位置情報アプリ「whoo」から見る、若者のプライバシー感覚
新井利玖
TOPICS2026.08.03
はじめに
位置情報共有アプリ「whoo」を開き、友人が家にいることを確認する。そして事前の連絡をせずに、家の前に突然向かう。いわゆる「凸(とつ)」と呼ばれる行為だ。これだけを聞くと、かなり非常識で、プライバシーの侵害にも思える行動だろう。しかし、今回行ったwhooを見て友人のところに凸する実験では誰一人として拒否する人はいなかった。
なぜ、断られなかったのか。そして、なぜ「怖い」「嫌だ」と感じる人と、「嬉しい」「ウェルカム」と感じる人がはっきり分かれたのか。 この実験から見えてきたのは、「whoo」というアプリが生み出す新しいプライバシーの形だった。
実験概要
私は普段whooを利用している中で、自分が暇な時や家にいて、どこかに出かけたい時などに急に連絡もなしに友人に会いに行き、呼び出して遊びに誘うといった、プライバシーや相手の都合お構いなしの行動をとっている。この行動をするようになった理由は、whooを交換しているということは、凸されても問題ないと私が相手のことを解釈できるくらいの関係値を持っている友人としか位置情報を共有していないため、その心理的な状況からこの非常識で迷惑な凸という行動をするようになった。
そこで、なぜこの行動が許されるのか、またwhooにプライバシーは存在しているのか疑問に感じ、whooのプライバシー効果について実験してみたくなった。
今回の実験では、「whoo」を用いて次の3点を試した。1つ目は、whooを見て、友人が家にいるかを確認。2つ目は、事前に連絡はせず、実際に家の前へ行く。3つ目は、その反応や感じ方をインタビューする。対象者は21〜22歳の男女7名(男性6人・女性1人)、全員が実家暮らしである。この実験をしてみて一番興味深かったのは、全員がドアを開けて、家から出てきて話ができたという結果で、断る人は0人だった。
まず、実験者側の感覚として、普段の暇な時や家から出たい時に凸する感覚と、実験のためにあえて意図的に凸するというのは、全くの別物であり最初は戸惑いもあったが、なぜかワクワクもしていた。これは、小学生の時のちょっとしたイタズラをする感覚にすごく似ており、すごく斬新で普段の生活ではもうあまり感じることのない感覚があった。
次に、急に会いに行く側の意識に注目していくと、急に凸をすることがある人たちに共通していた判断基準は、びっくりするほど単純で、「自分が暇かどうか」「ノリや気分」「帰り道に近いかどうか」の3つであり、彼らにとってのwhooは、相手の位置情報を見る為のツールではなく、暇を埋める為の暇つぶしツールだと考えているように感じた。つまり、「家にいる=暇だから会ってもいい可能性がある」という意味のわからない前提が、すでに彼らの中で共有されていて、whooは単なる位置情報の共有ではなく、相手の今の状態を想像させるものとして機能している。
そして、急に会いにいくことがない人の意見を見てみると3人が共通してこう言っていた。「いきなり来るのは迷惑」「家にいる=暇とは限らない」「相手の都合が分からない」の3つである。しかし、ここで一番不思議でかつ重要な部分は、「嫌だと思っても、拒否はしていない」という点であった。実際に「ちょっと嫌だった」「びっくりした」「めんどくさい」と本心では感じていながらも、全員が断ることはせずに外に出てきている。つまり彼らは、別に快く納得はしてはいないが、断るほどの不快感でもないという、非常に曖昧で絶妙なラインに感情が存在していることが見えてきた。
whooが曖昧にするプライバシーの境界線について話していると、この実験を通して浮かび上がってきたのが、whoo特有のプライバシー構造である。本来であれば、プライバシーは「見られない」「踏み込まれない」ことで守られてきていたが、このwhooでは、自分の位置を自分から相手に公開しているという前提がある。それにより、「見られたくない」「見せたくない」ではなく、「見られている前提でどう振る舞うか」という問題に知らないうちに切り替わっている。実際インタビューから、「whooを交換している時点で仲がいい」「入れてる人全員が対象」という発言が多く見られ、whooで位置情報を繋げるという行為自体が、ある程度の他人の侵入を許可するサインになっていると考えられた。
それともう一つ、プライバシーの境界線で重要なのは、「どれくらい仲がいいか」で凸された時の感じ方が大きく変わり、関係性が濃くて深いほど、凸されることは「嬉しいイベント」になり、逆に、関係値が薄く曖昧な場合は「どっか連れていかれそうで怖い」「用事がある時は困る」といったような不安が生まれてしまっている。
whooは位置情報の共有はできるが、感情や予定までは共有することができない、そのズレを埋める上で大切になってくるのが、お互いの関係値であること非常によくわかった。
であれば、なぜ全員が断らずに顔を出しにきたのか、それは、whooが「来る」「来ない」をはっきり拒否できない構造を持っているからであり、「相手の位置は見えている」「相手が家にいることは分かっている」この状況下で「出ない」という対応自体が、言葉での拒否よりも、イメージを強調してしまうことになる。その結果として、無意識に「めんどくさいが嫌ではないから対応する」という行動に自然となってしまう、このことからwhooは、人と人との間に断りづらい見えない透明な圧力を生み出している。
結論
この実験から分かったことは、whooがプライバシーを単に侵害しているわけではなく、むしろ、whooは、プライバシーを今までは「見えないもの」だったものから「関係性によって許容されるもの」へと変化させ、可視化していることがわかった。「見てもいい相手か」「今、凸しても大丈夫な関係か」その判断基準を、私たちは無意識に区別し、仕分けている。
また、whooを交換するという行為自体が、その相手との関係値の親密度を表すための新たな指標にもなっている。
結局のところ、私が友人の家の前に立った時に感じた、あの小学生の頃のようなワクワク感こそが、whooというアプリの正体なのかもしれない。効率やプライバシーを考えれば事前に連絡するのが当たり前で正解だ。でも、あえてそれを無視し飛び越えて会いに行くという、そんな少し乱暴なつながりを許し合える相手が今どれくらい周りにいるのか。この実験で全員が玄関を開けてくれたという事実は、デジタルな位置情報の裏側に、実は無邪気で泥臭い信頼関係がしぶとく生き残っていることを教えてくれた気がする。
位置情報が見えているから会いに行くという、このあまりにも単純で強引な理屈が通ってしまう関係は、案外、今の私にとって一番心地のいい居場所なのかもしれないと感じた。もちろんこれからも、また来たかと呆れられることはあるかもしれない。でも、スマホの画面越しに相手の気配を感じ取り、予告なしに呼び出す。そんな不器用なコミュニケーションが、デジタルに囲まれた日常の中に、少しの温かさを運んでくれる貴重な存在なのだと、今は確信している。
