人と関わる「機会の減少」
長期的な人口減少により、生活圏から少しずつ人が減っていきます。また、単身や未婚のまま暮らす生活者が増えたことに加え、交際・つきあい時間も減少しています。日常の中で、人と人とが接する機会が失われる、物理的な「疎」が進行しています。
人と人との「信頼」が、
少しずつゆらぎはじめています。
長期的な人口減少により、生活圏から少しずつ人が減っていきます。また、単身や未婚のまま暮らす生活者が増えたことに加え、交際・つきあい時間も減少しています。日常の中で、人と人とが接する機会が失われる、物理的な「疎」が進行しています。
仕事や結婚などこれまで人との深い関わりが求められてきたことについて、一人ひとりの考え方はバラバラになっています。価値観の多様化が進むとともに、人との関わりを求める意識自体も希薄になっており、心理的な「疎」が進行しています。
2010年代からのSNSの急速な浸透により、生活者個々人の情報が、文字や写真、動画など様々な形で世に広がっています。便利さや楽しさが増している一方、個人が発信する情報がかたどる人格が、本当の姿以上に、拡散・可視化されていくことで、摩擦も生みだすようになっています。
相手との円滑なコミュニケーションのために、私たちはこれまで「直接会って、理解しあうこと」を重視してきました。ですがデジタル・シフトやコロナ禍を受けたリモート化により、非対面・非接触のコミュニケーションが日常に広がりつつあります。姿は見えていても「(空間を共有している時ほどには)相手を理解するための情報量が十分ではない」と感じることが増えています。
「人と人との関わり方」と「情報の伝わり方」の2つの変化が続いていくと、
相手と接点を持ち、わかりあうことがこれまでよりも難しくなっていきそうです。
そして、そのような状況におかれた生活者は、
利他より、利己へ。
協調より、対立へ。
結束より、分断へ。
そんな意識を、徐々に強めていくことになるでしょう。
それはつまり、生活者の間の「信頼」が脆弱になっていくということ。
同時に、私たちの社会が、人と人とが「信頼」をつくりにくい社会
へと変容していく可能性があるということです。
この先に潜む「疑心社会」というリスクにどう向きあうのか。
「信頼」の未来を考えることは、
未来の社会課題を考えることに他ならないのです。
この先の未来は
他者に対して疑心や不信を抱えながらの暮らしが広がるのでしょうか。
それとも、別の未来の可能性がありうるのでしょうか。