感情を出さないことは、
都市での適応術
精神科医 熊代亨氏
アンガーマネジメント、ハラスメントや
メンタルヘルスケアの対応など
感情や気持ちの理解と管理が注目されて久しくなりました。
一方でSNSでの炎上や誹謗中傷などが問題化していたり、
推し活やフェスなどが盛り上がっていたり、
感情を爆発させる機会は増えているようにも感じます。
生活者のなかで「感情」は今、
どんな状況にあるのでしょうか?
ここからは、時系列マクロデータや意識データ、
生活者の生声などの様々なデータとともに
生活者と感情の今をひもといていきます。
「感情」をタイトルに含むビジネス書、「感情史」を取り扱った歴史書、言語化された繊細な感情を味わう本、感情の言語化テクニックを指南する本など、現在は様々な視点と絡めて「感情」がテーマとして取り上げられる機会が増えているようです。
そうした現代において、生活者は「感情」とどう向きあい、また「感情」をどう取り扱っているのでしょうか?
疑問に思った私たちは、様々な角度から「感情に関する意識調査」を実施。みえてきたのは、2025年現在という一時点ですが、生活者の感情表出は減少傾向にあるというデータでした。
自分の感情を出す機会が増えたか減ったかに関しては、6割が「減った」と回答(図1-1)。また、自分の素直な感情を出せる相手や場の増減も、「減った」が6割を超えました(図1-2)。以前に比べて自分の感情を出す機会、相手、場が減っているという感覚が、生活者自身にはあるようです。
インターネットやSNSで常に情報につながっていて、いろいろな人の感情に触れる機会も増えました。なかでも、怒りや不平不満といったネガティブな感情について、毎日のように炎上ニュースとして見かける方もいらっしゃるでしょう。
しかし数量データでみると、国内の炎上発生件数は2021年の1,766件をピークに、2024年は1,225件と実は増えているわけではないことがわかります(図1-3)。
怒りのようなネガティブな感情を煽られるように感じるのは、数ある情報のなかから読んでもらうために、ことさら強めに書いているニュース記事やSNSの投稿が多いからかもしれません。
また、「感情コントロール」「アンガーマネジメント」という検索ワードの人気度の動向をみると、ともに漸増しています(図1-4)。冒頭に、感情を取り扱う書籍が増えている話に触れましたが、インターネット上でも感情、特に怒りを抑えたり、うまくコントロールしていくことについての関心が高まっていることがわかります。
ハラスメントの防止やメンタルヘルスの問題が取り上げられ、「自分の機嫌は自分でとる」セルフケアが求められるようになってきた時代を反映しているのでしょうか。
先ほどの、感情を出す機会や相手が減った、というのは環境変化などの外部要因が影響して「感情を出せなくなって」いるのかもしれません。
しかし私たちの調査では、生活者の過半数が、あえて自分の感情を出さないようにしているということも明らかになりました(図1-5)。
環境変化で感情が出せなくなっていることに加えて、生活者が自ら「感情を出さない判断」をしているということなのです。
そもそも日本人には本音と建前の文化や、言動の背景にある文脈や暗黙の了解を重視する文化があるといわれるように、 「抱いた感情をそのまま出さない」ということは、これまでも少なからずありました。
そう考えると、日本人は昔からそうなのでは? と疑問を持たれる方もいるでしょう。
しかし、この感情を出さない判断は、かつてないほどの広がりをみせているようです。
「感情労働」という言葉があるように、肉体、頭脳だけでなく感情を労働につかうことが増えているといわれています。ビジネスにおいて、効率や合理性を考えたり、職場で円滑に業務を遂行したりするために、感情を抑える場面は以前からもありました。
しかし、「出さない判断」はビジネス以外の、日常生活にも広がっているようなのです。
私たちの調査で、日常の様々な場面において、自分の感情を出さずに抑えているかどうかの実態を聞いています。やはり、仕事のときに自分の感情を抑えている人は8割強と最も多いのですが、友人と一緒のときは7割弱、子どもや親、配偶者・パートナーなどの家族といるときでも半数以上が「抑えている」と回答しています(図1-6)。
実際に、感情を出さずに抑えているエピソードを生活者に聞いてみても、出さない方が日常の人間関係がうまくいく、人に出さずに自分で解決したい、仕事モードが日常に移ってきてビジネスライクになってきている、といった話が挙がりました。
生活者それぞれの経験や視点から、感情を出さない判断の日常化が進んでいるようです。
出典:博報堂生活総合研究所「生活者ヒアリング」よりコメント抜粋
怒りや嫉妬などのネガティブな感情を人に直接ぶつけないということは、人として、またマナーとして、今も昔も行われている配慮です。
しかし、現代ではそれだけではなく、うれしい、楽しい、好き、というポジティブな感情にまで「出さない判断」が広がっているようです。
「感情に関する意識調査」では、「良いことがあった時、浮かれ過ぎないよう感情や気持ちを落ち着かせることがある」というのは6割強の人が(図1-7)、「落ち着かせたい」という意向で聞くと7割近くの人が「そう思う」と回答しているデータがあります(図1-8)。
相手への思いやりだけではなく、自分のなかで感情を律しておきたい気持ちからも、ポジティブ感情をそのままにはしておかないという面が浮き彫りになりました。
また、日常のポジティブ感情を抑えるエピソードも、生活者から寄せられました。受け手への配慮に加え、受け手の変化で出せなくなる話、今のポジティブな感情と後のネガティブ想定のギャップを埋めておきたい意識など、共感を覚えるものから、そんなところまで……と驚くものも挙がりました。
出典:博報堂生活総合研究所「感情に関する意識調査(第3回)」の自由回答より抜粋
再現ビデオポジティブな感情を
出さない生活者たち
ポジティブな感情を出さない生活者エピソードのうち2つの事例を、少し脚色した再現ビデオにしました。
ひとつ目は、仕事でいいことがあっても、浮かれすぎないようにしたい男性のエピソードです。
その背景には、仕事の成功の後に失敗して傷つきたくないので、浮かれすぎずに感情の落差をなくしておきたい、という気持ちがあるようです。
ふたつ目の再現ビデオは、子どもが幼稚園に合格したママのエピソードです。
合格をきっかけに習い事や教育に興味が増していき、子どもの将来に対しても「うちの子、すごい子に育っちゃうんじゃないの⁉」と夢や期待を膨らませています。
そんな溢れんばかりの喜びを生活者自身がどのように抑えるようになっていくのでしょうか。そこには、最近SNSでもよく見かけるようになった「○○ハイ」がありました。
「○○ハイ」とは、うれしいときの人への伝え方が度を超えてしまう「ハイ状態」のことで、揶揄するときに使われることもあります。そして、その揶揄されてしまっている情報を日頃からみていると、「○○ハイって言われるかもしれないからやめよう……」と自分のうれしい素直な気持ちを出さない判断につながることもあるようです。

一方で、むしろ自分から「〇〇ハイ」という言葉をつかって、余計なことを言い過ぎたり、自分が後悔したりしないよう、自らの感情を律する生活者も現れてきています。
例えば、「受験合格後、アドバイスを求められたけど、今すぐ返信すると“合格ハイ”で変なことを書きそうだから、いったん下書き保存して、後日送るようにした」というお話。また、他にも「昇給したのでちょっとリッチに夜行バスでなく新幹線で都市部へ向かうなか、“昇給ハイ”で予定外の買い物をしないように気をつけなきゃと思った」というエピソードがあり、「○○ハイ」のつかわれ方も進化しはじめています。


ネガティブな感情は当然抑えて、ポジティブな感情も出さないとなると何も言えない時代になってしまう……という危機感を持ちながら、生活者の意識をさらに深掘りしてみました。
「ポジティブな感情を出している人」へ感じることと、「ポジティブな感情を出している自分」に対して周囲が感じると思うことについて、それぞれ調査をしました。すると、他者へは上位から良い印象が並びます。対して他者からの自己評価は4位以降「うるさい/騒がしい(11.7%)」「周りが気を遣いそう(11.5%)」「変わっている/個性が強そう(10.1%)」とネガティブなイメージが入り混じります。このギャップから、自分がポジティブな感情を出すことの自己評価が厳しく、ついつい遠慮してしまう理由がうかがえます。
ここまで、公私ともに、ネガティブな感情だけでなく
ポジティブな感情まで「あえて感情を出さない」ようにしている
生活者の意識をみてきました。
では、こうして感情を出さない判断が広がってきている背景には、
どのような時代の変化があるのでしょうか?
ここからは、社会構造の変化、人間関係の変化、生活意識の変化という
3つの視点で考えていきます。
まずひとつ目は、社会構造の変化です。労働領域では自営業者の減少とともに、雇用者は増え続けています(図1-9)。従業構造が変化し、組織に属して集団で働く場合、そのなかで協調しながら生産性を上げていくには、仕事内で感情を出し過ぎないように管理していくことも必要になってきます。
あわせて、産業の構造も第三次産業、つまり商業・サービス産業が増加してきていることで、顧客に対して、嫌な表情を出さない感情労働が増えていきました(図1-10)。そして、現代は第三次産業に限らず、「フキハラ(不機嫌ハラスメント)」のように、感情を出すことがハラスメントに当たる可能性も出てきています。モノや情報ではなく人とともに、人を相手とする「対人労働」が増えることで、アンガーマネジメントや感情管理をすることの必要性が増してきているといえます。
また、精神科医の熊代亨氏は、人口が増える都市化を、感情を出さなくなる一要因として挙げています。人口密度が増えると、感情を思うがままに出して衝突すること、感情的に騒がしくすることは生産的ではなく、静かにしている方が適応的に過ごせます。さらに、その傾向は世代を超えて強化されていき、感情を出さない傾向は再生産されていくと考えられるそうです。
実際に、日本の都市化率をみると、1960~70年代の高度経済成長期ほどではありませんが、2020年まで緩やかに上昇を続けており、都市化は戻ることなく進み続けています(図1-11)。
精神科医 熊代亨氏

日本、というか東京は、人口密度が高いので「静かでなければならない空間」だと感じています。例えば、朝の通勤ラッシュ時などに私語が絶えない人がいたらすごくストレスになってしまう。しかし、そうではないのは、実は人びとが静かでいることに多くを依っているのです。グローバル化しているところは多かれ少なかれ東京化していて、地球上の都市で暮らしている人口が最近50%を超えたというニュースがありました。都市にはいろいろな思想信条の人が集まってくるし、人口密度が高過ぎることもあり、お行儀良くしなければいけないニーズが高いものです。人が集まって効率良く、トラブルなく動くようにするには、感情をあまり出さない方向に規範も個々人も動かざるを得ないと思います。
続いて、人間関係の変化に着目してみたいと思います。
インターネットとSNSの普及で、個人が誰でも自由に発信できるようになりました。インターネットの匿名性を利用して、以前なら人に言えずに届かなかったような感情の発信も増えていきました。そうしたなかで、「別の立場の人のことを考えていない一面的な発言だ」「何気ない発言で受け手が傷ついている」「良かれと思っての行動で相手が怒っている」といった立場や価値観、感じ方の多様性が明らかになっていき、さらには、ニュースや番組などのマスメディアでも取り上げられ、可視化されるようになってきました。
日本は人種や宗教などの差が比較的少ない国だと考えられますが、「自分とは異なる状況、価値観や感じ方をする人がいる」ということが広く知られるようになってきたことで、感情の表現や言葉のつかい方を配慮する人が増えているようです。
文化庁の調査によると、「言葉の使い方に対する意識」として「気を使っている」という回答は8割を超えています(図1-12)。それは、自分の発する言葉のひとつで、人間関係において想定外の摩擦を生んでしまうリスクが高まっている、という時代の変化を表しているとも捉えられます。
また、同じ調査の別の項目で、「差別や嫌がらせ(ハラスメント)と受け取られかねない発言をしない」は全年代で過半数となっています(図1-13)。「インターネット(SNSなど)で、感情的な発言・反応をしない」に関しては、年代差が大きいですが、10~20代では6割強、50代まででも4割台で、幅広い年代で感情を考慮した発言や反応を意識していることがうかがえます(図1-14)。
私たちの独自調査でも、周囲への配慮で、感情を出さずにため込むことが多いという回答は6割でした (図 1-15)。 こうしたデータは、感情を出さない判断をした結果、ため込んでいることもあるものの、それ以上に周囲への配慮は 必要だと感じている現代の価値観を表しているのではないでしょうか。
最後に、生活意識の変化という観点で、「出さない判断」の広がりを考えてみます。
何かと「コスパ(コストパフォーマンス)」や「タイパ(タイムパフォーマンス)」の良し悪しなど効率性が語られる昨今。2025年に行った調査で「何事も効率的に済ませたい、無駄をなくしたい」という願望は7割を超える、高い意識であることがわかっています(図1-16)。
そして、生活総研の「時間に関する意識調査」では、日頃の行動(仕事や家事、遊びなど)について、「以前に比べて高速化しているか」と、「気持ちとしては高速化した方がいいか」を聴取しています。1999年と2025年の結果を比べてみると、「高速化している」実態はあまり変わっていませんが、「高速化した方がいい」意識は高まっていることがわかりました(図1-17)。ここから、タイパ意識は強化されているといえそうです。
社会学者 土井隆義氏

成長期の日本社会では、「昨日と今日とでは世界は違うものになったし、明日の世界はもっと違うはずだ」と思われていてゴールが見えない状況で、コスパのような発想はされませんでした。一方で成熟期に入った現代の社会で、若者たちは、半分錯覚だと思いますが、「未来は現在の延長線上にあり、ゴールが見えている」と感じています。ですから当然そのゴールに最速・最短でたどり着こうとして、効率を求めるようになる。これがコスパ・タイパの感覚です。成長期の日本社会では、「昨日と今日とでは世界は違うものになったし、明日の世界はもっと違うはずだ」と思われていてゴールが見えない状況で、コスパのような発想はされませんでした。一方で成熟期に入った現代の社会で、若者たちは、半分錯覚だと思いますが、「未来は現在の延長線上にあり、ゴールが見えている」と感じています。ですから当然そのゴールに最速・最短でたどり着こうとして、効率を求めるようになる。これがコスパ・タイパの感覚です。
それでは、こうした効率志向と「感情」は、どう関係するのでしょうか? 実は、「感情は効率の悪いこと」と感じられているようなのです。
その理由のひとつには、感情を出すこと自体に労力がかかる、と考えられていることが挙げられます。 こうした考えは、「ネガティブな感情を出し過ぎると疲れると思う」という項目に対して8割近くが「そう思う」と回答していることからもみえてきます(図1-18)。
また、人間関係の変化でもみてきたように、価値観や感じ方の多様化が進み、感情の表出や表現はその場に応じて考え、慎重に判断しなければならないものになってきています。そんな状況で、配慮してあれこれ考える時間や労力が、「もったいない」「面倒くさい」と感じることも増えていると思われます。
さらには、感情の揺れは、ある意味「ノイズ」にもなり得ることも挙げられます。感情が入ることで情報理解や判断の効率を下げる場合があるため、感情の揺れを抑えたいと感じる生活者も出てきているようです。データでみても、「感情の揺れがわずらわしいと感じることがある」生活者は半数を超えます(図1-19)。感情を出さない方が、何だったら抱かない方が、生活や人生を効率良く過ごしていくのに都合が良いという意識が芽生えても不思議ではありません。
怒り、不満、妬み、悲しみなどのネガティブな感情を出さないことは、
社会で円滑な関係を築くために、これまでも必要なことでした。
そして今、こうした生活者の「感情を出さない判断」は、
より日常的になり、喜びや楽しみといった
ポジティブな感情にまで広がり続けています。
より良く人とつきあうためのマナーとして
さらには自らを守り、快適に暮らす生存戦略として
あえて他者に感情を出さないことが
新しい常識として生活者に定着しつつある現代のありようを、
私たちは「感情ミュート社会」と名づけました。
時代の流れとともに、衝突やハラスメントなどに巻き込まれなくなっていく
クリーンで穏やかな社会であり、
私たちの暮らしを、心地よく、スマートにしてくれる――
そんな「感情ミュート社会」とは、社会課題ではなく、
これからも進みゆく社会潮流であると捉えています。