「whoo」が起こした
恐怖の体験談
園田 眞海
TOPICS2026.08.03
①「whoo」 は、友達や家族とリアルタイムで位置情報を共有できるアプリ
私の中でwhooを交換することは、仲が良い証のように感じていた。位置情報を共有する=信用している、という暗黙の了解があり、断る方が不自然に思える空気もあった。
しかし、相手にとってその情報がどこまで私の生活に“踏み込める許可”として受け取られているのかまでは、想像できていなかったと思う。
私は、whooを交換することで心の距離が縮まったつもりでいたが、実際にはプライバシーの境界線が曖昧になっていただけだったのかもしれない。
私の身に何があったか、次の体験談を見てほしい。
②「whoo」が起こした恐怖の体験談
私はこの「whoo」を一定数の友達と共有している。その中に、私が誰といるかに関係なく、位置情報を頼りに突然現れる友人がいるのだ。にっこり笑顔で「よお!」と声をかけながら近づいてくる彼の行動に、次第に私は恐怖を覚えるようになった。信用しているからこそwhooを交換しているが、その距離感がいつも心地よいとは限らない。
ある日、私は彼からの電話で起こされた。「今、お前の家の前やわ。花火見に行くから出てきて」。寝ぼけながら位置情報を確認すると、確かに彼は私の家の前にいた。花火に誘われた記憶はあったが、その時私は断っていたはずだった。それでも彼は、私が遅刻しているかのような態度で待っていた。仕方なく外に出たものの、他人のプライバシーをここまで考えていない友人に出会ったのは初めてで、この出来事は強く印象に残っている。
この体験を通して、位置情報共有アプリは単なる便利なツールではなく、人との距離感や信頼、さらには安心と恐怖といった感情にまで影響を及ぼしているのではないかと感じるようになった。信用しているから共有しているはずの情報が、使われ方次第で不安にも変わる。その曖昧さに、私は強い関心を抱いた。
③人との距離感が書き換えられている?
この出来事を通して、私は位置情報がわかるアプリが、単に「便利だから使うもの」ではなく、人との距離感や信頼のあり方を、知らないうちに書き換えているのではないかと感じるようになった。
安心のために共有しているはずの位置情報が、ある瞬間には不安や違和感を生み出してしまう。少し怖く感じる。だからこそ、位置情報共有アプリ「whoo」が、人の無意識な行動や感情、そして人間関係にどんな影響を与えているのかを、自分なりに確かめてみたいと思った。
④見えなくしてみたら、何が見えるのか?
今回の研究では、「whoo」のフリーズ機能に注目した。フリーズ機能とは、自分の現在地を一時的に相手から見えなくする機能で、共有を完全にやめるわけではないところが特徴的だ。
私はこの機能が、相手の心理にどのような影響を与えるのか気になり、1日だけ位置情報をフリーズしてみることにした。そして、whooを共有している友人5人にインタビューを行い、「フリーズに気づいたか」「信頼感や安心感に変化はあったか」「連絡を取りたくなったか」などを尋ねた。 ただ、私は普段からフリーズ機能をよく使うため、「またか」と思われる可能性がある。そこで、ほとんどフリーズを使わない友人にも同じ実験をしてもらい、その反応を比べてみることにした。
⑤揺れなかった関係
今回の実験では、私自身がフリーズを行った場合と、フリーズをあまり使用しない友人が同条件でフリーズを行った場合とで、周囲の反応に違いが見られた点が印象的だった。私がフリーズをした際には、「またフリーズしている」という受け取られ方が多く、特別な反応はあまり見られなかった。一方で、普段フリーズを使わない友人がフリーズをした際には、「何かあったのではないか」「アプリを消したのかもしれない」といった心配や戸惑いの反応があった。
このことから、フリーズ機能の影響は、機能そのものよりも「その人が普段どう使っているか」と大きく左右されると感じた。また、信頼度が下がったと答える人はほとんどいなかったが、安心感については「見えていた方が安心する」という意見があり、位置情報が日常的な安心を支える役割を果たしていることを実感した。
⑥映されたのは、心配されたい私
正直、面白いと感じる実験では無かったと感じた。期待していたほどの変化も、はっきりとした結論も出なかった。だから、私の中ではこの実験は失敗だったと思っている。
フリーズ機能を使えば、もっと信頼が揺らいだり、関係がギクシャクしたり、何かしら大きな反応が返ってくるのではないかと、どこかで期待していた。しかし実際には、「心配はするけど信頼は下がらない」「特に気にしない」「連絡はしない」といった、想像以上に穏やかな反応がほとんどだった。友人たちからは、単なる私が単に「心配されたい人」に見えるようになったかもしれない。すごく恥ずかしい。
しかし、ここで気づいたのは、フリーズ機能が人の感情を大きく揺さぶらなかったのではなく、位置情報そのものが、「特別なもの」ではなくなっていたということだ。常に見えていることに慣れすぎて、日常化しているのではと感じた。
この実験が失敗に感じられたのは、フリーズ機能の影響が小さかったからではなく、位置情報共有がすでに日常の背景に溶け込みすぎていたからなのではないだろうか。
そしてもう一つ、少し痛い気づきがあった。
私は位置情報を通して、誰かとのつながりや存在感を確かめようとしていたのかもしれない。フリーズによって反応が返ってくることを期待していた自分は、「信頼」を測ろうとしていたのではなく、「他人に気にかけられているかどうか」を確かめたかっただけな気がした。私はこの実験を通して、私自身を見つめ直せたのかもしれない。これが唯一の収穫だと感じた一面、恥ずかしい気持ちに駆られてなんとも言えない気持ちに陥ってしまった。
⑦位置情報は人との距離感を移す鏡なのでは?
今回の実験を通して、位置情報は思っていたほど人の感情を大きく動かすものではなく、もうすでに生活の背景みたいな存在になっているのではないかと感じた。私が思うに、フリーズ機能を使っても特に大きな反応がなかったのは、信頼がある・ないの問題というより、位置情報が「見えているのが普通」になってしまっているからだと思った。
ただ、フリーズした時の反応をどこかで期待していた自分がいたことにも気づいた。誰かが心配してくれたり、連絡をくれたりするのではないかと思っていた部分があり、私は信頼を測りたかったというより、「自分が気にかけられているかどうか」を確かめたかっただけなのかもしれない。
位置情報は相手の気持ちをそのまま表すものだと思っていたが、実際にはそれを見る側の不安や期待の方が強く映っていた気がする。人との距離を縮めたり広げたりする装置というより、もともとある関係性や距離感を、そのまま映し出してしまう鏡みたいに見えた。
そう考えると、この実験で一番はっきり見えたのは、他人の変化とかではなく、位置情報に意味を求めすぎていた自分自身だったというのがわかり、私が他人に求めすぎている結果に気づいてしまった恥ずかしいオチになってしまった。
