第13回
「損したくない」という感覚
■損得に関して同じジャッジをする
「損したくない」っていう感覚ってあるじゃないですか、ヒドい目にあいたくないみたいな感覚が、今の若い人達にはすごく強い。でも、そもそも、損とか得とかって、損益分岐点をどこに作るかっていう話ですよね。その判断ポイントを、今、みんな、かなり早いところに設定してるように思えます。
「得をしたい」っていうのはどうしても強欲な感じがして、端から見たときに引かれることもある。だから「得をしたい」っていうスタンスはとりたくないって10代20代の人達は思ってると思うんです。反対に、「損をしたくない」っていうのは、引かれにくいから自分としても受け入れられるし、周りからも受け入れられるだろうなっていう感じなんだと思うんですよね。だけど、損も得もないじゃない、みたいな。
損得に関しては、なぜか、みんな同じジャッジをし過ぎてる。
たとえば、大学生が授業が休講になったら喜ばなければならないっていうのがあって。
でも、自分が見たいコンサートが中止になったら悲しいじゃないですか。「俺この教授の授業すごく楽しみにしてたんだけどな」っていう時は、喜ぶのおかしいですよね。そういうふうに、いろんな暗黙のルールに納得がいかないタイプなんです、僕。
■自分の意図の見つけ方がわからない
好きなことを好きにしていいはずなんです。なのに、なんだかよくわからないけど、みんな、好きにしないじゃないですか。たとえば、海外に行こうと思ったらすっごく安く行けるんですよ、昔と比べものにならないぐらい。なのに、なんでみんなそれをやらないんだろうっていうのが今の僕の研究テーマ。自発性にのっとって、もっと好き勝手やればいいのに。
海外旅行にひとりで行くことに抵抗はない(男性20代)https://seikatsusoken.jp/teiten2014/answer/650.html
自分の「やりたい」っていう気持ちは相当重視していいはずなんです。
今の10代20代は、自分の意図よりも、まわりが「やりなよ」って言うかどうかっていうのを重視しがちですね。今、自分の意図が意外なほどに周りの人に重視してもらえる時代になってるのに、自分の意図の見つけ方がわからないっていう謎の状況になってる。
じゃあ、自分の意図はどうやって生まれるのか?
僕は、やたらめったらやってみること以外からは生まれないと思ってます。
さっきの損得でいうと「損をしない」を突き詰めると、同じところにいて低コストで生きるってことになりますよね。でも、本当にそれでいいのか?と。僕、「トリビアの泉」で一番好きな話のひとつが、80歳を過ぎたお年寄りに「ウソだった」と思うことわざを聞いて調査したっていうのがあるんです。1位は何だと思います?
「果報は寝て待て」なんですよ。寝てたらダメなんですよ、やっぱり。いろいろ自分からやってみなきゃダメなんだっていうことがわかったんです、それ見た時に。
海外旅行も、みんな、しなくなってきてますよね。でも、もし、今、二十歳ぐらいのやつが目の前にいて「海外に行きたいんですよ…」って言ってきたら「行ってくればいいじゃない」って言いますよ。「海外には絶対に行かずに過ごします」っていうやつより、若い時に海外行ってひどい目にあったっていうやつのほうが絶対仕事できるじゃないですか。もちろん、リスクヘッジは必要ですよ。死んじゃわない程度にリスクをおさめるっていうのが重要な作法になってくるとは思います。
手数を出したほうがいいのに、今、みんな、そうじゃない方向に行ってる。そこは残念だし、逆にあぶないなぁと思う。でも、時々、ドカンといっちゃってるやつもいるんですよね。すごいやるやつと全然やらないやつと、振れ幅が大きい。中庸の人たちが減ってる感じもします。昔と今って、中庸が減ってるっていうところも違ってきてるんでしょうね。(談)
※このコラムは生活定点2014年度版のデータに基いています。