少齢化社会 博報堂生活総合研究所 みらい博 2023

世代内は
多様性を保ちながら、
世代間の違いが
消えていく社会へ

吉川 徹 さん

大阪大学大学院
人間科学研究科 教授
社会学者

吉川 徹(きっかわ・とおる)

大阪大学大学院人間科学研究科教授。静岡大学助教授、大阪大学大学院准教授などを経て、2014年から現職。計量社会学を中心にした様々な研究業績のほか、『学歴分断社会』(筑摩書房、2009年)、『日本の分断 : 切り離される非大卒若者(レッグス)たち』(光文社、2018年)、など一般読者向けにも著書多数。

日本社会を特徴づける「3つの世代」
―世代の退出による価値観の「変化」

今回の生活総研の調査・研究では、大まかに「戦前生まれの世代」「団塊の世代」「団塊ジュニア以降の世代」 の3タイプの人たちをひとつの平面に置いて議論しており、上のふたつの世代が社会から退出していく現象が捉えられています。

この調査におけるそれぞれの世代の特徴をみていくと、まず「戦前生まれ世代」については、時代が変化しても価値観があまり変わらない傾向が現れています。彼らは階級や社会集団に特徴的な質問と回答のパッケージを持っており、例えば「この労働組合に入っているから、憲法についてはこう考える。国際政治についてはこう考える」のような形で質問に即答できます。ですから彼らが20代のときに受けた価値観調査でも、40代のときのものでも、質問に対する賛成・反対のこの世代全体をみたときの比率は大きく変わりません。

 

それに続く「団塊の世代」は、意外なことに考え方が柔軟な世代です。今回の調査でも、団塊の世代の価値観は戦前世代とは異なり、時代を経るに従って下の世代にキャッチアップしていく動きがみられます。確かに、彼らの価値観が変化しなければ、日本は直系家族~核家族という古い家族システムのままだったでしょうし、女性の社会進出や、育児や介護の外部化を達成しなかったでしょう。

 

それより下の「団塊ジュニア以降の世代」として少し広めに50代から20代までを取ってみると、今回の調査結果ではこの広い世代の価値観がだんだんと同質化して、世代の異なりが小さくなっていることがみて取れます。

この世代の価値観が同質化している理由は、今の20代から50代までが、大体同じような時代を生きてきたことにあります。学歴を例に取ると、今の18歳の大学進学率と、彼らの親世代の大学進学率はほぼ同等です。18歳の平均身長と親世代の平均身長もほぼ同じです。それに、実は今の50歳はバブル後に社会に出た世代ですから、経済成長しない停滞した日本を生きてきた意味でも若い世代と同様です。

20代から50代というと、会社なら同じオフィスに勤めているほぼ全員がその年齢幅に収まります。同じような生活経験をしたシニアと若年世代とが一緒に日本社会を構成する時代になり、異なる価値観の衝突が少なくなったことは社会的に強い力だといえるでしょう。

 

この世代のもうひとつの特徴は、「親より上の社会階層に行く時代」を経験しなかったことです。

例えば団塊ジュニア世代は、学歴そのものは親の世代より高かったですし、「母親はパートで働いていたけれど、自分は正規職に就いた」という人が多かったので、20代くらいまでは「親より上に行く」経験をしていました。しかし時代が悪く「ロスジェネ」にぶつかり、それより後の人生では雇用などが流動化して、経済的にも不安定な状況を余儀なくされました。

さらにこの団塊ジュニア世代の子どもの世代になると、父親、母親と同じような学歴水準で、同じような就活をしていますが、はじめから終身雇用を信じず、親世代が経験してきたのと同じように転職を前提としてキャリアラダーを考えています。現在の若者たちの上昇志向は、親世代の価値観と大きく異ならないものになっているのです。

かつてのように「子どもは親より豊かになる」と信じられなくなったことは、世代ごとの価値観の差が同質化していく現象の一因になっているはずです。

 

「世代間の価値観の差が縮まっている」ことが見つかった「生活定点」の調査項目には、「価値観を変えない戦前生まれ世代の退出」「団塊の世代の、社会の平均への歩み寄り」そして「団塊ジュニア以降の世代の価値観の同質化」という3つの現象によって説明がつくものが多い印象を持ちました。

今回の調査は、現在起こっている「戦前生まれ世代」の社会からの退出による、社会全体としての価値観の変化を捉えていますが、10年後の2032年には1940年代後半生まれの「団塊の世代」の中心層が80代中盤になり、いよいよ団塊の世代が社会から退出しはじめます。

この世代の退出は、人口ボリュームに大きな影響があるだけではありません。右肩上がりの日本社会を生きてきた団塊の世代が社会から去ると、いよいよ残された20代から60代の現役世代は、バブル期以後の高原期、あるいは閉塞期の日本社会しか経験していない人たちだけで占められることになります。

高度経済成長期の日本を生きた人々がいなくなったとき、本当の意味で「高度経済成長期が終わった」といえるでしょう。

「大卒」と「非大卒」で階層化する人々

団塊の世代には世代特有の価値観があり、「望ましさ」の水準をみんなが共有する傾向がありました。それに対して、現在社会に参入しつつある若い世代がみな同じような価値観を共有しているのかというと、むしろ現在の若者は、同じ世代にいろいろな考えの人がいる、バラつきの大きい人たちである印象を受けます。

そのバラつきの平均を取ると、例えば政治でいえば「緩やかな保守化」をしているようにみえますが、実態としては意識高い系の人もいれば脱力した人もいるし、ヤンキーのような人もいれば引き籠もる人もいると、千差万別です。

彼らの出現以前は社会を構成する人たちの価値観の差は、収入や性別、地域の差といったわかりやすい軸に よって説明できていました。しかし今の若者は生活構造の多様化により説明軸が捉えにくくなってきており、私たちが行っているような統計による分析はどんどん難しくなっています。

 

とはいえ、人々の価値観の構成要素が全く説明できなくなったわけではありません。近年「親ガチャ」といった言葉が流行ったように、今の若者は親世代から引き継がれた上下の差に強い関心を持っています。

実際に、私が分析してきたなかで、最も価値観のコントラストがよく出る分け方は「大卒か、非大卒か」というものです。

「親より上に行ける」と信じられていた時代には、大半の人が「東京に出てホワイトカラーになりたい」と思っていました。しかし現在では、三代続けて偏差値60以上の大学に行き、三代続けて首都圏でホワイトカラーとして働いているような人たちと、そういう生活とは全く縁のない、地元で仕事をして子育てをしていくような人たちは、何世代にもわたって重なりあわない、まったく違う価値観を持った階層に分かれてしまっています。

学歴の説明力が強まったふたつの理由

日本社会の価値観のコントラストが学歴でよく説明できるようになったのには、ふたつの理由があります。

ひとつには「他の差が縮小したことによる、学歴の不戦勝」という状況があります。「生活定点」調査の結果に現れているように、近年になるにつれ生まれた年代による価値観の差は縮小し、職業が流動化し階級意識が薄れ、地域差も小さくなりましたが、学歴による差だけは依然として残っているのです。

かつては大学進学者※が希少で、団塊の世代くらいまでは世代が下るにつれて大学進学率が高くなっていましたから、かつて「世代による価値観の差」にみえていたものは、実は当時の「世代による大学進学率の差」によって強調されている面もあります。
※ここでは4年制大学および短期大学への進学率

 

一方で、団塊ジュニア以降の30年ほどは大学進学率が劇的には変わっていないため、今の若者にとっての「偏差値60くらいの大学卒」が持つ意味は、彼らの親にとっての意味とほとんど同じです。このように団塊ジュニア以降の世代は、年齢を超えて「学歴」のイメージを共有していますから、それだけ「学歴」が持つ意味が明確になっている。これが学歴で価値観の差をよく説明できるふたつめの理由です。

もちろん、近年では雇用の不安定化もあり、「いい大学に行く」ことは「これを持たせておけば一生安心」という通行手形とはいいがたくなっています。

しかし、だからこそ「うちは余裕がある。役に立つかもしれないからこの子はいい大学に行かせよう」と言える家と、「そんな余裕はないし、大卒の学歴があることで自分が望む仕事に就けるわけでもないなら別にいらないだろう」と言ってしまう家には、世代を通じて再生産された価値観の決定的な違いがあります。私は、それこそが今の教育格差の本質だと思っています。

価値対立がないことを
「いい状態」だと捉えてみる

これは私の持論ですが、価値観の世代差がなくなっていくのは「いい社会」なのではないでしょうか。例えば会社のなかで、転職への希望や男女雇用参画の方向性、有休や育休の取得について、立場の異なる広い世代が価値観を共有しているのは望ましい社員構成であるといえるはずです。

それは、これまでマーケティングで使われてきた「セグメント」という考え方が有効性を失った社会でもあります。戦後日本社会は長らく、価値観の差を利用して商品をつくったり、社会や政治を動かしたりする「セグメントの社会」でしたが、今回の調査は「セグメントの社会」の終わりを捉えたわけです。

 

日本社会の表面に分断が現れている「怖い社会」に到達しなかったことを、私は好意的に捉えています。街のなかにはっきりとした分断線があったり、公共交通機関の乗り方に分断線があったりする国が世界には存在しますが、日本はそのような「分断」ではなく、価値観や格差を多様性として受け入れることができる「差異化」の社会になりました。

例えるなら「子どもを持つ」というひとつの価値観に全員が収斂していた時代から、それに囚われず「子どもを持つ人もいるし、持たない人もいる」といろんな価値観を持ってもいい時代になったことは、むしろ「いい状態」と捉えていいはずです。

日本社会の強みは
「上質なフォロワー層」

そのような社会からは、ある方向へと力強く進んでいくダイナミズムが失われる面もありますが、それでは日本社会はどういう強みを活かしていったらいいのでしょう。

私はボトム層のクオリティの高さ、「上質なフォロワー」で構成されていることが日本社会の強みになると思っています。学歴と意識の高い層が引っ張っていくことに期待するのもいいけれど、ほかの国と比べてボトム層のクオリティが高く、何にでも対応できる人たちで構成されているからこそ、これまでもインフラの変化や商品の変化に柔軟に対応できてきたことを、もっと評価すべきです。

 

特に今の若い世代は、介護・福祉の仕事にも抵抗なく入っていけるし、年金の負担についても当たり前のこととして受け入れています。上の世代のように仮想敵を設定して「この敵に対抗する私たち」という立ち位置で集団化するようなことはないし、無理やりそういう集団をつくったとしても彼らはそこに集結しません。その意味で、現在社会に参入しつつある世代は、昔の若者と比べて高いリテラシーと判断力を備えています。

各人が多様な価値観を保ち続けたまま、平均を取ると世の中のど真ん中の辺りに位置づけられるような傾向はこの世代の「元気のなさ」ともいえますし、穏やかなフォロワー気質から、世論が支持しているものをなんとなく追認してしまう危うさも持っています。それでも集団としてひとつの方向に走らない多様性は、この世代の賢明さや聡明さといえるでしょう。

 

この調査が捉えているような、世代全体をみると標準的な価値観を持っているようにみえつつも、内実としては多様なバラつきを持っているという若い人たちが社会に参入してくる傾向は、これからさらに強くなるでしょう。今のうちから「世代内に多様なバラつきを持ったまま世代間の違いが消えていく社会」を先取りして想像しておくと面白いかもしれません。

有識者インタビュー

特別対談

消齢化社会に関する
特別対談

NHK放送文化研究所

博報堂生活総合研究所

対談参加者

NHK放送文化研究所

荒牧 央 氏
村田 ひろ子 氏
野澤 英行 氏

博報堂生活総合研究所

内濱 大輔
三矢 正浩
佐香 孝