『生活者の平成30年史』連載 第1回
データで読む「平成」の変化、生活者には「平静」でなかった
こちらは「日経BizGate」からの転載記事です。
人口の激減、急速に進んだ少子高齢化、最多となるひとり暮らし――この連載では『生活者の平成30年史』(博報堂生活総合研究所 著)の抜粋によって、平成30年間の生活者の意識や行動、価値観の変化を振り返ります。第1回では、変化の背景をなす生活環境について確認していきます。
まず、人口構造や世帯構造の変化、就労、収入などマクロな視点に立って、総務省や内閣府などの政府機関が発表している統計データを中心にご紹介します。
1989年に始まった平成は、始まった途端の1991年にバブル経済が崩壊したわけですが、ほかにも大きな転換点がありました。本連載でご紹介するデータからは、「平成」が生活者にとって心穏やかに過ごせる「平静」の時代ではなかったことが感じられるはずです。
人口は平成半ば過ぎに激増から激減へ
図表1―1は、「日本の総人口」を表しています。増加の一途だった日本の人口がピークを迎えたのは2008年(平成20年)のことでした。この事実は、既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、長期スパンで人口の推移をみると、その歴史的な重要性が浮かび上がってきます。1872年(明治5年)の人口は、3481万人にすぎず、2008年までの136年間で4倍近くの1億2808万人に達しました。そして、実はこのピークを境に、約100年後の2115年には、5056万人と4割にまで減少すると予測されています。博報堂生活総合研究所(以下、生活総研)では、様々な講演でこの人口予測の話をしていますが、みなさん一様に、今後の人口減少の激しさに驚かれるのです。
これまでの人口増加があまりに一方通行的だったため、「人口は増えていくもの」「減るといっても緩やかなもの」という認識が人びとに根付いてしまっているのかもしれません。
いずれにせよ、2008年(平成20年)は、長期スパンでみた時の日本社会の大きな転換点だったということは間違いありません。
急速に進んだ少子高齢化
少子高齢化。これも日頃からよく見聞きする社会問題であるため、私たちはずっと前から少子高齢型の社会だったように思いがちです。しかし、平成の30年間の変化は、この観点でもやはりドラスティックだったといっていいでしょう。平成元年、1989年の「人口ピラミッド」(図表1―2)では、実はまだ人口のボリュームゾーンは、40代と10代にありました。これは同世代人口が多い団塊世代がまだ40代であり、その子どもたちも多かったためです。つまり、平成の初めは社会のマジョリティが「子育てをする家族」であるとイメージできる時代だったわけです。
その後、2007年には団塊世代が60歳になって退職を始め、企業内の技術伝承の危機などが叫ばれたことは、ご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。この年、65歳以上の人口比率、いわゆる高齢化率も21.5%を超え、定義上、日本は「超高齢社会」となりました。そして、2018年の「人口ピラミッド」は、図表1―3に示す通りです。
ボリュームが高齢側に偏り、30代以下の人口が細っています。かなり以前から警鐘としては見聞きしていた少子高齢化が、誰の目にも明らかな現実となったのは、まさに平成の期間だったのです。この環境変化は、生活者の意識や行動、価値観に多大な影響を与えています。
→続きは日経BizGateのページからご覧ください。