あなたと私、
お互いのユニバースが
それぞれ素敵
私たちの会社は、『ギャル式ブレスト®︎』や『ギャルマインド講座』といったサービスで、様々な人びとの心にある「ギャルマインド」を引きだすことをサポートしています。「ギャルマインドって何?」「そもそもギャルって何?」「バブリーがいいって思う要素がわからない」といろんな人から言われるので、説明できるようにするために、ギャルに取材したり論文を読んだりして研究してきました。
まずギャルマインドについて我々は、「自分軸」「直感性」「ポジティブ思考」という3つの軸で定義しています。「自分軸」は自分の「好き」を貫いて表現できる力を、「直感性」は欲望や感情に素直に従う勇気を、「ポジティブ思考」は前向きにものごとを推進していく力を指しています。
そしてギャルの定義とは、「ファッションを通して自己表現をしていること」、「ギャルマインドの3つの軸を持っていること」、「自認性」の3項目で、どれかが欠けていたらギャルではないことにしています。私自身は19歳でギャルを卒業していて、今は「見た目はギャルではないけれどマインドはギャル」です。ギャルのコミュニティの子たちは、ポジティブなこともネガティブなことも感じたままに伝えていて、感情を出すことへの躊躇があまりない。それは彼女たちが「自分の世界はこうだ」という圧倒的に強い自分軸を持っているからです。
世の中全体としては感情が出しにくくなっていると思いますし、「ここで怒っちゃ駄目だ」のように感情を出せない場面も多いですね。「生成AIに聞いたら簡単に答えが出る」みたいな時代にもなってきていますが、人間にとって曖昧さや不安定さを抱えることはすごくストレスですし、何かを自分で理解して、噛み砕いて、解釈するステップはすごく長い。そのステップを踏む作業を、多くの人が省き過ぎているし、単純にその能力が低下してしまっている気がします。
おそらく感情を出せない理由は、人の感情に触れることは基本的に面倒なので、「相手はどう思うかな」「面倒だと思われたくない」みたいに考えてしまうからだと思います。けれどもギャルは良い意味でそこまで相手に気をつかっていないし、自分軸を持っているから、「自分が発言したいなら発言する」と思考が単純です。「あんたのユニバースもいいよね。でも私のも素敵でしょ」とお互いの世界をリスペクトしあったうえで、やっぱり自分のユニバースを一番に置く。その自分軸があるから、躊躇せず感情を出せているのでしょう。クリエイティブな子も多く、自分自身の感情を表現するときには絵を描いたり、歌や詩をつくったり、ダンスで表現したりと、みんな自分なりの形で感情を昇華していますね。
本音を言える
「かりそめの自分」を生みだす
ギャルという初期設定はたぶん「チート」で、何を言っても「空気読めよ!」みたいに思われず、スッと受け入れてもらえますよね。「どうしても感情を出せないボーダーライン」もない気がします。実際CGOのコミュニティの子たちはあり得ないほど自由で、例えば商品開発のヒアリングの場でも、「え? こんなんマジで誰もつかわないよ」みたいなことを開発者の前ですごく素直に言ったりしています。セッティングした私も隣で聞いていてヒヤッとするのですが(笑)。
そんなギャルマインドを引きだすために我々が提供しているワークショップが、職場にギャルが介入する「ギャル式ブレスト®︎」です。例えば参加者にひとりずつあだ名をつけたり、喋るときにもタメ語で話してもらったりして、参加者に「かりそめの自分」をつくってもらいます。その「かりそめの自分」になりきってみようとするうちに「普段の自分」がどんどん剥がれてきて、鎧になっていたものから解き放たれる瞬間がある。すると笑顔になるし、声量が上がるし、喜怒哀楽もすごく豊かになります。
普段の自分と別に、ギャルマインドが引きだされたもうひとりの「あだ名の自分」が出来上がると、タメ語で話してもいいし、思ったことを発言してもいいし、感情も出してもいい。「かりそめ」だからこそ素直に表現できるようになるんです。「ギャルの自分」という器には「自分の本音が言える」「自分の感情が出せる」ペルソナが備わっていて、それは「自分軸」とも言い換えられます。
普段の自分と「あだ名の自分」は、表裏の関係ではなくてそれぞれ並んでいるもので、例えば「今日はアニメキャラっぽい自分」とか「今日はロックスターっぽいかっこいい自分」みたいに、「ギャルの自分」も出し入れできるものです。以前知り合いのおじさんが「今も心にロックスターがいる」と仰っているのを聞いて「歳をとってもどこかに反骨心を持っていていいんだ」と思ったのですが、ギャルマインドも同じように年齢を重ねた後でも持ち続けていいはずです。

「自分のスタイルを貫くギャル」が
登場した理由
ギャルは渋谷で生まれた文化とされています。スカウトが多い渋谷にかわいい子が集まって、そのかわいい子めがけて男性が集まって、さらに女性が集まってたまり場ができていった……というのがギャル文化の発祥だと言われており、要するにみんな目立ちたいから、その手段として渋谷に来ていたわけです。
平成のギャルは集合体のなかで登場した文化なので、実は上下関係が強い体育会系なところがありましたし、集団性を大事にしていたので、例えばみんなルーズソックスを履いたり同じ肌の色にしたりと、「ギャルの民族性」も強かった。けれども令和にはSNSで自己発信できるようになったので、人が集まる場所が必要なくなりました。集団性が分解されて個々がそれぞれひとり歩きしはじめ、「自分のスタイルを貫いている」みたいな子たちが多いのが令和のギャルのあり方です。
だから平成のギャルには同じギャルのフォロワーがついていましたが、令和のギャルの場合は「一般層」というか、非ギャルの子たちがフォロワーになっている。ギャルが自分のスタイルを貫いている姿は、フォロワーの子たちからすごくかっこ良く見えているんです。令和のギャルにも承認欲求のようなものはありますが、基準が他者ではなく自分のなかにあるので、「最高の自分になるためには、今はこれとこれが足りなくて、だからこれをすごく頑張ってる」みたいな子が多いです。
例えば「推しの中国アイドルと結婚したい」とずっと言っていたギャルの子が、最近中国語の勉強をはじめました。ひたすら中国語を勉強しているので、今は短期的な承認欲求には興味がないし、物欲も全然ないようです。「整形したい」と言っている子もたくさんいますが、それも誰かから「かわいい」と言われたいわけじゃない。自分の「かわいい」を達成するための整形であって、やっぱり彼女たちは「自分のなかの『最高の自分』」みたいものをしっかり持っているんです。