このデジタルとアナログを行き来する創造的な旅は、日本だけに留まりません。台湾在住のシャオルーさんも、同じようにデジタル地図のストリート画像をスケッチして旅する実践者の一人です。前出の璃寛さんとの集合写真に写っているのがシャオルーさんです。
彼女にとって、この活動はコロナ禍で物理的な移動が制限される中、時空を超えて「物語を探す旅」に出るための手段でした。彼女が惹かれるのは、人の営みが感じられる風景です。
「生活感がある風景は、物語性を感じさせます…生活の匂い(人間煙火氣)、つまり人情味ですね」
デジタルで感受性を「育て」、アナログで熱量を「信じる」。生活者が見出したデジタルとアナログ双方の新しい価値を、豊富なインタビュー事例とともに解説します。
| 調査地域 | 首都圏、関西、東北、台湾 |
| 調査対象 | デジタルで生活変化を感じている生活者 |
| 調査手法 | デプスインタビュー(対面/オンライン) |
| 調査人数 | 32人(主に機縁法によりリクルーティング) |
| 調査時期 | 2024年12月~2025年6月 |
| 調査協力機関 | 株式会社アイ・エヌ・ジー/GROVE株式会社/株式会社LinQ |
効率だけだと、思い出にならない。
だから私たちは「ムダ」を探すんです。
私たちが使っている位置情報共有アプリに「足跡機能」があるんですけど、行くと足跡がつくので、「ここにはまだ足跡がついてないから行ってみよう」という感じで、新しい場所に行ったりもします。
地図上で足跡がついていない、穴が開いている場所を見つけて「ここを歩いて埋めてみよう」と考えたり、乗ったことのない電車に乗って「足跡で路線図を埋めよう」と移動したりします。目的地は全くありません(笑)。職場から家まであえて知らない道を歩いて帰ってみたりもします。それでよく迷子にもなります(笑)。
でも一度も行ったことのない場所に行くので、「こんな美味しいお店があったんだ!」とか、「ここの見晴らしはすごくよくない!?」といった発見があります。そうした偶然の出来事が意外と印象に残り、思い出にもなります。
楽しくて、時には訳が分からないような場所まで行ってしまうこともありますが、それがすごく楽しいです。そのためにわざわざレンタカーを借りて出かけたこともあります。
例えば、ファミレスAの渋谷店には足跡がついているけれど、ファミレスAの下北沢店にはまだついていない、という状況なら、あえて下北沢のお店に行ってみる、といった具合です。
もしそうでなければ、いつも決まった場所に行くばかりで、自分たちの世界が広がらないなと思います。「新しい場所に行ってみよう」という気持ち自体がなくなって、本当に効率や合理性ばかりを気にして行動するようになり、生活か「無駄」がどんどん省かれていくのではないかと感じるんですよね。
紫のエリアがまだ行ったことのない場所。効率的に遊ぶのもいいけれど、何もかもが予測可能な体験では満たされない。デジタルがもたらす便利さが、時に体験を想定できる範囲に留めてしまうからこそ、彼らは意図的に「ムダ」を生み出し、予測不能な発見や驚きを味わおうとしています。それは、単なる記録を、かけがえのない「記憶」に変えるための、創造的な行為なのです。
「ムダ」を「排除すべき要素」ではなくて、むしろ「生活の中に残しておきたい対象」と捉えていて、本当に衝撃を受けました。足跡のないところに出かけるためだけにレンタカーを借りることもあるとのことで、余暇の楽しみ方や車の使い方に関する思い込みがポジティブにひっくり返された生活者インタビューです。
ショート動画で偶然見つけた
アーティストに直接会いに行ったら、
生き方の価値観が変わりました。
高校生 女性
お姉ちゃんがずっと就活やってるのを見てます。今の時代、全部いったんオンラインで面接しますよね。上はちゃんとリクルートスーツ着てるけど、下は全然パジャマで面接してたりしてます(笑)。その面接自体10分とかで、表面上だけ見られるなって感じます。
それってもったいないなって。自分もそれをやるのちょっと違うなっていう部分がありました。そしたらちょうど1年前に、ある動画の切り抜きが流れてきました。そこに出ていたイラストレーターの人に興味が出て、調べてみたら「めっちゃ面白い絵を描く人やん!」「この人めっちゃ自分の意志あるやん!」と思ったんです。
SNSをフォローしてDM送ったら返信が返ってきました。遠くの県にいる人だったから会うこともないだろうし…と思ってたんですけど、「同じ県に住むことになった!」というメッセージが来たんです。ちょうど先週にご飯行って、絵ももらってって、すごい幸せな時間でした。
お姉ちゃんたちとは全然違う価値観の人だから、「こういう生き方もあるんや」みたいなことを示してくれた。すごい、もう1年前とは全然違う環境です。
知り合ったアーティストたちとテーマパークにも行くようになった。アルゴリズムが提示する効率的なオススメに乗るのではなく、自ら手探りで試行錯誤する。そのプロセスを経るからこそ、見つけ出した答えが「自分だけの正解」だと確信できる。買い物からキャリアまで自動化が進むなかで、迷いながら探り当てる経験そのものが、貴重になっているのです。
情報は消費しない。
10年間聴き続けて
自分の中で「熟成」させるんです。
ラジオを聴くのが好きです。ラジオアプリの聴き逃し配信でも聴きます。面白かった回は繰り返し聴きますね。番組のトークの中で、自分が引っかかる面白い場面があったとかっていう場合は、また集中して脳が勝手に反応するみたいなんです。
その面白かった部分だけ録音して、また聴くってこともあります。1週間に1回ぐらいは聴いたりしてますね。もう本当に面白いやつだと、10年ぐらいは繰り返し聴いています。
高速で情報が流れるタイムラインから離れ、ひとつのコンテンツとじっくり向き合う。そうすることで、他人の感想に上書きされることなく、自分の中から湧き出る感情を深く味わい、自分だけの新たな意味や解釈を生む。これは、情報爆発時代における、自分の感情を守り、育むための行為と言えそうです。
ラジオ番組を録音して聴き込むために愛用する
博報堂生活綜研・上海
研究員張 博睿
デジタルには刻めない。
この傷や汚れこそが、
僕が頑張った証になる。
やっぱ新品のものを自分の手でボロボロにするのってめちゃくちゃ達成感じゃないですか。だから元々中古のものを買っちゃったら、その達成感が味わえなくて。
例えば単語帳とかは、自分がずっと使い続けてると、黄ばみができたりとか、カバーが破れてきたりだとか、そういうことが顕著に現れるようになってきて、「自分こんなにやったんだ」なみたいなことを、めちゃくちゃ感じさせてくれる。自分でボロボロにしたから達成感あるけど、他の人から見たらそれは「汚い」になるんです。だから自分の手でやることはめちゃくちゃ重要なんです。
漫画などと違って、参考書は初めは難しくてイライラすることもあります。なのに電子的に読んでしまうと、通知や他のことに気を取られて内容が頭に入ってこないと思うんです。
単語帳は自分の熱意とかを表してる、自分の将来のために「努力した賜物」なんですよ。
実際に使っている単語帳。(生活者提供)
デジタルデータは劣化しません。だからこそ、自分の手で形を変えていくことで、かけた時間や熱意といった、形のない「想い」をものに刻印したい。使い込まれてボロボロになった参考書は、彼にとって自分だけの達成感と自信を生み出す、努力の生き証人なのです。
このような欲求の進化は社会のあちこちでも生まれているようです。各地の図書館で利用されている「読書通帳®」は、貸し出し履歴を印字することで、達成感や本への愛着を高めると注目されています。デジタル化で不要とされた通帳が、読書という生活者の能動的な行動の中で生まれ変わっていることは、非常に興味深い現象です。
読書通帳®は、内田洋行の登録商標です。ライブに行って衝撃だったのは、
音響よりも「味方しかいない空間」が
実在するんだってこと。
高校生 男性
初めてのアーティストのライブは、映画館での同時視聴、パブリックビューイング的なもので行ったのがほとんど最初です。「同じものを好きな人たちと、一緒に見る現場があるんだ」ということを初めて認識して、それが衝撃的で、本当に驚きました。
会場ではみんながペンライトを持って、音楽に合わせて振っているんです。みんなが同じものを見ていて、そこは「味方しかいない空間」というか…。同じものが好きな人だけが集まる空間は、サッカーの応援などでもあるかもしれませんが、他にはあまりない、すごくレアなものだ!と感じました。
インターネットで一人で聴いていた時には分からなかったけれど、「こんなに仲間がいるんだな」「みんな同じ気持ちなんだな」と発見した瞬間でした。
SNSでは登録者数や「いいね」の数といった数字だけは見えますが、ファン自身の姿が目に見えることはありません。だから、そのとき初めて「ファンを自分の目で見た」という事実に、本当にびっくりしました。
初めてのライブ体験だったシネマライブ。SNSでの「いいね」やフォロワー数といったデジタルの数字だけでは、本当の安心感は得られない。ネットは常に批判のリスクが伴うからこそ、同じものが好きな「味方」しかいない空間に身を置くことで、安心して「好き」でいられる。その純粋な空間の価値が高まっているのです。
わざわざお店に行って、
たくさんの
ぬいぐるみの中から
「この子だ!」って
自分で顔を選んで見つける。
私が運営するぬいぐるみ保育園を利用される方には、社会的にしっかりされている方が多いです。外でストレスを感じたり、ご自身のブランディングをされているぶん、普段は出せない「インナーチャイルド」のような部分を、ぬいぐるみとのコミュニケーションを通じて表現されています。
でも、ぬいぐるみを保育園に預けている時間は、飼い主さんがコントロールできない、人生で初めての「自分のコントロール下にない時間」になるんです。帰りの電車の中でカバンのファスナーを開けて、「うちの子、今日保育園で1日頑張ったわ」といたわりながら連絡帳を読んで、涙を流される方もたくさんいらっしゃいます。「ぬいぐるみの成長を通して、自分の成長も感じました」という感想をいただいた時は、とても驚きました。
「ぬいぐるみタワー」のように呼ばれるものがあります。天井から床までの棚に、同じ種類のぬいぐるみがダーッと積み上げられている状態のことです。皆さんはそこから自分の好きな顔、いわゆる「イケメン」の子を探し出し、「これだ」という一体を見つけ出します。わざわざ自分で顔を選んで買うわけです。これが、ぬいぐるみが好きな方々の「出会い方」です。
つまり「この子が、自分に選んでもらうためにアピールしていた」「発光して見えた」「この子に呼び寄せられたんだ」と感じるのです。そこに特別な「絆」が生まれるのだと思います。
「ぬいぐるみタワー」と呼ばれることもある
ぬいぐるみを自立させたりポーズを取らせたりすることが何でも一瞬で手に入る時代だからこそ、単なるクリックではなく、「自分だからこそ苦労して巡り会えた」という物語を求める。画面で見たのと同じものが届く利便性の裏側で失われがちな、ものとの「ご縁」や「絆」。それを自らの手で発見し、獲得するプロセスによって、出会いを「運命」にしたいという欲求が生まれています。
金子さんは「ぬいぐるみ保育園」も運営していて、そこには自分のぬいぐるみに人間と同じ保育体験をさせたい生活者がぬいぐるみを預けにやってきます。デジタルはコピーできるけど、アナログだと他人の手に委ねるために一度自分が手放す必要がある。「他人に手渡せる」というのもアナログの価値なんですね。
HAKUHODO INTERNATIONAL
グローバル・チーフ・
ストラテジー・オフィサークリストファー・パルプ
欧米では今、「想いを刻印したい」という潮流が見られます。例えば、単にヴィンテージ時計を買うだけでなく、その歴史ごと継承して自分なりにカスタマイズしたり、DIY工房で大きな家具をゼロから作り上げたりする。そうした「ものに想いを刻む」活動が活発化しているのです。
この背景には、欧米特有のデジタル化の経緯があると考えられます。東洋に比べてデジタル化の統合が遅れていたぶん、近年、ブランドやサービス提供者は非常に迅速な対応を迫られました。
この急激な変化への反動として、私たちは今、「デジタル疲れ」や、さらに「ブレインロット(脳が腐る)」といった言葉を耳にするようになっています。アルゴリズムに思考を明け渡し、常に情報が供給され続けることで、脳がある種、腐敗していく。それは人にとって本当に良いものではありません。
だからこそ社会の振り子が、アナログなものを求める方向へと向かっているのです。しかし、これは単なるノスタルジーではないと言えます。根底にあるのは、何か「神聖」で「特別」なもの、人生において「聖なる価値」を持つものを探し求めたい、という好奇心と欲求なのです。
そして、デジタルとアナログが共存し、組み合わさるとき、その好奇心は、より深い「センス・オブ・ワンダー(未知への驚き)」へと姿を変えるのです。
生活者はデジタルを、効率化のためだけでなく、あえて非効率な回り道や探求に使うことで、自分だけの感覚や価値観を「育てる」ための道具として捉え直しています。そしてまたアナログを、単なる懐かしい体験ではなく、自分の努力や愛情といった目に見えない「熱量」を可視化し、それを強く「信じる」ための装置として活用しています。
つまり生活者は、デジタルかアナログかに分断されているのではなく、一人ひとりが両方を本来の用途を超えて使いこなすことで、いわば「両利き化」しているわけです。
テクノロジーは人の能力を拡張する手段ですが、同時に人を依存させる二面性も持っています。テクノロジー主役で考えると、生産性や効率性の追求が中心となりがちですが、生活者発想ではあくまで人が主役です。人は効率だけでなく、迷ったり探検したりする非効率な楽しさにも価値を置きます。この、人が自律的にバランスを取ろうとする意識の中で、デジタルとアナログそれぞれに、自分にしっくりくる価値が見出されているのです。
デジタル地図のストリート画像を見ながらスケッチをしています。同じやり方で絵を描くSNSコミュニティの仲間が紹介してくれたURLの場所を「ここいいね!」と思って描くこともあれば、「どこを描こうかな?」と自分で迷いながら探すこともあります。
ストリート画像の中を移動しながら一番いい画角を探し、描きたい場所を決めます。まるで街中を歩きながら風景を切り取っているような感覚です。場所が決まったら、そのままペンで描き始めます。
僕は今、描いた場所に「後から行く旅」を実践しています。実際にその場所を訪れると、「あ、この角を曲がれば描いた場所だ」とか、「ここは描こうか迷ったお店だ」といった発見があります。
ガイドブックに載っている目的地は、他の多くの人にとっても目的地です。でも、僕の場合は自分で描きたい場所を探しているので、その場所への自分だけの愛着が生まれるのだと思います。だから現地に着くと、「やっと出会えたね」という感覚になるんです。
SNSコミュニティに絵を投稿したとき最初は驚きました。例えば、自分がスケッチとして紹介した場所を他の誰かが描いていて続々と投稿するんです。他の人が描いて、自分の絵ではない…。「これは面白い」と感じました。
同じ場所を描いた人たちと一緒に、現地に旅もします。仲間内では「このタッチは、きっとあの人が描いた絵に違いない」と分かるくらい、それぞれの個性が出てきます。それをお互いに確認し合いながら、「素晴らしいね」と絵について語り合う旅ですね。
デジタル地図を探索して
描きたい風景を探す
画面を見ながら
スケッチする
完成したらSNSの
スケッチコミュニティに投稿する
コミュニティのメンバーが
同じ場所をスケッチし、
SNSで増殖し始める
同じ場所をスケッチした仲間たちと、
その場所を一緒に旅する
無作為に撮影されたデジタル画像から、自らの感覚だけを頼りに風景を探し出し、アナログでスケッチする。だからこそ、他人のオススメではない「自分だけの目的地」が生まれます。さらに、その体験をSNSで共有し、仲間とつながり、共に旅に出る。デジタルとアナログを行き来することで、これまでの旅にはなかった新しい価値の循環が生まれているのです。
璃寛さんに最初にインタビューした日、ちょうどスケッチ仲間が台湾から来日していて、みなでデジタル上でスケッチしていた都内の場所を案内していたといいます。世界遺産や新しい商業施設でなくとも、2,000キロの距離を超えて旅する動機になるのですね。旅の形が変わりつつあることを実感しました。
このデジタルとアナログを行き来する創造的な旅は、日本だけに留まりません。台湾在住のシャオルーさんも、同じようにデジタル地図のストリート画像をスケッチして旅する実践者の一人です。前出の璃寛さんとの集合写真に写っているのがシャオルーさんです。
彼女にとって、この活動はコロナ禍で物理的な移動が制限される中、時空を超えて「物語を探す旅」に出るための手段でした。彼女が惹かれるのは、人の営みが感じられる風景です。
「生活感がある風景は、物語性を感じさせます…生活の匂い(人間煙火氣)、つまり人情味ですね」
ストリート画像が完璧でないことすら、彼女は創造性の源泉と捉えます。
「自分が監督になって、どんな天気にしたいか、どんな色合いに変えたいかを自分の考えで画面を作り出すことができます」
デジタルで発見した風景に、アナログな手描きの「温かみ(溫度)」を加えて自分だけの物語を紡ぎ、仲間と共有する。ここにもまた、国境を越えて共鳴する「両利き化」する生活者の姿がありました。
台湾からストリート画像を見ながら描いた三軒茶屋の風景。その後、現地を訪れた。
「育てるデジタル」の潮流は、中国でも見られます。
生活者の体感としてコロナ禍が完全に明けた後、中国の生活者は、真偽さえ定かではない氾濫するマーケティング情報や、ビッグデータが送りつけてくる情報環境に対して、強い反発や考察を抱くようになりました。その結果として生まれたのが、「反向〇〇(逆張り〇〇)」という行動です。
例えば「反向旅行(逆張り旅行)」です。これは、ハイシーズンに人気の観光地へ行くのではなく、あえてオフシーズンや、まだあまり知られていないマイナーな場所を探して訪れる、というものです。
人々は自ら試行錯誤し、たとえ失敗を経験しても構わないと考えるようになっています。そのため、「反向旅行」だけでなく、意図的にレビュー点数の低いレストランに行って、自分だけがわかる魅力を発見する、低評価店めぐりのような行動がみられるのです。
これらは、画一的な主流の情報に対する一種の反逆と言えるでしょう。そして、自分自身で予想外の驚きや発見をするチャンスを創り出す、主体的な行為なのです。