ネットの[みんな]には断絶がある
SNSを見ていると、「私のタイムラインには○○な人しかいない」というような書き込みをよく目にします。SNSのタイムラインはその人が選んでフォローした人の投稿だけが流れるので、その人と同じ考え方、リテラシー、生活レベルの人だけの世界ができているのです。だから、ある人のタイムラインはアイドルの解散のネタでもちきりなのに、別の人はそのことをまったく知らないといったことが起きる。
こうしたネットにおける[みんな]の断絶は、近年、より顕著になりつつあります。そのなかで、私の運営するニュースサイトでは、芸能・スポーツネタがページビューの8割を占めています。芸能ネタへの関心の高さは今も多くの人に共通しており、断絶した[みんな]をつなぐ力を持っているといえるでしょう。
ネットでは、熱量の高い人ほど多く見える
ある記事にポジティブなコメントが2件、中立的なコメントが15件、ネガティブなコメントが83件ついているというときに、記事に怒っている人が好意的な人の40倍いるかのように見えますが、実際はそんなことはありません。怒っている人は熱量が高いので書き込むけれど、共感した人は特に書かないというだけ。アンチが多い芸能人であっても、過激な人はせいぜい500人くらいで、あとの10万人はときどき批判するくらいのものだと思います。ネットでは熱量の高い人ほど多くいるように見えるんですよね。
ちなみに以前、あらゆるメディアが国民的アイドルの話題でもちきりなときに、私のやっていたメディアだけはある大御所芸能人に関する記事を出し続け、25万PVを稼いだことがありました。恐らくその芸能人のことを毎日考えている人は全国で3,000人くらいで、たまに考えるという人が30万人くらいだと思うので、国民的アイドルのことを考えている人よりは少なかったはずです。でも、そのアイドルに関する記事はあちこちから出ているので、見る人が分散してしまうんですよね。そのなかでうちは、「ここに来ればあの大御所芸能人の記事が読める」という独自の立ち位置を築けたので、PVが稼げたのだと思います。
アンチが呼んだ10人のうち、
1人はファンになる
近年サロンビジネスが盛んですが、あれはアンチが増えても、その人を知った10人のうち1人がファンになることで成り立つビジネスモデルなんですね。ネットメディアにも似たようなところがあると思っています。
例えば、ある芸能人の記事に対して、その芸能人のアンチが大騒ぎしたせいで記事を見に来た人が10人いたとすると、そのうちの1人はファンになるんです。「アンチが大騒ぎしてるから見に来たけど、記事を読んでみたら全然いい子じゃん」というように。その1人を獲得するためには、見る人が多ければ多いほどいいわけで、その意味ではwebメディアにとってはアンチもファンも大事なお客様になっているといえるかもしれません。
自分は「ネガティブ教」の教祖
世の中には、何でも斜に構えてものを見る「ネガティブ教」の信者と、「やればできる!」というような自己啓発が好きな「ポジティブ教」の信者の2種類がいると思っていて。私はいろいろな本を読んだり先人の考え方を参考にするなかで、私なりの「ネガティブ教」の教祖になったと思っています。世の中の残酷な現実を赤裸々に言っているうちに、それに共感する人がTwitterをフォローしてくれたり、準拠してくれるようになったので。
ちなみに、世の中的にはこうしたネガティブ教の信者より、「ポジティブ教」の信者のほうがはるかに多いです。以前インターネットの可能性をポジティブに解釈した本が50万部以上売れたんですが、「インターネットなんて大したことない」と身も蓋もないことを書いた私の『ウェブはバカと暇人のもの』の販売数は、その7分の1程度でした。まだ多くの人がインターネットのことをわかっていない時代だったので7分の1で済みましたが、もっと後だったら10分の1くらいになっていたかもしれません。
最近ベストセラーになった本を考えてみても、「こうやったら明るくなれる・前向きになれる」というような自己啓発本ばかりで、ネガティブなことを書いた本は思いつきません。ですから体感的には、ポジティブ教はネガティブ教の10倍くらいいるんじゃないでしょうか。でも、ポジティブ教の人は最もポジティブになれるものに群がるので、そこでの競争は激烈です。そんな競争の激しい市場で戦うより、市場が10分の1でもネガティブ文脈の人に好かれたほうが良いと思って。結果的に私は、その文脈で成功したのだと思っています。
中川淳一郎氏
ネットニュース編集者、ライター、PRプランナー
博報堂CC局(現PR戦略局)にてPR業務に従事した後、雑誌ライターや編集者を経て現在に至る。
著書に『ウェブはバカと暇人のもの』 『ネットのバカ』
『ウェブでメシを食うということ』など多数。