STAGE2

賢者の洞窟

有識者たちは「タダ・ネイティブ」をどう分析するのか?

中山さんから見た、「最近の子ども」の印象は?

私たちは東京都足立区を中心に、小学生向けの民間学童保育サービスを運営しています。現在は7つの校舎を運営し、約150名のお子さんが通っています。
立ち上げから4年ほど子どもたちを身近で見ていて特に感じるのは、宿題や習い事に追われている子どもたちの姿。習い事を3つ4つやっていて、「忙しい、忙しい」と言いながら、学童施設を中抜けして習い事に通い、終わるとまた帰ってきて、保護者が迎えに来るまで学校の宿題に取りかかる。そんな子どもは少なくありません。学校からの宿題を終わらせるのに1時間かかるなんてこともあります。私が小学生のころには考えられないことです。

博報堂生活総合研究所の調査では 「ゆとりがある」との回答が増えているが?

大人顔負けなほど、詰め込まれたスケジュールで日々過ごしている印象があるので、「ゆとりがある」という回答が1997年から増えているのは正直意外です。
「大変そうだ」と感じるのは、過去との比較ができる我々の印象であって、当の子どもは最初からその状況。自分の置かれた状況をそのまま受け止めているのかもしれません。宿題や習い事などをこなしつつも、楽しんで向き合っていたり、親のやさしさを感じながら、期待にこたえようと前向きに取り組んでいる子どもたちも多いのかもしれません。

デジタルツールと子どもの向き合いについて感じることはあるか?

学童施設では携帯電話などデジタルツールは使わせていないが、家ではかなり使っている子が多いんだろうなと感じますね。3年生くらいからユーチューブは日常的に見ている印象があります。「PPAP」などのお笑い芸人のギャグ、「恋ダンス」などは大人の間で話題になるのとほとんど同タイミングで知っているし、政治のニュースも知っています。
以前、源氏と平氏の違いが話題になったことがあったのですが、その翌日、ある子どもが源氏と平氏の違いを滔々と語りだしたんです。おそらく家でインターネットを使って調べてきたのだと思います。「大人がなんでも知っているとは思っていないよ」「知らないならネットで調べてよ」とほんとによく言われます(笑)。

何でもインターネットで手に入る環境は、子どもにとってどう作用する?

子どもたちが情報をまったく追わなくなったとは思いませんが、ことさら情報を探しに行っている感覚はないのかもしれません。「知識がクラウド化している」というか、すぐ手近にある感覚というか。下手をすれば「(知りたいことはネットですぐわかるのに)なんで勉強をしなくちゃいけないの?」と言い出さないとも限らない。単に調べれば済むことならばそれでよいのかもしれませんが、答えの出にくい問いに対して「考え抜く」という経験が手薄になるのだとしたら、それはちょっと気になりますね。

とはいえ、ポジティブな側面ももちろんあって。ある小学4年生の子が落語にハマったのですが、インターネットでプロや素人の落語動画をひたすら見ているうちに、ついにオリジナルの落語をつくるまでになってしまった。まわりの大人も好反応で「せっかくなら」と発表会を開いて落語を披露してもらいました。面白かったですよ(笑)。一般の人の「やってみた」動画などのネットコンテンツが、子どもたちに「自分も、やっていいんだ!」と、背中を押す役目を果たしている部分はあると思います。「個性を伸ばす教育」の重要性がさけばれて久しい昨今ですが、何か熱中できるものを見つけた子どもたちにとっては、インターネットが個性を伸ばす強い武器になる。そんな捉え方もできるのではないでしょうか。

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