生活者研究

生活者の新潮流を調査・洞察し、
年2回発表しています。

感情ミュート社会

出さない時代の新欲求

都市化やAI普及などで感情管理の重要性が増す日本社会。潮流の変化と生活者の新欲求を紐解き、企業が新たな価値創造へと繋げるための指針を提示します。

2026生活知新

育てるデジタル、信じるアナログ

両利き化する生活者

デジタル化が進む中で、アナログ的価値を再評価する兆しを分析。双方に価値を見出し両利き化させる生活者の姿を発表。

2025サマーセミナー

働き直し

シゴトが変わる。日本が変わる。

働くことを一歩引いた視点で捉え直し新たな手ごたえを見出す「働き直し」。会社や社会との関係を再構築する生活者の姿と、未来の行方を考察。

2025みらい博

若者30年変化

Z世代を動かす「母」と「同性」

1994年と2024年の若者を比較し、親子関係の密接化や恋愛離れ、同性重視の交友関係など、30年間の意識変化を分析。

2024サマーセミナー

ひとりマグマ

「個」の時代の新・幸福論

「ひとり」に新たな価値を見出す生活者の意識と行動を解明。その背景や欲求に注目し、社会を活性化させる可能性について考察します。

2024みらい博

DIGINOGRAPHY

ビッグデータを、フィールドワークする

生活者のデジタル上の行動ログを人類学的な視点で分析し、数値化しきれない行動の背景や欲求、生活実態を提示します。

消齢化社会

「生活者の意識や好み価値観などについて、年代・年齢による違いが小さくなる」現象を「消齢化」と名付け、年齢の壁が消えゆく社会の未来像を提示。

2023みらい博

2040年 私の「ふつう」

「生活者1万人への未来調査」をもとに、8つの側面について2040年に訪れるかもしれない新しい「ふつう」の可能性を考察。

2022みらい博

4つの信頼

人口減少や情報の氾濫で揺らぐ「信頼」をテーマに、10年後の生活者が望む人間関係のあり方を4つの未来シナリオで提示。

2021みらい博

私の時間が溶けていく

超高齢社会、働き方改革など、変わりゆく「社会の時間」と「生活者の時間」。未来に生まれる新しい時間の使い方を考察。

2020みらい博

消費対流

「決めない」という新・合理

二次流通やサブスクの一般化による消費意識の変化を洞察し、その奥にひそむ、あえて「決めない」という価値観を紐解きます。

2019サマーセミナー

#みんなって誰だ

生き方も趣味嗜好も、バラバラな個の時代。それでも会話で使われる「みんな」とは? みんなの集まり方を捉えなおした、新時代のマス論。

2019みらい博

家族30年変化

家族はいま、プロジェクトへ。

30年間の調査に基づき、家族のユニット化やオープン化など、個を尊重し絆を自ら築く「家族観」の5つの潮流を解説。

2018サマーセミナー

進貨論

生活者通貨の誕生

電子化によりカタチを変えていくお金と、それを扱う生活者の価値観変化によって、未来に生まれるお金(生活者通貨)や経済の姿を提言。

2018みらい博

子ども20年変化

タダ・ネイティブ、あらわる

1997年と2007年の調査データをもとに、デジタル化や少子化、教育環境の変化といった社会背景が子どもたちに与えた背景をもとに、現代の子供たちの実像を分析。

2017サマーセミナー

好きの未来

わたしの熱が、世界をまわす

好きという感情が市場や社会を動かす可能性に注目。多種多様に好きを極める生活者への調査・取材をもとに、好きの未来仮説を提示。

2017みらい博

シルバー30年変化

30年間のシルバー調査を基に、活動的で自立した現代の高齢者像を提示し、これまでの「お年寄り観」の転換を提言。

2016サマーセミナー

あしたのまちの100の風景

「街」をテーマに10年後の2025年を見据え、街の未来の4つの可能性とそこにひろがる様々な風景や生活者の新しい生き方や暮らしを考察。

2016みらい博

研究アーカイブ

これまでに実施された
生活者研究をご覧いただけます。

育てるデジタル、信じるアナログ。 育てるデジタル、信じるアナログ。

大学生の視点で深掘る

それ、
本当に流行っていますか?



河島 愛梨

TOPICS2026.08.03

1. 私にとって「流行り」とは力

私にとって「流行り」とは、いつの間にか多くの人が知っていて、何気なく話題に出すと通じるものだと思っていました。それは、誰かが「これが流行っている」と言う前から、すでに空気の中に存在しているようなもので、「流行っている」というよりも「流行っている気がする」という感覚に近いように感じます。TikTokを見ていて、同じ音源や似た動画が何度も流れてくるとき、私はそれを迷いなく「流行っている」と感じてきました。しかし、その感覚は本当に正しいのでしょうか。
流行りは、目にする回数の多さによって決まるものなのか。それとも、回数では測ることのできない「体感」のようなものなのか。もし体感だとしたら、その体感はどこから生まれているのだろうか。そう考え始めたとき、私は流行りを一度、数として測ってみたいと思いました。

2. 「流行り」は回数で測れるのでは?

流行りが「流行っている気がする」という体感によって成り立っているのだとしたら、その体感の正体は何なのだろうか。私はまず、流行りをできるだけ単純な形にして考えてみることにしました。

今回私は、今の流行りが作られている場所だと感じる「TikTok」を使って実験してみようと思いました。TikTokでは、同じ音源の動画が、短い期間に何度も流れてきます。その「何度も」という感覚が、私の中で「流行っている」という判断につながっているように思えました。そこで私は、流行りは「目にする回数」によって測れるのではないか、という仮説を立てました。もし本当に流行っているのであれば、短時間のうちに何度も目にするはずだからです。逆に言えば、あまり表示されないものは、少なくとも自分にとっては流行りとは言えないのではないかと考えました。回数という具体的な数字に置き換えることで、流行りが少しははっきりするのではないかと考え、実験してみることにしました。

3. 毎日1時間、「流行り」を数えてみる

実験の方法は、できるだけシンプルにしました。あらかじめ「今、流行っている」と言われている音源をいくつかピックアップしました。例えば、特定の楽曲のサビの部分やリズムの強いフレーズを使い、その音に合わせて振り付けされた踊りを踊っている動画などです。それらがどの程度の頻度で表示されるのかを確かめます。「今、流行っている」の基準は、「2万件以上の投稿数」、「再生数の多い投稿が1ヶ月以内に投稿されたもの」、「その投稿のうち1番再生数の高い投稿が100万回視聴以上」という3つの基準から選びました。実験を行う時間帯は、21時から22時までの1時間としました。その1時間、私はひたすらTikTokをスクロールし続けました。動画を楽しむというよりも、どこか作業に近い感覚で、流れてくる画面を淡々と追い続けていました。意識的に見分けながら、その1時間を5日間、表示された回数をメモしていきました。

はじめのうちは、すぐに結果が出るのではないかと思っていました。流行っているものを選んでいるのだから、何度も目にするはずだと考えていたからです。しかし、その予想は少しずつ裏切られていきました。確かに、見覚えのある音源や似た動画は流れてきます。しかし、「今、流行っている」とピックアップしたものが、立て続けに何度も表示されるという状況にはなりませんでした。私は、この実験そのものに違和感を覚え始めていました。

4. 「流行り」は数字に表れなかった

今回の実験を振り返ってみると、結果は予想していたものとは異なっていました。「今、流行っている」とピックアップしたものが、短時間に何度も表示されるという状況は、ほとんど見られませんでした。まったく表示されないわけではありませんが、「これが流行りだ」と確信できるほどの回数ではありませんでした。仮説として立てていた「流行りは回数で測れる」という考えは、この時点で当てはまらなくなっていました。数字として残った結果はどれも中途半端で、多いとも少ないとも言い切れず、回数という分かりやすい指標を用意したはずなのに、流行りを説明する決定打にはなりませんでした。この結果を前にして、私は流行りを測れなかったという事実以上に、「流行りとは何か」が分からなくなっている自分に気づきました。

5. それでも「流行っている」と感じるのはなぜか

数字でははっきりと表れなかったにも関わらず、私は確かに「流行っている」と感じていました。では、この感覚はどこから生まれているのでしょうか。改めて振り返ると、私は単純な回数だけで判断していたわけではないことに気づきました。コメント欄の盛り上がり、友人との会話、他のSNSでの話題化など、複数の要素が重なったときに「流行っている」という印象を抱いていたのです。

つまり、私が感じていた流行りは、表示回数という単純な数字ではなく、さまざまな情報が重なり合った結果として生まれていたのではないかと考えるようになりました。

さらに考えてみると、流行りは「多くの人が同じものを見ている状態」というよりも、「多くの人がそれについて何らかの反応を示している状態」なのかもしれません。誰かの「面白い」「気になる」といった小さな感情が投稿となり、それが共有され、別の誰かの反応を生み出す。その繰り返しの中で、流行りは少しずつ形を持ち始めるのではないでしょうか。

その過程で、アルゴリズムによって、広がりが加速することは確かにあると思います。しかし、数字や表示回数だけでは説明できない、人と人とのあいだで共有される感覚こそが、流行りを支えているのではないかと感じました。

6.まとめ

今回の実験を通して、私は流行りを「測ろう」としたからこそ、その曖昧さに気づくことができました。もし何も疑わずに「流行っている」と受け入れていたら、その感覚の正体を考えることもなかったと思います。数字に置き換えようとしたとき、流行りは思った以上に掴みどころのないものでした。しかし同時に、だからこそ流行りは面白いのかもしれないとも感じました。流行りは、誰かの小さな感情から始まり、人と人とのあいだを通り抜ける中で、いつの間にか形を持つものなのではないでしょうか。

今回の実験で私は、流行りそのものを定義することはできませんでした。しかし、「なぜ自分は流行っていると感じるのか」を考えるきっかけを得ることができました。それが、私にとっていちばん大きな発見だったのかもしれません。

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