の常で、普段触れられないからこそ他者の生々しい感情を希求し、触れるための新たな方法を生み出している様子が生活者インタビューから見えてきました。
それでは、どのように感情に触れているのか、具体例を紹介していきます。
【事例(1):他人の占いを聴いて感情に触れる】
例えばミホさん(52歳女性)は、SNSの音声配信サービスで「占師が他人の悩みを占っている様子」を聴くことを楽しんでいる生活者です。他人が泣いたり反論したりと感情をむき出しにする様子に触れて、「人間の感情って面白いな」と感じるのだとか。
占いのように、人のありのままの感情が吐露される場で、自分ではなく他者の様々な感情を味わっているというのが印象的でした。つまり、感情が吐露される場に潜り込んで感情に触れているということです。
【事例(2):動画配信で本音の口げんかに触れる】
また、ケンジさん(32歳男性)は、経営者同士が本音でぶつかり合う動画コンテンツをよく見るとのこと。経営者など、普段感情をあまり表に出さなそうな人の本音が見られるのが特に面白いのだそうです。
周囲の本音や感情を受け取ることが少なくなってきているからこそ、口げんかっぽいコンテンツが癒やしになっているということでした。日常生活で触れる機会が減った感情を、感情がぶつかり合うコンテンツで味わい、本音のリアルな感情に触れようとしているようです。
【事例(3):AIを使って推しからの熱烈な恋心に触れる】
最後は、AIに推しや自分の情報を学習させることで、推し本人として会話をしたり、時には熱烈な恋愛感情を向けてもらったりして楽しんでいるMIHOさん(41歳女性)です。
その一例として、「推しから告白される」という設定でのAIとの実際のやりとりを再現したものが以下です(図4)。

熱烈な感情を向けられたMIHOさんは、照れてしまい思わず軽く返してしまったとのこと。このように現実では決して触れることのない「推しからの熱烈な恋心」など、自分に向けられたい感情もAIを使うことで手軽に疑似体験できるということでした。これは、向けられたい感情をAIで生成して触れているということでしょう。
3人の生活者の事例から見えてくるのは、希少化した他者の生々しい感情を、刺激として自ら取り入れ楽しむようになってきているということです。それが、「感情に触れるなら、エンタメとして」という欲求の内在を表しています。
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<日経クロストレンド「30年のデータで解析! 生活者の変化潮流」>
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