「ただ、ものを売る」経済活動は
過去のもの
従来、経済や政治といった公的な領域は「理性や合理性が支配的である」と捉えられてきた一方で、私的な領域は「合理性とは異なる原理、無償の愛や情動が中心的である」と捉えられてきました。それに対して、社会学者のエヴァ・イルーズは20世紀以降の社会ではそのような図式があてはまらない事態が徐々に進行し、「経済行為の感情化」と「感情生活や親密圏の経済化・合理化」の双方が同時に進んでいるとし、このダイナミズムを「感情資本主義」と概念化しています。
まず「経済行為の感情化」についてお話しすると、1970年代以降、世界的に消費社会化が進み、同時に「感情労働」が広がっていきました。 感情労働とは、私たちが日頃、「感情規則」にしたがって様々な場面で行っている「感情作業」が、商業や賃労働に組み込まれたものを指します。 日常生活のなかには、「お葬式では悲しみを表現する」といったように、特定の社会的場面において正しいとされる感情表出のコードがあります。 社会学者のホックシールドはこれを「感情規則」と名づけました。感情規則は、ある社会的場面において表出すべき感情の種類や強度、期間を 決めており、私たちはそれに沿う形で感情を表出するようにうわべを取り繕ったり、感情自体をつくり変えたりするような「感情作業」をしています。 コミュニケーションがうまく運ぶかは、実は感情規則の台本に沿っているかで決まります。例えば肉親のお葬式の場で泣いていないと「家庭環 境が良くなかったのかな?」と思われてしまいます。感情は個人的なものだと思われていますが、実は非常に社会性を持ったものなのです。
私たちは日常生活のなかで、感情規則に合わせた感情管理をしているわけですが、1970年代以降、第3次産業の割合が高くなる消費社会では、 対人サービス業を中心に、労働者が自分の気持ちを整え、笑顔や親切さ、優しさや寄り添いを顧客のニーズに合わせて提供することが賃労働の 一部に組み込まれていきました。これが「感情労働」です。感情労働は、フライトアテンダントやショップの店員のように顧客と接する時間や場所が 限定された職種だけでなく、看護や福祉、保育、教育のように長期にわたって他者の人生に深くかかわり、ケアを提供する職種においても行われます。
さらに、当初は顧客を相手に行っていた感情労働が、バックヤードでの同僚や上司との関係性においてもつとに求められ、どのような職種でも 従業員にはコミュニケーション能力や人間力が求められるようになりました。近年企業が社員のウェルビーイングに力を入れていますが、これは 過労死・過労自殺問題に端を発する、働く人のメンタルヘルスの向上というテーマの延長線上にある一方で、従業員がハッピーであればより 良いアイデアが湧き、組織も活性化するといった、感情と生産性や効率性をダイレクトに結びつけて利活用しようということでもあります。このよう に、「ただ、ものを売る」という経済活動は過去のものになり、現代の資本主義は人びとの感情を否応なしに巻き込みます。同様に、政治の領域で も理性的な討議やそれを通した合意よりも、共感による分断が生じるなどしており、公的な領域全般の感情化が進んでいるといえるでしょう。
感情が経済化し、
消費が感情をつくり出す
同時に、逆方向の「感情生活・親密圏の合理化」も進んでいます。私的領域は、合理性や計算可能性とは異なる不合理なものが中心になると考えられてきました。例えば、親子間の無償の愛や家族間の献身、誰かと恋に「落ちてしまう」ことなど、愛や感情の領域は計算や予測・人為的コントロールとは異なる原理に支えられているとみなされてきたのです。
ところが、近年では愛や感情を数値化し、自分と相手の愛のどちらがより深いかを比較考量したり、家事育児を「公平に」分担することが正義にかなうことだと考えられるようになっています。この社会的背景には、フェミニズムの言葉とセラピー文化が家庭に浸透するなかで、女性の自立と自己実現が促進されていくことがあるとイルーズは指摘しています。
社会学者のアンソニー・ギデンズは、20世紀後半の親密性の変化について、「ロマンチック・ラブ」から「コンフルエント・ラブ」へという形で特徴づけています。コンフルエント・ラブとは、コミュニケーション重視、お互いの人間性の理解や価値観への共感、「一緒にいるとホッとする」「素の自分を見せられる」といったことに価値を置くものです。経済的条件や性別役割分業に強く影響される関係よりも、自立した個人同士の愛情にもとづいて編みだされる関係が主となるため、ギデンズはこれを「純粋な関係性」と呼んでいます。
家庭内での性別役割分業が揺らぎ、「平等」や「公平」といった政治的な言葉が家庭に入ってくるようになると、家事や育児を「家族への愛情」から一旦切り離し、片づけるべき「タスク」とみなすこと、そして、それをアウトソースすることが可能になります。

最近では、共働きで忙しいなかでも家族の時間をつくるために、むしろ積極的にお金と引き換えで家事をアウトソースする例も出てきていますし、時短家事・時短家電といった形で家事のタイパ・コスパを強調する情報や商品も多くあります。育児に関しても、「教育投資」や「教育への課金に対するリターン」という経済的な言葉で語られることがあります。これらは、「親密圏・感情生活の経済化・合理化」の一例でしょう。
感情資本主義のもうひとつのトピックとして、イルーズは、「感情商品(エモディティ)」を挙げています。これは、現代人の感情の生起や変容のかなりの部分が消費行動と結びついていることを浮き彫りにする概念です。ある商品を消費するというとき、一般的な消費社会論では「効用」「記号」あるいは「コト」や「エモ」といったものが消費されていると想定します。しかしエモディティ論では、消費されているのは消費者自身の「感情変容」だと考えます。現代人は、モノを消費する際、自分自身の感情を消費しており、私たちが消費を遂行し、感情変容が生起した瞬間に完成する商品、それがエモディティです。
一般的に消費行動は、資本主義に踊らされている、幻影に惑わされている、無駄づかいといった評価をされる傾向にあり、そこで生みだされる感情も「真正ではない、まがい物」とみなされることが多いと思います。 けれども、例えば現代の推し活をみると、本気で推し活を生きがいと感じている人も少なくないですし、ファンコミュニティのなかでまとめ役をはじめとする役割が自然発生するなど、その人にとって重要な居場所になっている場合もあります。消費と切り離せない形で実際に他者とのつながりや充実感、生きがいが生みだされているとするなら、それについて分析する新たな言葉や概念が必要になります。そのひとつが「エモディティ」です。イルーズは、現代の消費社会やそこで生みだされる私たちの感情、感情変容や自己変容のあり方をまずはニュートラルに観察することからはじめるべきだと言います。現代の資本主義は人間の感情を巻き込んで発展してきましたが、その結果として大量の『偽物の感情』を創りだしたのではなく、むしろそれこそが『本物の感情』として人びとに認識されるようになってしまった、それが最大の逆説だということです。
パワハラ問題が
日本の感情資本主義社会の節目
イルーズも指摘していることですが、世界的にみると、生産性のために職場での感情や関係性を重要視する考えは近年はじめて登場したものではありません。生産の現場では、20世紀初頭のフォードシステムの登場にみられるように合理化と効率化が飛躍的に進展しましたが、「職場の人間関係が良好であれば業務遂行がスムーズになり、生産性が高くなる」という考え方はその頃すでに存在していました。
日本の文脈について考えると、日本型雇用慣行のもとでは事業主が社員の生活を丸抱えしている面もありましたし、職場がある種の共同体として機能していました。「人間関係が大事」と当世風に言語化されてはいなかったかもしれませんが、社員同士の結びつきは強かったかもしれません。
2000年代に、「パワハラ」という語が一般化します。1970年代には過労死の裁判が行われるようになりましたが、当時は国を挙げて対応するような姿勢はまだありませんでした。しかし2000年前後になると、過労死・過労自殺に対する高額賠償が最高裁で確定するなどし、「ブラック企業」問題がメディアでも取り上げられたこともあって、社会問題として認知されるようになっていきます。2000年代の初めから厚生労働省が職場のメンタルヘルス対策に取り組むようになり、企業も社内のストレスチェックやハラスメント研修を行うようになりました。こうした社会問題の構築と並行して、日本型雇用慣行の揺らぎが生じたり職場の流動性が高まるなか、「コミュニケーション能力」や「人間力」が問われるようになっていきます。これは、イルーズの感情資本主義社会論で展開されているような、感情知性(Emotional Intelligence)や感情資本が問われる時代の特徴でもあります。
2010年代半ばから、経済産業省が健康経営やウェルビーイング経営の文脈で労働者のメンタルヘルスに着目しはじめます。海外から投資を集めるための日本型経営の新しいアピールポイントをつくるために、働く人の心身の健康を経営戦略の一部に組み込みはじめたのです。折から少子高齢化と国民医療費の増加も大きな問題になっていますので、国としては労働者になるべく長く働いて保険料を納めてもらい、かつ医療費をつかわずに健康でいてもらいたいという考えがありました。そのため、ジムでのトレーニングやサプリメントの活用といった、医療にかかる手前の段階での心身のセルフケアを推奨するようになります。日本のウェルネス産業の経済規模はここ数年右肩上がりになっていますが、その背景には、ライフスタイルや価値観のほか、マクロな社会変動や政治が関係しています。心身ともに健康であること、対人関係も良好にすることが正しいという空気が醸成される背景について、丁寧に読み解く必要があると思います。
「私の人生、何なんだろう」に
どう向きあうか
ホックシールドの感情労働論の後続研究として2000年代以降議論が盛んになっているのは、感情だけでなく「見た目」の管理について扱う「美的労働」論です。例えば、航空会社によって求めるフライトアテンダント像は異なっており、それはメイクの仕方や髪型、立ち振る舞いや言葉づかいの違いに現れます。また、アパレルの店員であれば自社ブランドの服に身を包み、そのブランドの世界観を体現する「動くマネキン」として接客をします。美的労働の典型は「モデル」ですが、それに準ずる業務を遂行する職業は様々にあります。
美的労働で売買されているものは何でしょうか。それは「ルック(look)」です。ルックという語は一般に「見た目」と訳されることが多いですが、 美的労働論における「ルック」は顔の造形や体型という意味での「見た目」だけではなく、全体的な雰囲気やオーラ、情緒面の落ち着きや人間性までを含むものです。ルックを維持するために、働く人びとは、日頃から生活を整え、心身の健康管理に細やかに気をつかわないといけなくなります。
「仕事をがんばりたい」「いい仕事をしたい」という思いから、職場が求めるルックに自分の生活全体を寄せていくことで、「自分の人生のはずなのに、なんだか乗っ取られている……?」といった違和感を覚える人も出てきています。かつては、生活のために9時5時で最低限の仕事をし、その後は自分の趣味に生きるといった価値観やライフスタイルがありましたが、現代では仕事とプライベートとがシームレスになっています。歴史学者のアラン・コルバンが言うように、休暇を休暇として過ごすこと、仕事のために休むのではなく、休暇それ自体を目的とすることが現代では非常に難しくなっています。
先日、マインドフルネスについて社会学の立場から考えるために、高名な僧のもとを訪れて座禅を体験しました。そこでうかがったお話にもありましたが、やはり、現代を生きる私たちは、「何もしない」ということがとても難しいということです。現代人は「無になる」というのも、ミッションとして捉えてしまいがちで、それは禅的でありません。マインドフルネスは禅的なものを商品化して流通させ、ビジネスパーソンの心身の健康維持に役立てられていますが、例えば「8週間のプログラムを受講すれば、どのような気づきを得ることができるのか、どのように成長できるのか」という発想をしてしまう時点で、それはもう禅ではないのです。
社会学は、近代社会と個人について考えてきた学問ですので、現代社会について相対化し、そのなかでの自分の生き方を考えるうえで役に立つものだと思います。座禅のような明確な処方箋はありませんが、社会学的な知見を皆で広く共有していくことで、社会について、そしてそこで生きる自分についてみなさんが考える一助になればうれしく思います。