第53回
「伊予小紋 いちよう」から感じた「生きがい」の未来
from 愛媛県
ここ数年、日本語の「生きがい」という言葉がアメリカを中心に世界中で注目を集め、世界の辞書に載り、人びとの会話に登場しました。世界的なパンデミックにより、長らく個人やコミュニティが隔離され、不安が高まるなど、世界中の多くの人びとが身体と精神の健康に関する課題に直面する中、「生きがい」はさらに多くの人を引き付けています。
世界各地の起業家、クリエイターをはじめとした多くの人びとが「生きがい」という言葉を使いはじめている中で、愛媛県西条市の工房で江戸小紋の伝統を伝える德永早映さんが染色作品について語るのを聞きながら、私は生きがいについて考えずにはいられませんでした。
海外では、「生きがい」は誰かの人生に喜びと価値を与えるものとみなされており、人生の大切な人から、自分のキャリアや趣味の情熱や活動まで、あらゆるものが含まれています。
また、「生きがい」という言葉は、より深い自己認識と幸福への隠された扉を開く鍵となるのではないでしょうか。
德永さんが染めた生地の上で展開する、繊細で小さな紋様の世界を見ると、それぞれの作品に込められた繊細で密かな物語と、そこに必要な忍耐、献身、決意を学ぶことができます。德永さんの現在に至るまでのキャリアが、長く困難な道のりであったことは間違いありませんが、その作品は多くの人に輝きを伝えています。
德永さんは故郷の愛媛県西条市に拠点を置く自身の染色工房「伊予小紋 いちよう」で多忙を極めています。西条市は、日本七霊山のひとつである石鎚山の麓にあります。西条市には、「うちぬき」と呼ばれる清らかな地下水が湧き出ており、日本名水百選にも選ばれています。
現在、德永さんは自らの技術を磨き、伝統工芸を次の時代に伝えるために、新しい商品やプロジェクトに熱心に取り組んでいます。西条祭りのだんじりの緻密な彫刻や神輿の豪華な刺繍など、日本の伝統工芸に触れる機会が多い幼少期を過ごしましたが、大学に入学するまでは現在のような人生を想像していませんでした。
德永さんは東京の大学入学を機に美術史を専攻しました。美術史の勉強や伝統工芸の研究を通じて、実際の職人たちとの出会いが増え、彼ら彼女らがものづくりで生計を立てていることに気づき、卒業時には伝統工芸士になりたいと考えるようになりました。
陶芸や漆にも関心を持っていましたが、もともと着物が大好きで、大学時代に着物を着て料亭でアルバイトをしたこともあり、特に染色に興味を持ちました。
徳永さん(以下、敬称略):
「伝統文様を研究する中で、それぞれに意味があるのがとても面白くて。私が学んだり経験したりしてきたことと、作り手としてやっていきたいことがすごく合致した感じがしました。」
関東では型染めと呼ばれる伝統的な染色法が主流でしたが、德永さんが最も魅了された技法は江戸小紋という染色法でした。遠目から見ると無地に見えますが、よく見てみると、非常に複雑なディテールと無数のデザインのバリエーションを見つけることができるというものです。現在、その技術を継承する職人は数名のみとなっています。
德永さんは大学卒業後に約半年間、群馬県で江戸小紋師の藍田正雄さんに何度もアプローチをしましたが、過酷な仕事のため、弟子入りを認めてもらえるまで5回も断られました。「別の道を考えたことはありますか」との私の質問に、德永さんはこう答えました。
徳永:
「考えなかったですね。自分には別の道という選択肢はないと思ったし、ここで断られたら、もうできないんじゃないかという感じでした。そして、江戸小紋の表現の静けさ、一見地味そうに見えるけどすごく凝っているところが日本っぽいなとも思って。これが本当に作れるんだと思ったときに、やりたいなと。私は日本でずっと生きてきたので、日本らしさというものを自然と受け入れてきました。
江戸小紋という技法ひとつをとっても、生まれた背景がきちんとあります。
江戸時代に奢侈禁止令(贅沢を禁止し倹約を推奨する法令)が出たときに、遠目でみたら気付かれないように文様が小さくなったんです。そういう生活のなかで生まれてきて、その時間の延長上で私が日本人として生きている。その流れを感じて、自然とすごくいいなと思いました。時代の流れの中で生まれて、その後も自然の流れでこの技法が生きているから、これをどうにかしてという感じでもなく、生活のなかで続けていきたいと思います。」
その後、熱意を伝え続けて親方に弟子入りを許していただき、德永さんは数年間をかけて江戸小紋の技法を学ぶことにしました。江戸小紋の技法で型付けという工程を学ぶには3年かかり、糊を作るのには8年、へらを使うのには9年かかるため、一人前になるには約10年かかると昔から言われています。德永さんは、振り返って改めて考えてみないと、この言葉をよく理解できなかったと言います。
徳永:
「型付けをなんとなく形にするのは3年ぐらいでできるんですけど、それ以外の道具とか糊づくりを修得するにすごく時間がかかるんです。道具づかいや糊づくりって重要で、その調整を失敗したら、型付けはもう綺麗にできないということを本当の意味でわかり始めたのは独立してからかなと思います。でも、修行ってずっと一生って続くからというのもあるから、そのなかで、成長の段階に応じて出していく作品を作っていきます。」
指導を受けて3年目の頃、德永さんは日本伝統工芸展に入選しました。そのときはじめて、本当に自分が望んでいた色や染めを実現するものができたという実感を持ちました。
次の時代に伝統をつなげるという目標や、作家としての価値をさらに高めることを目指すため毎年日本工芸会の日本伝統工芸展に作品を出品できるように頑張っているといいます。
德永さんは勉強のために出身の西条市から離れましたが、いつかは故郷に帰って仕事をしたいと思っていました。
徳永:
「その職人、その人のカラーがあり、その人だからこそ作れるものがあるといえます。そう思ったときに、愛媛でその土地らしいものが作れる気がしました。そういう想像ができて、さらに帰ってやってみようと思いが膨らみました。」
西条市に戻った德永さんは、地域の多くの人びとの協力を得て工房「伊予小紋 いちよう」を立ち上げました。家族、友人、知人の支援を受けて工房建設を実現しただけでなく、仕事を進めるために必要な長板10枚も譲り受けました。染屋さんが廃業すると長板は他に使い道がなくなってしまうので、廃業したら、その長板は切って燃やされてしまいます。これまでに多くの長板が燃やされ、なくなっている状態のなかで、10枚ももらえたことは縁があったと感じたということです。
徳永:
「私はひとりではこの10枚を全部使い切ることはないと思うんですけど、また先にやりたいと思った人がいたときにあった方がいい。できるだけ縁があったものは残しておきたいです。」
群馬県から故郷の愛媛県西条市に移住したことによる変化は、工房の設立だけではなくデザインにも影響を与えました。日本各地の風景や植生は異なります。北日本の山は針葉樹が多く落葉しないので、山の色が深く見えます。一方、愛媛は新緑の緑で春を迎え、瀬戸内海の青さも特徴です。海が近いか、空が広いかによってもその地域の個性が変わります。德永さんは、職人が周囲の環境の色を補う色をどのように作り出しているのかを実感したと言います。
徳永:
「江戸小紋の色は茶色と灰色と黒系の色が多いです。渋い色味が多くて、私が親方のところで作っていても、親方の持つ色味でもあるのですが。もちろん親方が群馬の工房で、そして関東でやっているからというのもあると思います。渋い色、黒とかグレーとか深緑とか紺色とか、かっこよくて凄くシックな色です。
でも、こっちに帰ってきて作り始めたら、同じように作ってもなぜか地味に感じ、人から落ち着いた感じですねとよく言われました。それを感じ始めてから、色んな色を作るようになりました。特に関東に居たときに比べて明るい水色・青系が自然と多くなってきました。瀬戸内海に影響されたような、青とか緑とかの中間色を作り始めたんです。
関東にいるときには紫色をどんな色を作る時でも入れていました。紫を入れると結構渋くなる感覚でしたから。紫で調和させたい気持ちが多分あったのですけど、それが帰ってくると違う感じになって。紫ではなく、緑などで調和させています。」
また、地元に戻ってからビジネスがどのように変わったかについても話してくれました。
徳永:
「元々は師匠と一緒に着物を染めて問屋に販売する仕事に専念していましたが、故郷では伝統技法に馴染みがなかったため、最初は着物をあまり着ない人でも江戸小紋を楽しんでもらえるように、ふくさや小物の販売を通じて工芸品の認知度を高めることを目指しました。また、染色技術の情報を広め、販売するためにオンラインショップを開設しました。さらに、興味のある人が江戸小紋や私の作品についてもっと知ることができるように、工房を見学できるように公開することも決めたんです」
德永さんの仕事を知るが増えるにつれて、新しいプロジェクトのオファーも増えていきました。 そのなかに、クルーズ船とのコラボレーションがあります。クルーズで、乗客は瀬戸内海沿いの地元の名所を楽しみながら、日本文化の伝統について学ぶことができるというもので。約2年前からツアーの一環として「 伊予小紋 いちよう」が訪問先に加わりました。
最近ではインバウンド旅行者が増え、海外の方も「伊予小紋 いちよう」を訪れるようになりました。
德永さんは、小紋師としての長年の修行とこれまでのキャリアを通して、この職業の将来のためには、作品づくりだけでなく多様な関係者とやりとりする機会が必要と感じているそうです。例えば、店頭で同じように見える商品を選ぶ場合、多くの人は染色職人の手作りの職人技ではなく、より安価な商品を購入する傾向があります。このため、小紋師は商品を売るだけでなく、伝統的な染色技術に関する情報を提供していくことが重要です。また、かつては多くの人が着物を着ていて需要が高かったため、職人はものづくりに集中していればよかったかもしれませんが、今では職人個人の仕事だけでなく、問屋や小売店が担う商品開発や販売促進にも関わっていく必要があります。
それでも、德永さんは伝統的な染色を未来へ、次の世代につないでいく、さらに前向きなものにしたいと考えています。地元の中学校の生徒たちを工房に迎え入れ、小紋師としての仕事についての質問に答えるというプログラムに参加しています。また、学芸員とも協力し、展示の技術提供やゲスト講師なども務めています。
德永さんは、新しくて特別な作品の制作を心がけています。令和5年度の第70回日本伝統工芸展に德永氏が染めた青色と紫色の小紋着尺「伊予縞」が入選しました。その正絹染色は青色と紫色で、さわやかさが瀬戸内海を感じさせます。「伊予縞」は染色の中の表現の一つです。伊予縞は生地を一度型付け※1し、生地をゆらしてから再度型付けすることで、ゆらぎのある縞模様が連なる複雑な表現です。染料の層が、まるで頭上から見た海の波のように見えるのです。伊予縞という技法を知っている人はほとんどいない状況でしたが、德永さんが愛媛県出身で、独立してUターンすることにしたからこそ親方に「伊予縞を作り上げてね」と言われ、それを実現したのです。
※1 白生地に柄をつけていく作業。型紙にヘラで厚さが均等になるよう目糊を置き、送り星を合わせて後ろにつないでいく。一反(約13m)につき約90回繰り返す。
德永さんは、地元文化の要素を取り入れることも念頭に置いて、新しいプロジェクトを模索し続けています。例えば、愛媛県には伊予生糸という生糸があります。生産量が少ないけれども、非常に細くてとてもしなやかな綺麗な生糸です。德永さんは愛媛で作っている伊予生糸を生地にして染めたいと考えています。
德永さんは明るい表情で、この新しいプロジェクトへのアイデアを語ってくれました。ビジネスの運営やブランド構築の大変さにも関わらず、自分の工芸品に活力をもって取り組み、喜びを感じているのが伝わってきます。これまで德永さんがどれくらいの時間と努力、勤勉さをもって小紋師になるという目標を実現させたかを考えると、めまいがするほどです。徳永さんの努力や情熱、費やした時間、取り組みを通して「生きがい」という言葉が浮かびます。德永さんの歩みと成功には、江戸小紋に対する情熱と目的意識、つまり「生きがい」による力が大きな役割を果たしているように感じました。
また、德永さんの作品の多くには、歴代の江戸小紋師から受け継いだ生命力が息づいています。
徳永:
「型紙は現代の彫師さんにお願いして彫ってもらうものもあります。それは自分がこの柄を染めたい、こういうものを作りたいと思った時にお願いします。だから現代の彫師さんとの繋がりってすごく大事で、ずっと縁は続いていくのだと思っています。でも、私が会ったことのない、関わったことのない彫師さんが彫った型紙もたくさんあります。そういうものを使って染めることもあって、古い型紙で顔も見たことがない彫師さんによる型紙を見ても、その性格というか、その人の力量というか、そういうものを感じることがあります。凄く良い型紙に出会ったときに自分の力以上のものがでて清涼な感覚になるんです。それが伝統工芸のよさ、昔から今に繋がってきているということなのかなと思います。」
最近では、個人の想像力や環境などの要因によって、さまざまなチャンスや機会が制限されているのかもしれません。しかし德永さんの個人的な目標と生きがい、地域社会の支援、そして代々受け継がれてきた小紋師の精神と活力が集まり、この伝統工芸を生み出していることは私たちに多くのことを教えてくれます。大都市以外の地域でも、こうした創造的な取り組みが盛んに行われています。今後、私たちがさまざまな地元の伝統や人々の個性が広がる未来に出会えることを願っています。
プロフィール
德永 早映(とくなが さえ)さん
小紋師(型染職人)経歴
1988年 愛媛県西条市出身
2011年 学習院大学文学部哲学科 卒業
江戸小紋師 藍田正雄に師事
2014年 「第48回 日本伝統工芸染織展」入選
2016年 「第50回 日本伝統工芸染織展」「第63回 日本伝統工芸展」入選
2017年 故郷愛媛県西条市で「伊予小紋 いちよう」を開設する
2018年 紙産業技術センター「伊勢型紙展」技術協力
2019年 カタコトの会参加開始
2021年 個展「小紋師 德永早映展」開催
2022年 「第56回 日本伝統工芸染織展」入選
2023年 愛媛県歴史文化博物館「愛媛の染型紙展」関連講座の講師担当
「第70回 日本伝統工芸展」入選
・Saijo Gallery - 美しい日常をつくる - ものづくり&仕組みづくり (saijo-gallery.com)
・伊予小紋いちよう (thebase.in)/