「生活圏2050プロジェクト」 #09
壊しながら、学ぶ、つくる。 〜地方都市の新しい可能性を引き出す建築家チーム〜(前編)
静岡県・浜松市。首都圏の大学院を卒業したばかりの若き建築家チーム「403 architecture」が、その活動の場として選んだのは、当時中心市街地の空洞化が進んでいた地方都市でした。既成市街地が持つ可能性を見つけ出し、「壊すことでつくる」「ストックをフローさせる」という方法で、都市の新たな「価値」を産み出していくそのアプローチを、「403 architecture」のメンバー、橋本健史さんと一緒に歩きながら探っていきます。
人口減少社会における新たな生活文化と経済(エコノミー)の創出を構想する「生活圏2050プロジェクト」。プロジェクトリーダーを務める鷲尾研究員が、既に今各地で始まっている新しい生活圏づくりの取り組みを伝えます。
今、町の中で何が起きているのか、一見するだけでは見えにくい
橋本:
僕たちはもともと同じ大学(※横浜国立大学)で学んでいた学友たちでつくったチームなんです。その中に、浜松出身のメンバーがいて、「浜松建築会議」という地元の建築系の人たちが集まるイベントを企画したのが、そもそもこの町に来たきっかけでした。
その時、ワークショップを企画して、みんなで浜松市内を歩いてまわったんです。空き家や空き店舗、シャッター通りが増えていることや、中心市町地の空洞化が深刻だとか、そんな話を聞いてはいたけれど、僕自身はあまり実感として、その状況を知っていたわけではありませんでした。それで、あまり事前の情報も持たずに、まずは町の中を歩いてみたんです。
鷲尾:
その時の印象はどうでしたか。
橋本:
空き家や空き店舗が、エリアごとにどう分布しているかを調べてみたんですが、あまり傾向が掴めないんですよね。築年数が古ければ、空き店舗が多いというわけでもない。ほんとに虫食い状に、個別の都合で空間が空いていっている。なかなか構造的に捉えられないなという印象でした。
鷲尾:
新しく都市や住宅街を開発するときは、当然計画してつくるわけですが、縮退していく時って、計画性などなく、本当にランダムに空間が抜けていくわけですよね。
橋本:
そうなんですよね。オーナーが高齢になったとか、怪我したとか。息子が東京に出て行ってしまったとか。お店によって商売の仕方も違うから、利益を度外視でやっている人もいるし、店舗があっても実際にはインターネット販売が中心ってところもある。実態が全然違う。
鷲尾:
たまたまであり、個人的な理由でしかない。
橋本:
開発業者も新しくつくるときはプロモーションするけど、町をどのように維持していくかって発想はないから、空いたところは市場に任せているだけだし、維持管理もされないわけですね。だから気づかない。今、町で何が起きているのか、一見するだけでは見えにくくなっている。だから、僕たちはとにかく歩きながら、直接人に会って話を聞いて地道にひとつひとつを調べていったわけです。
空き家や空き店舗、古いビルも僕たちには可能性に見えた
鷲尾:
そのリサーチが、「403 architecture」がこの町で起業することへと繋がっていたんですね。
橋本:
この町を実際に歩いてみて「空き店舗になって困っているところがあるよ」とか、「借り手がつかないんだよ」とか、いろいろと実際のところを聞いてみて、なにか面白く使えそうだと感じたし、リサーチを通してこの町の人たちにたくさん出会うことができたことも大きな理由ですね。ここだと継続的に仕事がつくれるかもしれないと。
鷲尾:
そういう町の中に介入していこうという志向が、もともと橋本さんたちの中にはあったのでしょうか? 建築家の中には、作家主義という人もいますよね。
橋本:
志向としてもそうだし、状況がそうさせたところもある。僕たちの場合は両方ですね。大学院生の頃に学んでいたのは住宅みたいなスケールじゃなくて、10ヘクタールぐらいの土地をどういうふうに変えていくかとか、「都市に対してどのような建築をつくるのか」っていう、建築とアーバニズムの間くらいが主題だったんですね。
鷲尾:
それはどちらかというと、大きなスケールですよね。
橋本:
「建築単体を超えて、何ができるか」っていう教育です。そんな建築と都市との関わりには、もちろん興味があったけれど、その一方で、あまりにも考えているスケールが大き過ぎて、どこかでもっと自分の手を動かして具体的なことをやりたいと思っていました。もっと「生っぽい」ものを扱いたいというか。学友たちと「403 architecture」をつくった時の最初のテーマは、「実際につくる」ということだったんです。どんな小さなこともでも実際につくってみよう、建築現場の足場でも、展覧会の会場構成でもいい、とにかく自分たちの手でつくるんだってことをテーマにしたんです。ある意味では、そのためのフィールドを浜松で見つけたと思ったんですよね。空き家や空き店舗、古いビルも僕たちには可能性に見えた。
鷲尾:
そして実際に、町を歩くことを通して出会った人たちとの繋がりもうまれた。
この場にとっていい状況をつくること
橋本:
この蕎麦屋も、「ここのオーナー、面白い人だよ」って紹介してもらったのがきっかけです。
鷲尾:
さっきお会いしたけど、そば打ち職人というより「クラフトマン」って感じで、素敵な印象でした。
橋本:
僕らも初めて来た時の印象は「なんかすごいオシャレだなあ」という感じでした。ここのオーナーさんは浜松のご出身ですが、東京の大学でテキスタイルを学ばれて、その後は洋服のバイヤーでニューヨークやロスとか行き来てしたみたいな人なんですよね。この店の奥には結構大きな空きスペースがあったんですが、そこをイベントスペースとして開いたんです。ギャラリーやライブイベントをやるような。そこに繋がる通路の壁を、近くで解体されたビルからもらってきたバーチカルブラインドでデザインしています。
鷲尾:
この町で見つけた素材を使って、この町の新しい空間を作っていったんですね。
橋本:
ここのオーナーさんは、一度東京に出られて、いろんな経験をされて、この町に戻ってきている。自分の経験を生かして、新しい道を始めようとされているわけですよね。でも何か具体的に出来上がりの完成像が見えているわけではないわけです。
その中で一緒に話しながら、いろんなパターン、いろんなストーリーを考えていきました。そうやって話しながら、一緒に探り合っていく。そこにあるものを使って試していく。そういうプロセスのなかで徐々に進むべき方向がわかってくる。実際にここで僕たちが空間をつくっているプロセス自体を「展覧会」と称して、一般に公開しながら進めていったんです。
鷲尾:
プロセスも見せながら、新しいデザインがこの町に介入していく様子をみんなで体験するわけですね。面白いなあ。
「403 architecture」という存在が、町の中に馴染んでいく、そんな機会にもなったんでしょうね。
橋本:
確かにそうかもしれませんね。一緒に探りながら見つけていくというやり方が、僕たちの場合は多いと思いますね。
それはクライアントの要望をただ聞き入れるだけの御用聞きではないんです。建築としていいものをつくれないんだったら、僕らがやる必要はないと思ってるし。かといって、当然ながら自分たちの自己表現欲求を満たしたいってわけでもない。そういった対立の外の、どこかにあるものを探っていく感じかもしれません。
鷲尾:
「エージェンシー問題」っていうのがあって。エージェンシーとして雇われているから、自らの有能さを示すために、依頼主に向けて提案してるように見えるけど、本当は自分の存在意義のために提案してるって、ちょっとシニカルな話があるんです。それに対して、橋本さんたちは、まるで「町医者」みたいな印象です。みんな明確な「答え」が見えているわけではないとき、橋本さんたちは、そこに寄り添っていくわけですね。
橋本:
「この場所にはこういうものがあってしかるべきじゃないか」、そこを見つけたい。その場にとっていい状況とは何かを考えることが大切だと思っていますね。完成品だけを取り出して作品だというのは、建築家の可能性を非常に狭めているように思うんです。
その意味では、僕たちが「町医者」だとしても、飲まなくてもいい薬を出すんじゃなくて、そもそもの身体の持っている機能や新陳代謝を高めるためにどうすればいいかを、一緒に考えるようなあり方だと思います。
みんなで一緒に、この町の生活圏をつくっている
橋本:
この美容室で、僕たちが頼まれたのは「休憩スペース」をつくって欲しいという話だったんです。このビルの屋上にあった木造ロフトを解体することになって、その木材を組み替えてつくりました。普通、建物を設計するときって、大きさや形や材料を決めて、それに必要な分量を集めて組み立てるわけですが、その逆ですよね。「壊しながら、学ぶ」「壊すことで、つくる」というか。産業の世界でも「リバースエンジニアリング」という、よその製品を一旦バラしてみて、それを分析するっていう手法がありますが、そんな風に既存のストックを見直すことで、新しい空間、この町の新しい体験をつくる、そんなことが特に活動初期には大きな学びになりました。
鷲尾:
さっきのお蕎麦屋さんもそうでしたが、この美容室も随分オシャレなところですね。
橋本:
この美容室のオーナーさんは、自分でなんでもつくってしまう人なんです。例えば、このシェルフなんか、小学校の跳び箱を使った手作りです。脚はスケートボードのパーツ。照明も自作したものですよね。本当に何でもつくっちゃう。京都で美容室をされていて、地元に戻ってこられた方です。浜松の中にはこうしたビルがいくつも残っていて、自分自身が思うことを表現できる「余白」があるんですよね。だからこうした個性的で伸びやかな空間が実はいろいろ増えているんです。
鷲尾:
そんな人が橋本さんたちにお仕事を依頼されたのは?
橋本:
浜松にやってきた妙な若い奴がいるなって、きっと面白がってくれたんだと思うんですよね。それでちょっとやらせてみようかって。
鷲尾:
一方的に、クライアントと建築家みたいな関係じゃない感じ。
橋本:
そうですね。役割が入り混じってますよね。実際に工具を借りたり、道具の使い方を教えてもらったりもしていました。それに空間に対する感性みたいなものまで学んでいるところもある。クライアントって存在は必ずしも明確ではなくて、立場とか関係性が、とても流動的なんです。僕たちもつくりながら、学ばせてももらってる。
鷲尾:
それは、ある意味、とってもリアルで生な「交換経済(シェアエコノミー)」ですね。
橋本:
そう思いますね。お互いにスキルやセンス、道具や素材まで交換し合いながら、みんなで一緒にこの町の生活圏をつくっている、そんな気がしますね。
まちを成熟させる方法とは
鷲尾:
そんな風に、ここでは生活圏を一緒につくっていくことが出来る。それって、この町の持つ可能性なんでしょうね。
橋本:
この町では、顔が見えるプレーヤーがいて、それはたぶん100人もいなくて、きっと数十人ぐらい。
デザインできる人、グラフィックができる人、写真を撮れる人、僕らみたいに建築設計ができる人たちが、それぞれ数名ずついる。そんな人たちが、それぞれ町の中で同時多発的にいろんなプロジェクトを動かしている。そんなスケールなんです。何か面白いことを顔の見える関係の中で動かしているという実感がある。もっと人口が多い都市だと、メディアを介してのアプローチにしないと、直接の繋がりだけでは関係が成り立ちにくいと思うんですよね。小さすぎると選択肢が限られすぎてくる。
鷲尾:
それぞれの人たちが、それぞれの専門性を保ちながら協働することが成立する、ほどよい距離感とスケールなんですね。
橋本:
小さすぎず、大きすぎずっていう距離感ですね。みんな勝手にやってて成立するぐらいの感じっていうのが、浜松の特徴なのかなと思います。町の中にすでにある空間を自分たちで見つけ出して、手を加えて良くしている実感、それはやっぱりスケールの問題もあると思います。
鷲尾:
立場も時に入れ替わりながら、関係性の中で、みんなで生活圏を整えていく。これからの町の可能性って、そんな風に、自分たち自身で暮らしをつくり上げていく「実感」を持ち得る場所かどうかってことなのかもしれない。
橋本:
これまでの全てのプロジェクトのうちの3分の1ぐらいが徒歩1キロ圏内にあるんです。もう3分の1ぐらいが10キロ圏内ぐらい。残りの3分の1がその外。仕事が事務所の近くの徒歩圏に集中しているって、たぶん設計事務所としては珍しいでしょうね。
鷲尾:
人口が増え、右肩上がりの成長が続く時代には「ハードを整備すれば町が栄える」という価値観で動くことができました。でも、成長から成熟へという時代になった時に、僕たちはまちを上手に成熟させていく方法って見つけられているのだろうか。どのようにして、これまでとは違う方法で、町の価値をつくることが出来るのか。そんなことを、橋本さんのお話をお伺いしながら考えていました。
(撮影:青木遥香)
プロフィール
橋本 健史(はしもと・たけし)
1984年、兵庫県生まれ。2010年、横浜国立大学大学院Y-GSAを修了し、翌2011年、大学生時代の同級生たちと建築設計事務所「403architecture [dajiba]」を静岡県浜松市で設立。2017年には個人として橋本健史建築設計事務所を東京で設立し、東京と浜松の2拠点で活動を開始。建築作品に《富塚の天井》《代々木の見込》《東貝塚の納屋》ほか。著作として『建築で思考し、都市でつくる』(LIXIL出版)。受賞歴として2014年に吉岡賞、2016年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館にて審査員特別賞。
http://www.403architecture.com/