Part.1 [みんな]を巡る問い

このまま、[みんな]はなくなる? 戻る

#は自分と見知らぬ人をつなぐ窓

かつて大衆と呼ばれたように大きな塊だった[みんな]は、やがて分衆に分かれ、そして個へ。[みんな]が小さな点になる流れがあります。
では、[みんな]は、この流れのまま、なくなるのでしょうか?
その問いへのヒントを求めて、ネット世代の若者のコミュニケーションに詳しい
小川先生にお話を訊きました。

SNSを使い分ける若者

モバイルでのネットアクセスが高速になり、スマホで写真が手軽に撮れるようになったので、文字でのコミュニケーションに加えて、写真でのコミュニケーションが激増しました。ネットでのつながりが増えたこともあり、若者たちは、SNSを様々に使い分けたりもしています。
例えば、Twitterは言葉だけのコミュニケーションだから人格をつくりやすく、学生たちは3つくらいの人格を持っていたりします。Instagramは、ほぼ写真とハッシュタグだけなので、人格はつくりにくい。さらに、インスタ映えは静止画、顔を出すのは24時間で削除されるStoriesの動画といった様々な使い分けをしています。

動画コミュニケーションの可能性

今後、5Gになって、スマホの処理能力が向上すると、動画コミュニケーションがさらに発展する可能性があると思います。テレビ電話を研究していた立場からすると、動画のいちばんの問題は居場所がバレてしまうこと。今は顔を変えたりして遊ぶ機能がありますが、今後は背景も自由に変えられるようになるのではないかと思います。場所を自由に操り、居場所が特定できなくなれば、動画通信を使ったコミュニケーションはもっと流行するかもしれません。

ハッシュタグは自分と
見知らぬ人をつなげる窓

5、6年前は、まだネットでは知っている人とだけつながっていたと思います。例えば、子育てにおいては、専業主婦の人は公園でママ友と会ってお互いに助け合い、共働きの母親はSNSで自分の親に質問したり、子守りを頼んだりしていました。今はネット上でハッシュタグを通じて知らない人とつながるようになりました。ハッシュタグで知らない人とつながっても、子守りには来てくれないのでリアルな関係ではありません。でも、つながっていることには違いありません。つまり、つながりのないつながりといえるでしょう。

以前、学生が趣味などいろいろなタグをつけたビニール傘をさして街に立ち、同じ趣味の人が声をかけてくれるかという実験を研究会でやったところ、実際に何人かが声をかけてくれました。ハッシュタグにはそれと同じような機能があると思います。自分と見知らぬ人をつなぐ窓のようなものですね。

グループでの
コミュニケーションだと
気軽につながれる

ネット上でのコミュニケーションは1対1ではなく、基本はグループになっています。電話やメールの時代には、1対1のやりとりが前提でした。でも、もともと僕たちの心情として、1対1のダイレクトなやりとりはしにくいというのがあったのではないでしょうか。そこにグループでコミュニケーションできるツールが出てきたので、そっちのほうが楽だなと移行していったんだと思います。例えば、1対1だと「何日に空いてる?」と誘わないといけませんが、グループだと「みんなでどこかに行こうよ」と投げ掛けるだけでいいのです。グループでのコミュニケーションは、気楽につながれるのです。

もっというと、バスや電車が遅れたり、雪で閉じ込められちゃったりしますよね。そうすると、呉越同舟じゃないけど、何となくみんな仲間っぽくなりますよね。野球の早慶戦でみんなで応援しようとか、フラッシュモブ的にみんなで一緒にやろうとか、それが人間のリアルなつながりであるなら、ネットでもできると思うんです。

小川克彦氏

慶應義塾大学 環境情報学部 教授/工学博士

1978年にNTTに入社し、NTTサイバーソリューション研究所長を経て2007年より現職。専門は、ヒューマンセンタードデザイン、コミュニケーションサービス、ネット社会論。
現在は、ネットメディアを中心としたモノ・サービスのデザインや
地方創生の研究をしている。
主な著書に『つながり進化論』『デジタルな生活』がある。

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